大人になるまで [ファンタジー]
昔の話だ。今は遠い故郷で、私はじいちゃんと暮らしていた。
じいちゃんはその日、山へ猟に行ったきり帰って来なかった。
私はわずか12歳の子供だった。両親を早くに亡くし、身内はじいちゃんだけだ。
不安で眠れない夜を2晩過ごした朝、じいちゃんはひょっこり帰ってきた。
「今帰(けえ)ったぞ」といつものように言った。私はじいちゃんの胸にすがって泣いた。
埃っぽい上着に染みついた獣の匂いが、私を安心させた。
じいちゃんは、その日を境に人が変わったように無口になった。
酒も飲まず、夜は驚くほど早く寝てしまい、陽が沈んでからはいっさい外へ出なかった。
山へ行くのもやめてしまった。畑を細々と耕しながら暮らした。
貧しかったけれど、不自由は感じなかった。そういう時代だったのだ。
私は中学生になり、学校へ行きながらじいちゃんを手伝った。
早く大人になって、じいちゃんに楽をさせたいと心から思った。
秋が深まった頃だった。じいちゃんが突然病気になった。
苦しそうに腹をおさえ、食事もとらない。
「医者を呼ぼうか」と言うと、じいちゃんは私の腕をおさえて「やめろ」と言った。
「山に生えている薬草を食えば治るで、その薬草を採って来てくれ」
じいちゃんは苦しそうにそう言って、薬草の絵と地図を書いた。
私はそれをたよりに山へ入った。
子供の頃からじいちゃんと入っていた山だ。迷う筈がない。
1時間ほど歩いて薬草の場所に辿りついた。
崖の斜面にそれはあった。
木の枝につかまりながら手を伸ばし、ようやく薬草を掴んだとき、全体重を支えていた木の枝が折れた。
私の体は一気に崖を滑り落ちた。
気が付いたとき、荒い息が顔にかかり、ざらついた何かが頬に触れるのを感じた。
恐る恐る薄目を開けると、ふさふさとした毛が月の光を浴びて銀色に輝くのを見た。
低いうなり声をあげて私を見下ろすそれは、物語の挿絵でしか見たことがない動物、狼だった。
こんな近くの山にいるはずがない。夢を見ているのだろうか。
混乱する頭の中に、狼の声が聞こえてきた。
「薬草を採りに来たのか?」
耳ではなく、心で聞いている感覚だった。握りしめた薬草を見ながら、私は頷いた。
「その薬草は、人間には効かない」
「で、でも、じいちゃんが…」
狼のうなり声がピタリと止まった。私の顔を見つめる狼の目は、不思議と少しも怖くない。
「背中に乗れ」と、狼は言った。躊躇した私に「早くしろ」と激しく吠えた。
私が背中に乗ると、狼はすごい勢いで崖を駆け登り、そのまま一気に山道を走りだした。
私はとにかく振り落とされないように必死でつかまった。
羊歯や木の枝が腕に当たって痛かったけれど、じいちゃんの薬草だけは死んでも放さないと決めて耐えた。
里に近づくと、狼はゆっくりと止まった。
私はいくらかふらつきながら狼の背中から降りた。
「ありがとう」と深々と頭を下げ、走り去ろうとした私を狼が呼び止めた。
「ぼうず、おまえはいつ大人になるのだ」
悲しいような優しいような目だった。
「あと2年で中学を卒業する。そしたら働きに出るんだ」と私は答えた。
狼は「あと2年だな」と念を押して月の夜道を帰って行った。
じいちゃんは、薬草を食べたら驚くほどに回復した。
季節が過ぎると、山で逢った狼はやはり夢だったと思うようになった。
それだけ平穏な毎日が続いた。
そして私は無事に中学を卒業した。少し離れた町の工場で働くことが決まり、家を出ることになった。
村を離れる最後の夜、じいちゃんは珍しく遅くまで起きていた。
ゆっくりとご飯を食べたあと、私の顔をしみじみと見つめて言った。
「大人になったんだな」
「うん。これからは僕が働くからね」
じいちゃんは、そうかと頷きながら、少し寂しそうに頭を傾けた。
夜中に外で物音がした。私は布団を抜けてそっと障子を開けて外を見た。
じいちゃんが月の光を浴びて立っていた。
その体は、見る見るうちに銀色の毛で覆われ、うなり声とともに牙が生えた。
四つん這いになったじいちゃんは、あの日山で見た狼と同じ姿になった。
ああそうか、じいちゃんはやはり3年前のあの日に死んだんだ、と私は漠然と思った。
じいちゃんの最期を看取ったのは、きっとあの狼だ。
最期まで孫を気遣うじいちゃんに代って、私を育ててくれたのだ。
狼は、大きな月に向かって飛ぶようにジャンプして、山に住む仲間の元へ帰って行った。
私は山に向かって手を合わせた。
「ありがとう。さようなら」
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じいちゃんはその日、山へ猟に行ったきり帰って来なかった。
私はわずか12歳の子供だった。両親を早くに亡くし、身内はじいちゃんだけだ。
不安で眠れない夜を2晩過ごした朝、じいちゃんはひょっこり帰ってきた。
「今帰(けえ)ったぞ」といつものように言った。私はじいちゃんの胸にすがって泣いた。
埃っぽい上着に染みついた獣の匂いが、私を安心させた。
じいちゃんは、その日を境に人が変わったように無口になった。
酒も飲まず、夜は驚くほど早く寝てしまい、陽が沈んでからはいっさい外へ出なかった。
山へ行くのもやめてしまった。畑を細々と耕しながら暮らした。
貧しかったけれど、不自由は感じなかった。そういう時代だったのだ。
私は中学生になり、学校へ行きながらじいちゃんを手伝った。
早く大人になって、じいちゃんに楽をさせたいと心から思った。
秋が深まった頃だった。じいちゃんが突然病気になった。
苦しそうに腹をおさえ、食事もとらない。
「医者を呼ぼうか」と言うと、じいちゃんは私の腕をおさえて「やめろ」と言った。
「山に生えている薬草を食えば治るで、その薬草を採って来てくれ」
じいちゃんは苦しそうにそう言って、薬草の絵と地図を書いた。
私はそれをたよりに山へ入った。
子供の頃からじいちゃんと入っていた山だ。迷う筈がない。
1時間ほど歩いて薬草の場所に辿りついた。
崖の斜面にそれはあった。
木の枝につかまりながら手を伸ばし、ようやく薬草を掴んだとき、全体重を支えていた木の枝が折れた。
私の体は一気に崖を滑り落ちた。
気が付いたとき、荒い息が顔にかかり、ざらついた何かが頬に触れるのを感じた。
恐る恐る薄目を開けると、ふさふさとした毛が月の光を浴びて銀色に輝くのを見た。
低いうなり声をあげて私を見下ろすそれは、物語の挿絵でしか見たことがない動物、狼だった。
こんな近くの山にいるはずがない。夢を見ているのだろうか。
混乱する頭の中に、狼の声が聞こえてきた。
「薬草を採りに来たのか?」
耳ではなく、心で聞いている感覚だった。握りしめた薬草を見ながら、私は頷いた。
「その薬草は、人間には効かない」
「で、でも、じいちゃんが…」
狼のうなり声がピタリと止まった。私の顔を見つめる狼の目は、不思議と少しも怖くない。
「背中に乗れ」と、狼は言った。躊躇した私に「早くしろ」と激しく吠えた。
私が背中に乗ると、狼はすごい勢いで崖を駆け登り、そのまま一気に山道を走りだした。
私はとにかく振り落とされないように必死でつかまった。
羊歯や木の枝が腕に当たって痛かったけれど、じいちゃんの薬草だけは死んでも放さないと決めて耐えた。
里に近づくと、狼はゆっくりと止まった。
私はいくらかふらつきながら狼の背中から降りた。
「ありがとう」と深々と頭を下げ、走り去ろうとした私を狼が呼び止めた。
「ぼうず、おまえはいつ大人になるのだ」
悲しいような優しいような目だった。
「あと2年で中学を卒業する。そしたら働きに出るんだ」と私は答えた。
狼は「あと2年だな」と念を押して月の夜道を帰って行った。
じいちゃんは、薬草を食べたら驚くほどに回復した。
季節が過ぎると、山で逢った狼はやはり夢だったと思うようになった。
それだけ平穏な毎日が続いた。
そして私は無事に中学を卒業した。少し離れた町の工場で働くことが決まり、家を出ることになった。
村を離れる最後の夜、じいちゃんは珍しく遅くまで起きていた。
ゆっくりとご飯を食べたあと、私の顔をしみじみと見つめて言った。
「大人になったんだな」
「うん。これからは僕が働くからね」
じいちゃんは、そうかと頷きながら、少し寂しそうに頭を傾けた。
夜中に外で物音がした。私は布団を抜けてそっと障子を開けて外を見た。
じいちゃんが月の光を浴びて立っていた。
その体は、見る見るうちに銀色の毛で覆われ、うなり声とともに牙が生えた。
四つん這いになったじいちゃんは、あの日山で見た狼と同じ姿になった。
ああそうか、じいちゃんはやはり3年前のあの日に死んだんだ、と私は漠然と思った。
じいちゃんの最期を看取ったのは、きっとあの狼だ。
最期まで孫を気遣うじいちゃんに代って、私を育ててくれたのだ。
狼は、大きな月に向かって飛ぶようにジャンプして、山に住む仲間の元へ帰って行った。
私は山に向かって手を合わせた。
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2015-02-18 22:54
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コメント(9)
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リンさんさん おはようございます。
孫を気遣うじいちゃんの気持ちが狼に通じたのですね。感動の物語です。
by SORI (2015-02-19 05:55)
いい話ですね。感動しました。
狼の(もちろん絶滅したとされる日本狼ですね)生き物としての、上等さがよく判る作品です。
先日亡くなった平井和正さんは、
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/d05fe11476125c6efe0695e89f4f9627
狼の気高さ、優しさ、雄雄しさをだれよりも表現した作家でした。この作品、平井さんへのいい供養になると思います。
by 雫石鉄也 (2015-02-19 13:38)
冬の澄んだ空気のようなぴりっとした筋が一本
通っているような物語でした。思わず居住まいを正して
読むべき.....とか思ってしまいました。
私もじいちゃんも狼も私にはしっかり見えました。
by dan (2015-02-20 14:29)
<SORIさん>
ありがとうございます。
感動していただけて本当に嬉しいです。
by リンさん (2015-02-21 17:49)
<雫石鉄也さん>
ありがとうございます。
狼は、気高く孤独なイメージですね。
狼男がいるのだから、こんなふうに人間になることもあるのかも、と思いました。
平井和正さんの本を読んでみたくて、地元の図書館で探しましたがありませんでした。
機会を見つけてぜひ読んでみようと思います。
by リンさん (2015-02-21 17:55)
<danさん>
ありがとうございます。
絵を思い描いていただけるのは嬉しいです。
冬の澄んだ空気のような…そんなふうに感じていただけたんですね。
すごく嬉しい表現です。
by リンさん (2015-02-21 18:00)
いいですねー
凛とした空気感。
雄大な自然の風景を想像させるお話でした。
ん?
でも少し疑問が。
このお話に出てくる狼は爺ちゃんに変身していた一匹だけ?
主人公を助けた狼が、またおじいさんに変身したのかと思って読み直してみるとやはり狼は二匹いるようですね。
この二匹の狼は夫婦でしょうか?
最後の場面で山へ帰って行く爺ちゃん狼を、主人公を助けた狼が迎えに来ている場面とかあれば勘違いしなかったと思います。
勘違いしてるのはお前だけだよと言われそう(笑)
by 海野久実 (2015-02-23 14:20)
こんにちは。
スペースお借り致します。
お友達がたくさん出来て、投稿に参加する度ごとに直筆のカード式のファンレターが3~30枚以上届く文芸サークル(投稿雑誌)をやっています。
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これからもブログの運営頑張って下さい。
失礼致しました。
by つねさん (2015-02-23 16:14)
<海野久実さん>
ありがとうございます。
そうです。狼は2匹います。
ちょっとわかりづらかったですね。
いちおう「仲間の元に帰った」と書いていたので、そこで察していただけたらありがたいです^^
by リンさん (2015-02-25 23:23)