若葉と紅葉 [短編]
わたしは車です。ちょっと古いシルバーのセダンです。
わたしのご主人は75歳のおじいさんです。ベテランのドライバーです。
最近、新しいご主人が増えました。
18歳のお嬢さんです。免許取り立てです。
だからわたしには、若葉マークと紅葉マークが、並んで貼ってあるのです。
おじいさんの運転は安心です。スピードも出さずスムーズです。
演歌を聞きながら鼻歌を歌ったり、落語を聞いて笑ったりします。
お嬢さんの運転は怖いです。急ブレーキをかけたり右折がなかなか出来なかったりします。
わけのわからない音楽を聞きます。ファザードってどれだっけ?と言ったりします。
洗車は、もっぱらおじいさんがやってくれますが、時々お嬢さんも手伝います。
「ねえ、おじいちゃん、そろそろ車買い換えない?」
「ミホの運転が上達したらな」
そんな会話を聞くと、わたしは願ってしまいます。
どうかお嬢さんの運転が、ずっと下手でありますように…と。
ある雨の夜です。わたしに乗っていたのはお嬢さんです。
突然わたしの前に、となりの車線の車が横入りして来ました。
ウインカーも出さずに急に入って来たから、お嬢さんは慌ててハンドルを切りました。
運悪く雨でスリップして、わたしはガードレールにぶつかりました。
左前がぐしゃっとへこみ、ライトも割れました。幸いお嬢さんは無事でした。
すぐ後ろを走っていた車から、若い男が降りてきて「大丈夫ですか?」と聞きました。
お嬢さんは気が動転して、見知らぬ男の胸にすがって泣きました。
わたしは、修理に出されました。
なに、たいしたことはありません。すっかりきれいに直りました。
お嬢さんは落ち込んで、しばらく雨の夜の運転を控えました。
でも、1ヶ月もしたらケロッと元通り。若いっていいですね。
ところで、最近おじいさんは、すっかりわたしに乗らなくなりました。
春が近づいてきたある日、お嬢さんが念入りにわたしを掃除してくれました。
柔らかい香りの芳香剤を付けて、可愛いマスコットを飾ってくれました。
鼻歌を歌いながら車に乗り込み、しばらく走ると車を停めました。
そこで男が助手席に乗り込みました。
あの事故の日にお嬢さんに胸を貸した好青年です。
「お休みの日に付き合わせちゃってすみません」
「いいよ。ミホちゃんの車でドライブなんて楽しみだ」
「ホントですか?怖くないですか?」
ちょっとよそゆきのお嬢さんの声。初々しいですね。
わたしは、初めて高速道路に乗りました。
お嬢さんは、初めての遠出が不安で、彼に一緒に乗ってもらったようです。
お嬢さんはずっと緊張してハンドルを握っていました。
ひと言も話しません。余裕がないんです。
彼の方は、「ゆっくりでいいよ」とか「左によって」とか「次の出口で降りるよ」とか、的確なフォローをしました。
高速を降りると海辺の町です。
海岸沿いを走って、わたしは白い病院に着きました。
「おじいちゃんが、このホスピタルに入院してるの」
お嬢さんが言いました。そうだったんですか。
おじいさんが車いすで近づいてきました。
「ミホ、こんな遠くまでよく来れたな」
「うん。もうすぐ若葉マークも取れるよ」
お嬢さんは照れながら彼を紹介して、緊張がほぐれたのかやっと笑いました。
「ミホがそんなに上達したなら、新しい車を買わなきゃな」
「いいよ。あたし、もうしばらくこの車に乗るよ。だってこれはおじいちゃんの車でしょう。紅葉マークも付いてるし。あたしね、この車と一緒に、おじいちゃんが帰ってくるのを待ってるから」
おじいさんは、目に涙をためて、かすかに笑いました。
おじいさんがわたしに乗ることは、もうないかもしれません。
だけど春の風は優しくて、3人は穏やかに笑っていました。
わたしはいつまでもここにいたいと思うのでした。
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わたしのご主人は75歳のおじいさんです。ベテランのドライバーです。
最近、新しいご主人が増えました。
18歳のお嬢さんです。免許取り立てです。
だからわたしには、若葉マークと紅葉マークが、並んで貼ってあるのです。
おじいさんの運転は安心です。スピードも出さずスムーズです。
演歌を聞きながら鼻歌を歌ったり、落語を聞いて笑ったりします。
お嬢さんの運転は怖いです。急ブレーキをかけたり右折がなかなか出来なかったりします。
わけのわからない音楽を聞きます。ファザードってどれだっけ?と言ったりします。
洗車は、もっぱらおじいさんがやってくれますが、時々お嬢さんも手伝います。
「ねえ、おじいちゃん、そろそろ車買い換えない?」
「ミホの運転が上達したらな」
そんな会話を聞くと、わたしは願ってしまいます。
どうかお嬢さんの運転が、ずっと下手でありますように…と。
ある雨の夜です。わたしに乗っていたのはお嬢さんです。
突然わたしの前に、となりの車線の車が横入りして来ました。
ウインカーも出さずに急に入って来たから、お嬢さんは慌ててハンドルを切りました。
運悪く雨でスリップして、わたしはガードレールにぶつかりました。
左前がぐしゃっとへこみ、ライトも割れました。幸いお嬢さんは無事でした。
すぐ後ろを走っていた車から、若い男が降りてきて「大丈夫ですか?」と聞きました。
お嬢さんは気が動転して、見知らぬ男の胸にすがって泣きました。
わたしは、修理に出されました。
なに、たいしたことはありません。すっかりきれいに直りました。
お嬢さんは落ち込んで、しばらく雨の夜の運転を控えました。
でも、1ヶ月もしたらケロッと元通り。若いっていいですね。
ところで、最近おじいさんは、すっかりわたしに乗らなくなりました。
春が近づいてきたある日、お嬢さんが念入りにわたしを掃除してくれました。
柔らかい香りの芳香剤を付けて、可愛いマスコットを飾ってくれました。
鼻歌を歌いながら車に乗り込み、しばらく走ると車を停めました。
そこで男が助手席に乗り込みました。
あの事故の日にお嬢さんに胸を貸した好青年です。
「お休みの日に付き合わせちゃってすみません」
「いいよ。ミホちゃんの車でドライブなんて楽しみだ」
「ホントですか?怖くないですか?」
ちょっとよそゆきのお嬢さんの声。初々しいですね。
わたしは、初めて高速道路に乗りました。
お嬢さんは、初めての遠出が不安で、彼に一緒に乗ってもらったようです。
お嬢さんはずっと緊張してハンドルを握っていました。
ひと言も話しません。余裕がないんです。
彼の方は、「ゆっくりでいいよ」とか「左によって」とか「次の出口で降りるよ」とか、的確なフォローをしました。
高速を降りると海辺の町です。
海岸沿いを走って、わたしは白い病院に着きました。
「おじいちゃんが、このホスピタルに入院してるの」
お嬢さんが言いました。そうだったんですか。
おじいさんが車いすで近づいてきました。
「ミホ、こんな遠くまでよく来れたな」
「うん。もうすぐ若葉マークも取れるよ」
お嬢さんは照れながら彼を紹介して、緊張がほぐれたのかやっと笑いました。
「ミホがそんなに上達したなら、新しい車を買わなきゃな」
「いいよ。あたし、もうしばらくこの車に乗るよ。だってこれはおじいちゃんの車でしょう。紅葉マークも付いてるし。あたしね、この車と一緒に、おじいちゃんが帰ってくるのを待ってるから」
おじいさんは、目に涙をためて、かすかに笑いました。
おじいさんがわたしに乗ることは、もうないかもしれません。
だけど春の風は優しくて、3人は穏やかに笑っていました。
わたしはいつまでもここにいたいと思うのでした。
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2013-03-01 06:24
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ほんわか心か暖かくなるお話です。
古い車を通しておじいさんと孫娘の心の通い合う様子が
心地よく伝わってきます。
「胸を貸した好青年...」若いっていいですね。
by dan (2013-03-01 23:17)
まあ、何てほんわかしたお話。
もう心には春が来ちゃいました。
車の目を通して描く優しいお話。
その優しさにばかりほんわかしてられないですよ、小説書きとしては。
なかなかテクニックの有る作品です。
by 海野久実 (2013-03-02 00:12)
車目線で描いた大人の童話って感じがステキです。
前々回のムラサキさんやらハンバーグさんやら、いろんな「モノ」目線で語るって路線、りんさんのお話の中でいくつかありますよね。今回のとか、枯葉を主人公にしたのとか印象深いなあ。心の機微をモノが観察して描くってのは、読み手もピュアに引きこまれます。う~む、さすが!
by 矢菱虎犇 (2013-03-02 10:57)
<danさん>
ありがとうございます。
胸を貸した好青年が、いい人でよかった^^
出会いって、思わぬところにあるものですね。
by リンさん (2013-03-03 07:18)
<海野久実さん>
最近教習所の車をよく見かけるので、若葉マークの話を書こうと思ったんです。
車目線の方が、書きやすかったです。
最初は車に名前とか付けようと思ったけど、あえてしませんでした^^
いつもありがとうございま~す^^
by リンさん (2013-03-03 07:21)
<矢菱さん>
ありがとうございます。
そうですね。大人の童話ですね。
物目線の話は、時々書きたくなります。
私、若いころすべての電気製品に名前を付けてたんです。
あ、そろそろマルちゃん(掃除機)かけよう(笑)
by リンさん (2013-03-03 07:25)