最後のレストラン
男は、この春会社をリストラされた。
再就職はうまくいかず、酒におぼれ、妻は中学生の娘を連れて実家に帰った。
何もかも失った。
「もう生きている価値もない」と口癖のようにつぶやく。
財布の中の所持金は、2500円。
これっぽっちを家族に残しても仕方ない。
この金で、今夜食事をしよう。最後の晩餐だ。
男は、自ら命を絶つことを決めていた。
男がまだ幸せだったころ、家族でたまに訪れたレストランを選んだ。
目を輝かせてお子様ランチを見つめる娘、妻と男はグラスワインを傾けて、ささやかな贅沢を楽しんだ。懐かしい店だ。最後の晩餐にふさわしい。
男はラストオーダーギリギリの時間に行った。
幸せそうな家族連れを見たくなかったからだ。
「いらっしゃいませ」
男を迎えた店員たちが、いっせいにクラッカーを鳴らした。
「おめでとうございます!」
「え? なに?」
くす玉が割られた。何かの祝いだろうか。男は戸惑った。
「おめでとうございます。お客様は、当店最後のお客さまです」
「最後の客?」
「今日で店を閉めることになりまして。本日は、家族みんなで精一杯のおもてなしをさせていただきます」
男は中央のテーブルに案内された。
シェフとその妻、娘と息子。心なしか寂しげに見える。
近くにチェーン展開をするレストランが増えて、経営が苦しくなったのだろうか。
気の毒だ。他人ごとではないと、男は思った。
ワインが運ばれてきた。ずいぶん高そうなワインだ。
「いや、頼んでないけど」
「本日は、最高級のワインとお料理をサービスさせていただきます」
男が戸惑っていると、料理が次々運ばれてくる。
この店で一番高いステーキが出てきたときは、さすがにシェフを呼んだ。
「お客様、何かご用でしょうか」
「あの、いくら最後の客だからって、大盤振る舞いしすぎじゃないですか? 今後のために、少しでもお金を残した方が。いや、余計なお世話ですが」
シェフは静かに笑いながら、「かまいません」と言った。
「これっぽっちの金を残しても、仕方ないんです」
男はハッとした。自分と同じだ。
もしや、このシェフ、いや、この家族は、店を閉めた後で一家心中をするのではないか。
そう思って見てみると、すべてが絶望に包まれているように見える。
ひそひそ声で「旅立つ準備はできたか」などと囁き合っている。
男は思わず娘と息子を見た。まだ若い。息子はまだ学生だろう。
だめだ。若い命を巻き込んではだめだ。
男は、信じられないほど柔らかくて美味いステーキをほおばりながら、ボロボロ泣いた。
「お客様、どうされました?」
「シェフを、呼んでください」
男は、涙ながらに話し始めた。
「私は、この春リストラされました。妻子にも逃げられ、すべてが嫌になりました。財布に残った2500円を持って、この店に来ました。最後に思い出のレストランで食事をして、死のうと思ったんです。だけどやめました。あなたの料理を食べて、私は生きる希望を持ちました。だからお願いです。あなたたちも生きてください。こんなおいしい料理が作れるんです。死んでしまったら勿体ないです」
涙ながらに訴える男に、シェフは穏やかに微笑んだ。
「わかりました。いろいろありますが、頑張って生きていきましょう」
男は心底安心して、デザートまできれいに食べて帰った。
明日から、ちゃんと仕事を探そう。日雇いでも何でもいい。
そして、妻と娘を迎えに行こう。そう心に決めた。
男が帰った後のレストラン。
家族で後片付けをしながら、息子がぽつりと言った。
「あの客、なにか勘違いしてたよね」
「そうね。私たち、宝くじが当たって、もっといい場所に大きな店を出すのにね」
「まあ、いいじゃない。パパのお料理で一人の命が救われたのよ」
「さあ、明日からハワイだ。旅立ちの準備は出来てるか?」
「アロハ~」
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再就職はうまくいかず、酒におぼれ、妻は中学生の娘を連れて実家に帰った。
何もかも失った。
「もう生きている価値もない」と口癖のようにつぶやく。
財布の中の所持金は、2500円。
これっぽっちを家族に残しても仕方ない。
この金で、今夜食事をしよう。最後の晩餐だ。
男は、自ら命を絶つことを決めていた。
男がまだ幸せだったころ、家族でたまに訪れたレストランを選んだ。
目を輝かせてお子様ランチを見つめる娘、妻と男はグラスワインを傾けて、ささやかな贅沢を楽しんだ。懐かしい店だ。最後の晩餐にふさわしい。
男はラストオーダーギリギリの時間に行った。
幸せそうな家族連れを見たくなかったからだ。
「いらっしゃいませ」
男を迎えた店員たちが、いっせいにクラッカーを鳴らした。
「おめでとうございます!」
「え? なに?」
くす玉が割られた。何かの祝いだろうか。男は戸惑った。
「おめでとうございます。お客様は、当店最後のお客さまです」
「最後の客?」
「今日で店を閉めることになりまして。本日は、家族みんなで精一杯のおもてなしをさせていただきます」
男は中央のテーブルに案内された。
シェフとその妻、娘と息子。心なしか寂しげに見える。
近くにチェーン展開をするレストランが増えて、経営が苦しくなったのだろうか。
気の毒だ。他人ごとではないと、男は思った。
ワインが運ばれてきた。ずいぶん高そうなワインだ。
「いや、頼んでないけど」
「本日は、最高級のワインとお料理をサービスさせていただきます」
男が戸惑っていると、料理が次々運ばれてくる。
この店で一番高いステーキが出てきたときは、さすがにシェフを呼んだ。
「お客様、何かご用でしょうか」
「あの、いくら最後の客だからって、大盤振る舞いしすぎじゃないですか? 今後のために、少しでもお金を残した方が。いや、余計なお世話ですが」
シェフは静かに笑いながら、「かまいません」と言った。
「これっぽっちの金を残しても、仕方ないんです」
男はハッとした。自分と同じだ。
もしや、このシェフ、いや、この家族は、店を閉めた後で一家心中をするのではないか。
そう思って見てみると、すべてが絶望に包まれているように見える。
ひそひそ声で「旅立つ準備はできたか」などと囁き合っている。
男は思わず娘と息子を見た。まだ若い。息子はまだ学生だろう。
だめだ。若い命を巻き込んではだめだ。
男は、信じられないほど柔らかくて美味いステーキをほおばりながら、ボロボロ泣いた。
「お客様、どうされました?」
「シェフを、呼んでください」
男は、涙ながらに話し始めた。
「私は、この春リストラされました。妻子にも逃げられ、すべてが嫌になりました。財布に残った2500円を持って、この店に来ました。最後に思い出のレストランで食事をして、死のうと思ったんです。だけどやめました。あなたの料理を食べて、私は生きる希望を持ちました。だからお願いです。あなたたちも生きてください。こんなおいしい料理が作れるんです。死んでしまったら勿体ないです」
涙ながらに訴える男に、シェフは穏やかに微笑んだ。
「わかりました。いろいろありますが、頑張って生きていきましょう」
男は心底安心して、デザートまできれいに食べて帰った。
明日から、ちゃんと仕事を探そう。日雇いでも何でもいい。
そして、妻と娘を迎えに行こう。そう心に決めた。
男が帰った後のレストラン。
家族で後片付けをしながら、息子がぽつりと言った。
「あの客、なにか勘違いしてたよね」
「そうね。私たち、宝くじが当たって、もっといい場所に大きな店を出すのにね」
「まあ、いいじゃない。パパのお料理で一人の命が救われたのよ」
「さあ、明日からハワイだ。旅立ちの準備は出来てるか?」
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2016-11-02 14:56
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リンさんさん こんばんは
楽しいストーリだったのですね。なにか裏があるとは思いましたが、まさか宝くじとは思いつきませんでした。
あ~宝くじ当たりたい。
by SORI (2016-11-02 22:30)
いい話ですね。感動しました。
私は、主人公の妻と娘が、先にお店に話しをつけておいて、主人公が来店したら、こういうことをしてくださいと、頼んでおいたのだというオチを考えたのですが。それだと主人公がこの店に来る仕掛けを施す必要がありますね。
やっぱり、宝くじが当たったというのが良かったです。
リストラ経験者で、無職で職探しを経験し、料理が趣味の私にとって、おあつらえ向きの作品でした。
by 雫石鉄也 (2016-11-03 13:33)
後味すっきりでとても前向きに
なれる結末が良かったです(^^)
゙男゙もレストランの陽の気に触れて
きっとこれからの人生、
上向きになっていきそうな気が
します(^^)
by まるこ (2016-11-04 07:49)
ほんの一部だけを聞いた人にとんどもない勘違いをされちゃったこと、人生で何度もありやす。
山らしきものの一部が見えただけで 山に違いない!って思いこんじゃう人多いようで(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2016-11-04 16:52)
感動的なお話で、けっこううるうるしかけてしまいましたが、最後のレストランを経営してる家族のはっちゃけぶりに思わず笑ってしまいました。
せっかくうるうるしかけたのに~
と思わないでもないですが、これはこれでよかったのかも。
このラストでコメディーになっちゃってる?
ちょっとひっかかったところをひとつ。
このレストランが考えた最後のお客様に対するサプライズ企画にちょっと無理がありませんか。
たとえば、ラストオーダーの時間が過ぎた時点で最後のお客様がすでに食事を終わっている可能性。
まあ、その場合そのお客様の食事を無料にするとか、新しい店ができた時の無料招待を約束するとかすればいいですが。
また、例えば、最後のお客が食事を終わって帰ってしまって、しばらくしてラストオーダーの時間が来るということもありますね。
「あらら、さっきのが最後のお客だったね~」
なんて。
つまり、主人公がラストオーダーの時間ギリギリに入ってきて、席についたぐらいに時間が過ぎないとこのサービスは成立しないように思うんですよね。
ですから、これは誰かが主人公に対して仕掛けたのかなと思いながら読んでいったわけです。
実際にこういうサービスをするなら、流動的に計画しないといけないでしょうね。
このお話の主人公のような場合が理想的でしょうが、「たとえば2」の場合ならあらかじめ最後になりそうな何組かのお客さんの住所氏名をお聞きしておいて結果的に最後のお客さんだった人に招待状を出すとかね。
by 海野久実 (2016-11-04 17:27)
タイトルの「最後」と言う言葉から、店にも客にも哀しい結末を想像しながら読んでいました。
「宝くじに当たった」のは、見当違いもいいとこで大笑いの大満足でした。
思い違いや早とちりは時に人の人生を変えてしまうほどのインパクトが
あるからこそ面白いのではないて゛しょうか。
by dan (2016-11-07 13:50)
<SORIさん>
ありがとうございます。
やっぱりハッピーに終わりたかったので、この結末にしました。
私も宝くじ当たりたいです。
by リンさん (2016-11-07 22:35)
<雫石鉄也さん>
ありがとうございます。
勘違いで命が救われるなら、こんないいことはありませんね。
リストラ経験者の雫石さんに認めていただけてよかったです。
by リンさん (2016-11-07 23:04)
<まるこさん>
ありがとうございます。
これがきっかけで、人生上向きになれば本当にいいですね。
by リンさん (2016-11-07 23:09)
<ぼんぼちぼちぼちさん>
ありがとうございます。
そういうこと、ありますね。
一部だけを聞いて「悪口言ってる」って思われちゃったりすると困ってしまいますね。
by リンさん (2016-11-07 23:11)
<海野久実さん>
ありがとうございます。
ご指摘もっともです。
ラストオーダー間際に客が来た時点で、看板を仕舞ったという設定ですが…。
だけど、くす玉まで用意して、誰も来なかったらどうすんのって話ですよね(笑)
by リンさん (2016-11-07 23:19)
<danさん>
ありがとうございます。
希望が持てるラストにしたかったので、宝くじにしました^^
勘違いが命を救うなんて、実際にあったら素敵ですね。
by リンさん (2016-11-07 23:29)