最期の扉 [短編]
右へ六、左へ四…。ダイヤルを回す私の手を、姉がじっと見ている。
最後の数字を合わせると、カチッと手応えを感じ、重い鉄の扉がゆっくり開いた。
**
春は暖かい風と一緒に、父の訃報を運んできた。この小さなアパートで、父はたったひとりで亡くなった。
知らせを受けた私たち姉妹は、感情をどこかへ置き忘れたように事務的に葬儀や諸々の手続きを終えた。
生きていてもいなくても同じなのだ。父との思い出などかけらもない。
海外赴任が長かった父とは、幼少期から年に一、二度しか顔を合わさず、家にいても難しい顔で仕事をしている姿しか見ていない。
大人になっても何だか苦手で、結婚して家を出てからは、父がいない時を見計らって家に帰ったりしたものだ。
さらに溝を深めたのは、母が死んだ後である。
父は私たちに何の断りもなく、家を処分してしまったのだ。
ひとり暮らしに大きな家は必要ないと、全ての思い出をあっさり捨ててしまった。
私たちは憤慨し、それっきり父との一切の連絡を絶ったのである。
「何もこんな狭いアパートで死ななくてもね。そう思わない?」
葬儀のあと姉が、猫の額という表現がぴったりの小さな庭を見ながら言った。
「そうね。六畳二間に狭い台所。まあ余計な物はいらないんでしょう。そういう人よ」
整然とした和室から、憎らしいほど几帳面な暮らしぶりが伺われた。
「ねえ、ところで、お金ってどうしたと思う?」
姉が遠慮がちに切り出した。父の取引銀行には、老人がひとりで暮らすのに足りる額の金しか入っていなかった。家を売った金や、多額の貯金が他にあるだろうと、姉は言った。
小さな仏壇の横の押入に金庫を見つけた。
このアパートには立派すぎる鉄の金庫だ。
ダイヤル式の鍵を開ける四桁の数字は、文机の引出しから私が見つけた。
慎重にダイヤルを合わせ、私たちは扉を開けた。
***
「開いたわ」ふたり同時に声をあげた。中には漆の箱がひとつ、大切に仕舞われていた。
「何かしら。株券とか入っているのかな」
まるで玉手箱のような箱には、金も証券も、もちろん煙も入っていなかった。
あるのは、輪ゴムでくくられた手紙の束だった。
手紙は、いかにも子供の字で『お父さんへ』と書かれていた。
『おとうさん、らんどせるをありがとう』
『おとうさん、おもちゃをありがとう』
『お父さん、自転車をありがとう』
そして最後の封筒には、キャビネ版の写真が入っていた。笑顔の父を囲むようにたくさんの子供が写っていた。
「何よこれ。お父さんの隠し子?」
「まさか。二十人はいるわ」
「お父さんのこんな顔、見たことないわね」
その時、庭先で「すみません」と、か細い声がした。見ると、化粧っ気のない若い女が軒下から覗いていた。
「お父さん…いえ、小林さんにお線香をあげてもよろしいでしょうか」
女は、近くにある『向日葵園』という養護施設の職員だと名乗った。
「小林さんは、みんなのお父さんでした」
「父が、その施設に行っていたんですか?」
「はい。初めていらしたのは五年前です。最初は老人会の方に無理矢理連れて来られて、とても不機嫌そうでした。だけど子供たちとふれあううちにすごく優しくなられて、毎週のように来てくれるようになったんです。みんなお父さんが大好きでした。おじいちゃんと言ったら怒るので、みんなはお父さんと呼んでいたんです」
女は陽だまりのような顔で笑った。
「たくさんの寄付もいただきました。来るたびに、おもちゃや文房具を持ってきてくれました。どんな言葉でも言い尽くせないくらい、本当に、本当に感謝しています」
女は父の写真に手を合わせ、たくさんの涙を流した。姉と私が流すことのなかった、純粋できれいな涙だった。
夕暮れ、姉は崩れるように縁側に座った。
「何だか悔しいわ。お父さんの最期の扉を開けたのが、娘や孫じゃなくて他人の子なのよ」
「そうね」と私は、手紙を元に戻した。せめて棺に入れてあげたらよかったと、今さらながらに思った。
姉と並んで縁側に座った。
柔らかい風に水仙の花が揺れていた。母が好きな花と知っていたのだろうか。
「お父さんも寂しかったんじゃないかな」
父を避けていたのは私たちの方だった。扉を閉ざしていたのは、私たちの方だった。
姉と私は、肩を寄せ合って泣いた。父の訃報を聞いてから、初めて流す涙だった。
********************************
フェリシモ文学賞「ひらく」に応募して、落選だった作品です。
ブログ用に読みやすくしましたが、文章は変えていません。
川越さんやかよ湖さんが、UPしていたので、恥ずかしながら私も載せてみました。
ご意見お願いしま~す。
にほんブログ村
最後の数字を合わせると、カチッと手応えを感じ、重い鉄の扉がゆっくり開いた。
**
春は暖かい風と一緒に、父の訃報を運んできた。この小さなアパートで、父はたったひとりで亡くなった。
知らせを受けた私たち姉妹は、感情をどこかへ置き忘れたように事務的に葬儀や諸々の手続きを終えた。
生きていてもいなくても同じなのだ。父との思い出などかけらもない。
海外赴任が長かった父とは、幼少期から年に一、二度しか顔を合わさず、家にいても難しい顔で仕事をしている姿しか見ていない。
大人になっても何だか苦手で、結婚して家を出てからは、父がいない時を見計らって家に帰ったりしたものだ。
さらに溝を深めたのは、母が死んだ後である。
父は私たちに何の断りもなく、家を処分してしまったのだ。
ひとり暮らしに大きな家は必要ないと、全ての思い出をあっさり捨ててしまった。
私たちは憤慨し、それっきり父との一切の連絡を絶ったのである。
「何もこんな狭いアパートで死ななくてもね。そう思わない?」
葬儀のあと姉が、猫の額という表現がぴったりの小さな庭を見ながら言った。
「そうね。六畳二間に狭い台所。まあ余計な物はいらないんでしょう。そういう人よ」
整然とした和室から、憎らしいほど几帳面な暮らしぶりが伺われた。
「ねえ、ところで、お金ってどうしたと思う?」
姉が遠慮がちに切り出した。父の取引銀行には、老人がひとりで暮らすのに足りる額の金しか入っていなかった。家を売った金や、多額の貯金が他にあるだろうと、姉は言った。
小さな仏壇の横の押入に金庫を見つけた。
このアパートには立派すぎる鉄の金庫だ。
ダイヤル式の鍵を開ける四桁の数字は、文机の引出しから私が見つけた。
慎重にダイヤルを合わせ、私たちは扉を開けた。
***
「開いたわ」ふたり同時に声をあげた。中には漆の箱がひとつ、大切に仕舞われていた。
「何かしら。株券とか入っているのかな」
まるで玉手箱のような箱には、金も証券も、もちろん煙も入っていなかった。
あるのは、輪ゴムでくくられた手紙の束だった。
手紙は、いかにも子供の字で『お父さんへ』と書かれていた。
『おとうさん、らんどせるをありがとう』
『おとうさん、おもちゃをありがとう』
『お父さん、自転車をありがとう』
そして最後の封筒には、キャビネ版の写真が入っていた。笑顔の父を囲むようにたくさんの子供が写っていた。
「何よこれ。お父さんの隠し子?」
「まさか。二十人はいるわ」
「お父さんのこんな顔、見たことないわね」
その時、庭先で「すみません」と、か細い声がした。見ると、化粧っ気のない若い女が軒下から覗いていた。
「お父さん…いえ、小林さんにお線香をあげてもよろしいでしょうか」
女は、近くにある『向日葵園』という養護施設の職員だと名乗った。
「小林さんは、みんなのお父さんでした」
「父が、その施設に行っていたんですか?」
「はい。初めていらしたのは五年前です。最初は老人会の方に無理矢理連れて来られて、とても不機嫌そうでした。だけど子供たちとふれあううちにすごく優しくなられて、毎週のように来てくれるようになったんです。みんなお父さんが大好きでした。おじいちゃんと言ったら怒るので、みんなはお父さんと呼んでいたんです」
女は陽だまりのような顔で笑った。
「たくさんの寄付もいただきました。来るたびに、おもちゃや文房具を持ってきてくれました。どんな言葉でも言い尽くせないくらい、本当に、本当に感謝しています」
女は父の写真に手を合わせ、たくさんの涙を流した。姉と私が流すことのなかった、純粋できれいな涙だった。
夕暮れ、姉は崩れるように縁側に座った。
「何だか悔しいわ。お父さんの最期の扉を開けたのが、娘や孫じゃなくて他人の子なのよ」
「そうね」と私は、手紙を元に戻した。せめて棺に入れてあげたらよかったと、今さらながらに思った。
姉と並んで縁側に座った。
柔らかい風に水仙の花が揺れていた。母が好きな花と知っていたのだろうか。
「お父さんも寂しかったんじゃないかな」
父を避けていたのは私たちの方だった。扉を閉ざしていたのは、私たちの方だった。
姉と私は、肩を寄せ合って泣いた。父の訃報を聞いてから、初めて流す涙だった。
********************************
フェリシモ文学賞「ひらく」に応募して、落選だった作品です。
ブログ用に読みやすくしましたが、文章は変えていません。
川越さんやかよ湖さんが、UPしていたので、恥ずかしながら私も載せてみました。
ご意見お願いしま~す。
にほんブログ村
2012-02-21 19:26
nice!(7)
コメント(16)
トラックバック(0)
うーむ。
こんなすばらしい作品でも、入選しないのかー、と思うとなかなか自分も投稿してみようと言う気力がおきませんね(笑)
この姉妹、最後までお父さんとは他人同様のままお話が終わるのかと心配しました(笑)
やっと最後の最後で父親を理解して終わりと言う感じですね。
ぼくなら、もう少し前で二人に涙を流させたいですね。
施設の子供たちの手紙の一番下の方に、子供の時に書いた姉妹二人の父親にあてた手紙が大事にしまわれていたとか。
学校なんかではよく父の日なんかには「お父さんにお礼の手紙を書きましょう」なんて書かされるでしょ。
そう言うのを大事に取っておいてくれたんだなー、なんてエピソードがあればなと、読みながら思いました。
でもまあ、父親の姉妹に対する思いは希薄だったのかもしれませんね。
だとして、施設の子供たちと接することで、父親にもきっと姉妹に対する接し方を反省したと言う想像は出来ますね。
もっと父親らしくしてやればよかったという思いは芽生えていたとは思うんです。
その辺のエピソードがあればもう、涙、涙だったと思います。
by 海野久実 (2012-02-22 01:46)
さらっとドラマの世界に入っていける感覚が心地よいので、ついりんさんのお話はいつも一字一句読んでしまいます。
このおとうさんの一方通行な感じの不器用さが愛おしいです。
でも自分の親爺だったらイヤだ(キッパリ)笑
by 矢菱虎犇 (2012-02-22 06:45)
フェリシモ文学賞、私も応募しようと思って、ネタくりをしていたのですが、なかなか良いお話が思い浮かばず、応募は断念しました。
この作品などは、充分に入選に値すると思うのですが、なかなかレベルの高い賞ですね。
このお父さん、結局、お金は、ほとんどこの施設に寄付してたのですね。
だったら、極めて世俗的な言い方ですが、この姉妹にとっては、自分の取り分を縁も縁も無い、施設に持っていかれたわけです。
この件にかんしての言及があった方が良かったとおもいます。
現実問題として、この姉妹は「お父さんたら、私たちの取り分まで、勝手に使って」と怒るでしょう。ま、実際は父は生存中自分ののお金を、どう使おうと勝手ですが、やはりいくばくかの遺産をアテにしているから、姉妹としてはなんらかに違和感を感じたでしょう。
お話ですから、姉妹は「お父さんは良いことにお金を使った」と思って喜ぶほうが読者の共感を得るでしょう。その場合、施設と姉妹が縁も縁もないのでしたら、この姉妹、あまりに良い人過ぎて、現実感がうすれます。ですから、姉妹と施設になんらかの、縁か縁を作る必要があるのではないでしょうか。化粧っ気のない若い女と姉妹が知りあいだったとか。
by 雫石鉄也 (2012-02-22 14:30)
読みました。
う~ん、そうですね。アイディアはよいと思いました。ただ、前半がモタモタしすぎといいますか、もう少しさらっと流して、後半の話をもっと厚くした方がドラマが盛り上がったと思います。
つまり、金庫にこだわないほうがよかったと思います。むしろ、心を閉ざしがちな父とのあつれきとか、そっちの方がもっと読みたい感じでしたね。
わたしは、すでに公開している作品の他に、もう1作公開しているのです。そっちの方がさきに考えたもので、自信作なのです。こうして、りんさんやかよ湖さん、平渡さんの力作を読ませてもらったので、その禁断の作品を期間限定公開しようかな?
by 川越敏司 (2012-02-22 17:57)
ノスタルジーを感じました。吉永小百合さん主演の「弟」みたいな。
短い文章に長い時間経過がつまっていて、どこかほろ苦くもの悲しい。
そして、優しい。。。
そんな雰囲気がヒシヒシと伝わってきました。
とっても楽しめました。ありがとうです。
by haru (2012-02-22 18:42)
いいお話ですね。
内容・枚数制限のある中での各シーンのボリューム感、私は手直しゼロで満足です。
ありがとうございました。
by かよ湖 (2012-02-23 13:56)
<海野久実さん>
ご意見ありがとうございます。嬉しいです。
実は、海野さんの言うように、金庫の中に家族写真が入っていた展開だったんです。
規定をオーバーしてしまって、その部分を削りました。
どこを削るかは、もっとじっくり考えないといけませんね。
枚数制限は、最大の壁ですね^^;
by リンさん (2012-02-23 17:03)
<矢菱さん>
不器用な父親っていますよね。
このお父さんも、子供との接し方がわからなかったのかもしれません。
そういえば私も、父より母を頼ってしまうなあ。。。
by リンさん (2012-02-23 17:07)
素敵なお話でした。
これは、これで良いと思うのですが
入賞って難しいんですね。
しかもこの枚数。。。で???
あえていうなら。。。
おとうさんと娘たちの絡みが少ないかな。
疎遠になっていたけど
養護施設に寄付するくらいの優しい人。。。
きっと娘にもなにか。。。お金じゃなくても
心に残る財産をひとつ。。。金庫の一番奥に入れておく。
それによって。。。
おとうさんの父子愛からの優しさも膨らませる
ついでにいうなら
養護施設への寄付は。。。
実は、おかあさんの生きてる時からの希望でもあって
だからこそ、家を売ってまで。。。おかあさんとの夢を叶えたってことにする
それを知った主人公はのちに。。。
時々。。。その養護施設へ。。。ボランティアに行くようになる。
締めくくりは・・・
お金は無理だけど。。。時間なら、少しはある。。。
なんにも知らずに
おとうさんを遠ざけてしまっていたことへのせめてもの償いの意味と
そして。。。何よりここは。。。
お父さんとお母さんの想いを感じられ場所のような気がするから。。。
なぁんて。。。妄想が広がって
勝手なことを書きました。(笑)
でもこれじゃ。。。この枚数では収まりませんね。
入賞って。。。難しいね。(汗)
楽しみました。ありがとっ♪
by 春待ち りこ (2012-02-23 17:09)
<雫石鉄也さん>
ありがとうございます。
そうか…
そういった姉妹の心情は、まったく思いつきませんでした。
言われてみればそうですね。
私は、そういうものに全く執着しないタイプだけど、この姉妹は違いますからね。必死で金庫を探したわけですから。
ちょっと詰めが甘かったかもしれません。
by リンさん (2012-02-23 17:12)
<川越さん>
おっしゃる通りです。
私もブログにアップして読み返して、そう感じました。
最初の金庫の部分はいらなかったかな…とか、削るところ間違えたかな…とか。
あまり読み返すと悩んでしまうので、私はササッと出してしまうんですよ。
川越さん、2作も応募するなんてすごいですね。
by リンさん (2012-02-23 17:17)
<haruさん>
そう…「弟」も家族の確執がありましたね。
このお父さんは、誰にも迷惑をかけずに暮らしたかったのかもしれません。
潔いけど、寂しいですね。
by リンさん (2012-02-23 17:21)
<かよ湖さん>
ありがとうございます。
>手直しゼロ…まあ、なんて嬉しい^^
かよ湖さんが審査員ならよかった(笑)
枚数制限って難しいですよね。
テーマは決まっている方が書きやすいこともありますけどね。
来年も頑張りましょうね。
by リンさん (2012-02-23 17:25)
<りこさん>
すばらしい。
りこさんのアイデアいいですね。ボランティアが妻の願いだったなんてステキ。いいと思います。
でも枚数の壁が立ちはだかりそうですね。残念^^;
りこさんも来年は挑戦してみませんか。
by リンさん (2012-02-23 17:29)
悲しいお話ですね。
でも最後に少し救われて。
短い文章でギュッと濃縮していても、どんなお父さんだったかとか
姉妹の気持ちとか、お母さん像が想像できます。
お父さんの笑顔や寂しさ、姉妹の想い、そんな細かいところまで
想いをめぐらせることができました。
ただ、最初の2行は・・・。
後々まで気持ちの重心が「金庫」にいってしまいました。
最後のほうで姉妹が施設の子供たちに対する「嫉妬」を一瞬だけ
爆発させる場面があったらどうでしょうか。
自分たちも寂しかったのだという感情が噴出して初めて姉妹も
気付く父への気持ちみたいな。
うわー偉そうにごめんなさい。
でもしんみりと伝わってくる作品でした。
こんなにいい作品でもだめだなんて、賞を取るって難しいんですね。
ありがとうございます。
by もぐら (2012-02-23 17:36)
<もぐらさん>
ありがとうございます。
そうですね。私も読み直して、ちょっと金庫の部分が重かったかなと思いました。(鉄だからじゃなくて^^)
うわ~^^; みなさんの意見聞いてから出したかった~(笑)
フェリシモって神戸なんですよ。
来年は頑張って入賞して、神戸に行きたいです。
そしたらもぐらさんに会えるかな?
by リンさん (2012-02-23 23:46)