梅雨明け [短編]
初めて圭太が店に来たのは、ねっとりとした風がまとわりつく雨の夜だった。
こんな場末のスナックに、若い男が来るなんて珍しい。
無口でやけに攻撃的で、時折り他の客と軽い諍いを起こす。
決してありがたい客ではなかった。
だけど私は、圭太が来るのを心待ちにした。きっと好みのタイプなのだ。
今日も雨。店の客は圭太ひとりだ。
「あんたって雨男だね。あんたが来る日はいつも雨だよ」
「梅雨だからだろ」
圭太は相変らず不機嫌そうにビールを飲んだ。
「あんたってさ、いったい何が不満なの? 失恋でもした? それとも、就職活動が上手くいかないとか? そんなにとんがらなくてもいいんじゃない?」
「べつに」
「嫌なこともあるだろうけどさ、世の中にはもっと不幸な人間いっぱいいるよ」
がらにもなく説教をしながら、自分の若い頃を思い出して苦笑した。
とても褒められた人生じゃない。
「じゃあさ、ママさんの不幸ばなし聞かせてよ」
圭太が、深い瞳でじっと見た。私は慌てて目をそらし、自分用に水割りを作った。
とてもしらふで話せることではない。
私の人生で、もっとも悲しかったのは18歳の夏だった。
初恋の相手は、同じクラスの優等生。
私たちは付き合い始めた。何もかもが楽しかった。
そう…私が妊娠するまでは。
まさかと思った。だけど私は産みたかったし、彼も学校をやめて働くと言ってくれた。
許さなかったのは親たちだ。当然のことだと思う。
私はともかく、彼はとても優秀だったから。
私たちは駆け落ちをした。海辺の町に逃げて数か月、民宿で働きながら過ごした。
お腹がどんどん大きくなると、彼はどんどん逃げ腰になった。
父親になる覚悟なんて、彼にはまだ出来ていなかった。18歳だから仕方ない。
彼はとうとう親に連絡をしてしまった。
そしてあの日、彼の親と私の親が訪ねてきた。私はとにかく逃げた。
夢中で逃げて、桟橋から海に落ちてしまった。
気づいたら病院。空っぽのお腹をさすりながら、私は一生分の涙を流した。
彼とは、それっきり会っていない。20年以上も前の辛い思い出だ。
「あたしが悪いんだ。あたしが逃げなければ、子供は無事に生まれたのにさ」
2杯目の水割りを飲み干して、私は久しぶりに切なくなった。
圭太はひと言も口を挟まずに、グラスの氷を見つめていた。
「次は俺の番だね」
「え?」
「俺の不幸ばなしだよ」
俺には両親はいない。生まれてすぐに捨てられた。
海辺の町の養護施設で12歳まで育った。べつに不幸ではなかった。
施設には友達もいたし、先生も優しかった。
12歳のある日、ひとりの男が訪ねてきた。俺の父親だという。
そいつは数年前に結婚したけど、相手の女性は子供が出来ない体だと言った。
このままでは困る。そいつは会社を経営していたから、後継ぎが欲しかったんだ。
そこで思い出した。高校生の頃に付き合っていた女が自分の子供を産んだこと。
生まれた子供は、事故で彼女が眠っているあいだに、施設に預けられたこと。
その子が俺だ。そうして俺は父親に引き取られた。不幸の始まりはそこからだ。
子供ができないはずの母親に子供が出来た。俺が15歳の時だ。
その子が男の子だったから、俺はすっかり邪魔者だ。
居場所を失くして、18歳で家出した。捜してももらえなかった。
「信じられる?人生で2回も親に捨てられたんだぜ」
圭太は、口元だけで小さく笑った。
私は、今度は目をそらさずに、圭太の瞳をじっと見た。
この子を心待ちにしたのは、好みのタイプだったからじゃない。
忘れられない初恋の男に、よく似ていたからだ。
圭太は千円札を2枚置いて立ち上がる。
その背中に、私は思わず叫んだ。
「また来るよね」
圭太は微かに首を傾け「さあね」とドアに手をかけた。
「もう、梅雨明けだしね」
少しだけ、肩の力が抜けたような背中を、私はただ見送るしかなかった。
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こんな場末のスナックに、若い男が来るなんて珍しい。
無口でやけに攻撃的で、時折り他の客と軽い諍いを起こす。
決してありがたい客ではなかった。
だけど私は、圭太が来るのを心待ちにした。きっと好みのタイプなのだ。
今日も雨。店の客は圭太ひとりだ。
「あんたって雨男だね。あんたが来る日はいつも雨だよ」
「梅雨だからだろ」
圭太は相変らず不機嫌そうにビールを飲んだ。
「あんたってさ、いったい何が不満なの? 失恋でもした? それとも、就職活動が上手くいかないとか? そんなにとんがらなくてもいいんじゃない?」
「べつに」
「嫌なこともあるだろうけどさ、世の中にはもっと不幸な人間いっぱいいるよ」
がらにもなく説教をしながら、自分の若い頃を思い出して苦笑した。
とても褒められた人生じゃない。
「じゃあさ、ママさんの不幸ばなし聞かせてよ」
圭太が、深い瞳でじっと見た。私は慌てて目をそらし、自分用に水割りを作った。
とてもしらふで話せることではない。
私の人生で、もっとも悲しかったのは18歳の夏だった。
初恋の相手は、同じクラスの優等生。
私たちは付き合い始めた。何もかもが楽しかった。
そう…私が妊娠するまでは。
まさかと思った。だけど私は産みたかったし、彼も学校をやめて働くと言ってくれた。
許さなかったのは親たちだ。当然のことだと思う。
私はともかく、彼はとても優秀だったから。
私たちは駆け落ちをした。海辺の町に逃げて数か月、民宿で働きながら過ごした。
お腹がどんどん大きくなると、彼はどんどん逃げ腰になった。
父親になる覚悟なんて、彼にはまだ出来ていなかった。18歳だから仕方ない。
彼はとうとう親に連絡をしてしまった。
そしてあの日、彼の親と私の親が訪ねてきた。私はとにかく逃げた。
夢中で逃げて、桟橋から海に落ちてしまった。
気づいたら病院。空っぽのお腹をさすりながら、私は一生分の涙を流した。
彼とは、それっきり会っていない。20年以上も前の辛い思い出だ。
「あたしが悪いんだ。あたしが逃げなければ、子供は無事に生まれたのにさ」
2杯目の水割りを飲み干して、私は久しぶりに切なくなった。
圭太はひと言も口を挟まずに、グラスの氷を見つめていた。
「次は俺の番だね」
「え?」
「俺の不幸ばなしだよ」
俺には両親はいない。生まれてすぐに捨てられた。
海辺の町の養護施設で12歳まで育った。べつに不幸ではなかった。
施設には友達もいたし、先生も優しかった。
12歳のある日、ひとりの男が訪ねてきた。俺の父親だという。
そいつは数年前に結婚したけど、相手の女性は子供が出来ない体だと言った。
このままでは困る。そいつは会社を経営していたから、後継ぎが欲しかったんだ。
そこで思い出した。高校生の頃に付き合っていた女が自分の子供を産んだこと。
生まれた子供は、事故で彼女が眠っているあいだに、施設に預けられたこと。
その子が俺だ。そうして俺は父親に引き取られた。不幸の始まりはそこからだ。
子供ができないはずの母親に子供が出来た。俺が15歳の時だ。
その子が男の子だったから、俺はすっかり邪魔者だ。
居場所を失くして、18歳で家出した。捜してももらえなかった。
「信じられる?人生で2回も親に捨てられたんだぜ」
圭太は、口元だけで小さく笑った。
私は、今度は目をそらさずに、圭太の瞳をじっと見た。
この子を心待ちにしたのは、好みのタイプだったからじゃない。
忘れられない初恋の男に、よく似ていたからだ。
圭太は千円札を2枚置いて立ち上がる。
その背中に、私は思わず叫んだ。
「また来るよね」
圭太は微かに首を傾け「さあね」とドアに手をかけた。
「もう、梅雨明けだしね」
少しだけ、肩の力が抜けたような背中を、私はただ見送るしかなかった。
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2013-07-06 12:00
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コメント(12)
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【 調子良さ気ですなw 】
(*´∀`)ノシ
りんさん、調子良さそうですなw
調子に乗って、第二部を始めてしまった四草めぐるですw
……と、こちらの話ですね。
このお話、最後に全てがバランス良くまとまるいいお話ですねw
梅雨明けとも上手くかかっていますし、秀逸です!
でも、結局、主人は告白するのでしょうか。
黙ったまま、場末のバーの主人とお客の関係を続けるのでしょうか。
それが気になった四草めぐるですw
しかし、こういう二人の男女が行き違うお話を書かせたら最高ですね!
今回も最後まで、じっくりと楽しませて頂きましたw
では、では。
草々。
by 四草めぐる (2013-07-06 22:09)
多くを語らなくてもお互いわかってる
そういう事かなって思いました。
じーんとくるいいお話でした^^
by みかん (2013-07-06 23:12)
驚く風もなく次は俺の番って言った息子は、これが自分の画く母親かもと感じながら来ていたのかしらん。
by さきしなのてるりん (2013-07-07 07:41)
はぁ~(タメイキ)
いいですね。
そうかそうか。
先にママさんに不幸話をさせたのは、母親が自分を捨てたのかどうか、捨てられたにせよ、その事情を知りたかったんでしょうね。
それを聞いた上で、圭太は自分の態度を決めようと思っていたんでしょうか?
はっきり見捨てられたという事なら恨みつらみをぶちまけてやろうとか、どうしようもない事情があったなら何も言わずに立ち去ろうとか、いろいろ考えたんでしょうね。
このお話の最後の場面では圭太はこれからどうするか、まだ自分の気持ちがはっきり固まってはいないような気がしますね。
ただ事情が判ったことで母親に対しての恨みはなくなったかもしれませんね。
しかし、お店のママさんと言う設定はよく考えましたね。
普通の主婦なら他人だと思っている男にそこまでぶっちゃけて不幸話はしないでしょうから。
これはもっとじっくりと30枚ぐらいの短編作品として読みたいような気がします。
by 海野久実 (2013-07-07 14:03)
まだ5時台の朝のワンコの散歩の時に梅雨が明けたのではないかと感じました。でニュースを見るとやっぱり梅雨明けでした。確かに昨日の午後からは天気がよくなりましたね。
by SORI (2013-07-07 17:09)
いつものリンさんと少し違った作品でした。
こういうのも凄くいいです。雨の夜の場末のスナックが
映画の場面のように浮かんできます。
これからの圭太は幸せになれそうな予感がします。
by dan (2013-07-07 20:48)
<四草めぐるさん>
いつもありがとうございます。
この続きは、お好きなように想像していただけたらと思います。
私的には、雨とともに現れて、梅雨明けとともに去っていく。
おそらく、もう会わないつもりなのだと思います。
圭太の肩の力が抜けて、前を向いて歩いてくれたらいいと思います。
by リンさん (2013-07-09 16:48)
<みかんさん>
ありがとうございます。
そうですね。
お互い、いつか笑顔で再会できたらいいですね。
by リンさん (2013-07-09 16:53)
<さぎしなのてるりんさん>
そうです。彼は何かで母親のことを知って、確かめたかったんだと思います。どんな気持ちで自分を産んだのか…。
生まれたことも知らなかったなんてね^^
ひどい話です。
by リンさん (2013-07-09 16:55)
<海野久実さん>
ありがとうございます。
はいはい、その通りです。
圭太は母親の話を聞いて、自分のことを話したんです。
最後に「肩の力が抜けた」と書きましたが、母親の想いを知って憎しみが軽くなったんですね。
最初は、圭太はこのスナックでバイトしている設定でしたが、客の方が書きやすかったので変えました。
by リンさん (2013-07-09 17:01)
<SORIさん>
梅雨明けとともに、すごい猛暑です。
お身体ご自愛くださいね。
by リンさん (2013-07-09 17:02)
<danさん>
ありがとうございます。
こういうちょっと深刻な話を書くときは、こういう経験を実際にしている人が読んだらどうしよう…とドキドキしてしまいます。
だからせめて最後に希望を持たせるように書いています。
幸せになれそうな予感…と思っていただけてよかったです。
by リンさん (2013-07-09 17:05)