人生の幕 [短編]
「じいじ、お誕生日おめでとう」
男は70歳になった。古希の宴に家族がそろってお祝いをした。
妻と、ふたりの子供に孫が3人。
息子の嫁も、娘の婿も優しくていい人だ。
男は幸せだった。
「お父さんも年なんだから、少しはお酒を控えてね」
「食べ過ぎもだめだよ」
「あらあら、この人に言っても無駄よ。美味しいものに目がないんだから」
「じいじ、お肉好きだもんね」
和やかな食事だ。男は頷きながら楽しい会話に耳を傾けた。
生きたい。もっともっと生きたい。
男は、心から願った。
50年前、男は20歳だった。
当時付き合っていたガールフレンドに連れられて、占いの館に行った。
男は占いなど信じなかったが、占い師の言うことがいちいち当たっていて驚いた。
調子に乗った男は、こんなことを聞いてみた。
「僕って、あとどれくらい生きられますか?」
占い師は、神妙な顔で水晶玉を覗き込んだ。
「50年」
「50年ですか。じゃあ、70歳だ」
「妻と2人の子供と3人の孫が見えます。家族に囲まれて、あなたの幸せな人生は幕を閉じるでしょう」
「ふうん」
男はまだ若かったから、50年生きられればいいと思った。充分だと思った。
70歳になった今、男はふと、あの時の占いを思い出してしまった。
あの時は充分だと思ったが、やはり孫の成長も見たいし、もっと人生を楽しみたいと思うようになった。
生きたい。せめてあと10年。
「あなた、浮かない顔してどうしたの?」
「そうだよ父さん。せっかくの誕生日なのに」
「何か心配事があるの?」
男は、50年前の占いの話を家族に聞かせた。
家族にも自分の寿命を知ってもらった方が、悲しませずに済むと思ったからだ。
「あはは…。やだ、何それ~」
娘が吹き出した。
「何事かと思ったら占い? 父さん、そんなの信じるの?」
「だって、子供の数も孫の数も当たっているじゃないか」
「子供が2人で孫が3人なんて、珍しくも何ともないわ」
「そうよあなた。私の友達だって子供2人と孫3人なんて、石投げれば当たるほどいるわよ」
「適当にありそうなことを言ってるんだよ」
家族みんながどっと笑った。
そうか。そう言われてみれば、まったく死ぬような気配もないじゃないか、健康だし。
男はそう思い直した。気持ちがすうっと楽になった。
「ところで、あなた」
妻が静かな声で言って、男の顔を覗き込んだ。
「その占いって、誰と行ったんですの? 50年前といえば、もう私たちお付き合いしていましたわよねえ」
男はギクッと身を縮めた。妻は本当に怒った時に言葉が丁寧になる。
「いや…、男友達だったかな」
「あなた、はっきりとガールフレンドと言いましたわよ」
「ええ…と」
「二股かけていたんですか?そういえば思い当たることがありますわ」
「お父さん、最低!」
「そんな人だと思わなかったよ。母さんがかわいそうだ」
「じいじ、ひど~い」
「ずっと私を騙してたんですのね。しくしく」
一瞬にして空気が冷え切った。
家族全員の冷たい視線にさらされながら、男は居心地の悪さと闘った。
幸せだった男の人生は、この時いったん幕を閉じた。
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男は70歳になった。古希の宴に家族がそろってお祝いをした。
妻と、ふたりの子供に孫が3人。
息子の嫁も、娘の婿も優しくていい人だ。
男は幸せだった。
「お父さんも年なんだから、少しはお酒を控えてね」
「食べ過ぎもだめだよ」
「あらあら、この人に言っても無駄よ。美味しいものに目がないんだから」
「じいじ、お肉好きだもんね」
和やかな食事だ。男は頷きながら楽しい会話に耳を傾けた。
生きたい。もっともっと生きたい。
男は、心から願った。
50年前、男は20歳だった。
当時付き合っていたガールフレンドに連れられて、占いの館に行った。
男は占いなど信じなかったが、占い師の言うことがいちいち当たっていて驚いた。
調子に乗った男は、こんなことを聞いてみた。
「僕って、あとどれくらい生きられますか?」
占い師は、神妙な顔で水晶玉を覗き込んだ。
「50年」
「50年ですか。じゃあ、70歳だ」
「妻と2人の子供と3人の孫が見えます。家族に囲まれて、あなたの幸せな人生は幕を閉じるでしょう」
「ふうん」
男はまだ若かったから、50年生きられればいいと思った。充分だと思った。
70歳になった今、男はふと、あの時の占いを思い出してしまった。
あの時は充分だと思ったが、やはり孫の成長も見たいし、もっと人生を楽しみたいと思うようになった。
生きたい。せめてあと10年。
「あなた、浮かない顔してどうしたの?」
「そうだよ父さん。せっかくの誕生日なのに」
「何か心配事があるの?」
男は、50年前の占いの話を家族に聞かせた。
家族にも自分の寿命を知ってもらった方が、悲しませずに済むと思ったからだ。
「あはは…。やだ、何それ~」
娘が吹き出した。
「何事かと思ったら占い? 父さん、そんなの信じるの?」
「だって、子供の数も孫の数も当たっているじゃないか」
「子供が2人で孫が3人なんて、珍しくも何ともないわ」
「そうよあなた。私の友達だって子供2人と孫3人なんて、石投げれば当たるほどいるわよ」
「適当にありそうなことを言ってるんだよ」
家族みんながどっと笑った。
そうか。そう言われてみれば、まったく死ぬような気配もないじゃないか、健康だし。
男はそう思い直した。気持ちがすうっと楽になった。
「ところで、あなた」
妻が静かな声で言って、男の顔を覗き込んだ。
「その占いって、誰と行ったんですの? 50年前といえば、もう私たちお付き合いしていましたわよねえ」
男はギクッと身を縮めた。妻は本当に怒った時に言葉が丁寧になる。
「いや…、男友達だったかな」
「あなた、はっきりとガールフレンドと言いましたわよ」
「ええ…と」
「二股かけていたんですか?そういえば思い当たることがありますわ」
「お父さん、最低!」
「そんな人だと思わなかったよ。母さんがかわいそうだ」
「じいじ、ひど~い」
「ずっと私を騙してたんですのね。しくしく」
一瞬にして空気が冷え切った。
家族全員の冷たい視線にさらされながら、男は居心地の悪さと闘った。
幸せだった男の人生は、この時いったん幕を閉じた。
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2013-01-16 17:17
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コメント(8)
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きゃはは!そっか、幸せな人生の幕がいったん閉じたのですね。
え!それって、これからどんな人生が待ってるの?
なぜか、怖い予感がするのは、私だけでしょうか。。。ね。
by haru (2013-01-16 20:26)
70歳って、なんかまだ若いですよね。
死にたくないなあ。
でも、世の中には、すぐにでも死にたいって
考える人もいるんですよね。
ああ、長生きしたい!
by ヴァッキーノ (2013-01-16 22:20)
いいですねぇ、そういう意味での人生の幕閉じ。
僕なんかなんべん人生終わっちゃったやら・・・。
75歳で芥川賞ってニュースになってますね。
しかもインタビューにこたえている様子がカクシャクとかのレベルじゃなく、まさしく現役。ボクもそのくらいの年齢までブログを続けたいものです。
by 矢菱虎犇 (2013-01-17 12:01)
これからは、針のむしろの人生?
うーん、そうはならないような気がしますね。
なにぶん、夫婦ともにご高齢ですから、その日はちょっと皮肉を言われて、次の日からはこれまで通りの人生が…
続くと思ったら交通事故で…
なんて。
by 海野久実 (2013-01-17 15:57)
<haruさん>
50年も前の話ですからね。
奥さん、何も泣かなくてもねえ(笑)
私だったら全然許しますけどねえ。
haruさんはどう?
by リンさん (2013-01-19 17:40)
<ヴァッキーノさん>
70歳ってまだまだ若いですよ。
私の母は今年80だけど、すごく元気です。
張り切ってます。
人生100年の時代がきっと来ますね。
by リンさん (2013-01-19 17:42)
<矢菱さん>
75歳で芥川賞をとった黒田さん、ホントに素晴らしいですね。
人間、いつ花が開くかわかりませんね。
やっぱり書き続けることが大事ですね。
by リンさん (2013-01-19 17:45)
<海野久実さん>
そうですね。私もそう思います。
次の日はケロッとしているかも。
交通事故は…どうでしょうね。ブラックだなあ(笑)
by リンさん (2013-01-19 17:47)