熱帯夜に誘われて [ファンタジー]
暑い暑い、夏の夜でした。
あまりに続く熱帯夜に、眠れぬ日々が続いておりました。
夜中に目が覚めて、あまりに暑いものだからベランダに出ました。
ねっとりとした空気と、両隣で響くエアコンの室外機。
そのせいで、風は生温かく、ちっとも涼しくないのです。
ふと見ると、小さな光が揺れています。
線香花火が消える間際のような、静かな儚い光です。
ゆらゆらと揺れながら、こちらに向かってくるのです。
「眠れないのかい?」
低いのに甘い、やけに心地よい声が下から聞こえてきました。
手摺に手をかけて覗くと、さっきの小さな光の下に、男の人が立っていました。
「どなた?」
「誘いに来たよ。さあ、涼しくて居心地の良い世界に行こう」
「まあ、ご冗談を。私のようなおばあさんを、からかうものじゃないわ」
男は微笑みながら、両手を差し出すのです。
さあ、おいでと。
危ないとわかっているのに、私はきっと、暑さでどうかしていたのでしょう。
身を乗り出して、手摺に足をかけました。
私は、「えいや!」と、ベランダから飛んだのです。
こんなお転婆、子供の頃にもしたことがありません。
私の体は、男の腕の中にすっぽりとおさまりました。
何とも逞しい腕で、彼は私を受け止めたのです。
よく見ると、私の好きなハリウッドスターのような顔をしています。
アクション映画によく出てくる人です。ああ、年のせいで名前が出てこない。
「大丈夫かい?」彼が微笑みました。
戦火の中で救い出されたヒロインみたいです。
これは夢? ああ、何だか胸が苦しい。私このまま天国へ行くのかしら。
こんなイケメンと一緒に行ったら、夫が嫉妬するわ。
ごめんなさいね。だけど、先に逝ったあなたが悪いのよ。
そんなことを思いながら、小さく揺れる光を見ていました。
そのときです。ふいに息子の声が聞こえたのです。
「今、息子の声が聞こえたわ」
「気のせいだよ。こんな真夜中に、息子が来るはずがない」
「それもそうね。近くに住んでいてもちっとも会いに来ないのに、夜中に訪ねて来るはずがないわね」
私は、居心地の良い彼の腕の中で目を閉じました。
だけどやっぱり、聞こえるのです「母さん、母さん」という声が。
「ねえ、やっぱり聞こえるわ。一度戻るわ。ねえ、降ろしてくださらない」
私は男の腕の中で、バタバタと暴れました。
男は、急に冷酷な顔になり、私を放り投げました。
荷物みたいに乱暴に、4階のベランダめがけて放り投げたのです。
私は目を覚ましました。ベッドの上でした。
「熱中症だよ」
息子が、私の体を冷やしてくれていました。
「だからエアコン付けて寝ろって言っただろ。もうすぐ救急車が来るから」
ぼーっとする頭の中に、さっきの男の声が聞こえました。
「もう少しだったのに」
あとで聞いた話です。
亡き夫が、息子の枕もとに立ったそうです。
「お母さんが危ない。彫の深い逞しい死神が、お母さんを狙っている。お母さんの好みのタイプだ。きっとついて行ってしまう」
息子はまさかと思いながらも私のマンションを訪ね、異変に気づいてくれたのです。
やきもちやきのあなたのおかげで、私、死なずに済みました。
今夜はエアコンが効いたお部屋で、ぐっすり眠りましょう。
まだまだ天国には行きたくないわ。
いつかそのときが来たならば、あなたが来てね。
全然タイプじゃないけれど、お迎えはやっぱりあなたがいいわ。
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あまりに続く熱帯夜に、眠れぬ日々が続いておりました。
夜中に目が覚めて、あまりに暑いものだからベランダに出ました。
ねっとりとした空気と、両隣で響くエアコンの室外機。
そのせいで、風は生温かく、ちっとも涼しくないのです。
ふと見ると、小さな光が揺れています。
線香花火が消える間際のような、静かな儚い光です。
ゆらゆらと揺れながら、こちらに向かってくるのです。
「眠れないのかい?」
低いのに甘い、やけに心地よい声が下から聞こえてきました。
手摺に手をかけて覗くと、さっきの小さな光の下に、男の人が立っていました。
「どなた?」
「誘いに来たよ。さあ、涼しくて居心地の良い世界に行こう」
「まあ、ご冗談を。私のようなおばあさんを、からかうものじゃないわ」
男は微笑みながら、両手を差し出すのです。
さあ、おいでと。
危ないとわかっているのに、私はきっと、暑さでどうかしていたのでしょう。
身を乗り出して、手摺に足をかけました。
私は、「えいや!」と、ベランダから飛んだのです。
こんなお転婆、子供の頃にもしたことがありません。
私の体は、男の腕の中にすっぽりとおさまりました。
何とも逞しい腕で、彼は私を受け止めたのです。
よく見ると、私の好きなハリウッドスターのような顔をしています。
アクション映画によく出てくる人です。ああ、年のせいで名前が出てこない。
「大丈夫かい?」彼が微笑みました。
戦火の中で救い出されたヒロインみたいです。
これは夢? ああ、何だか胸が苦しい。私このまま天国へ行くのかしら。
こんなイケメンと一緒に行ったら、夫が嫉妬するわ。
ごめんなさいね。だけど、先に逝ったあなたが悪いのよ。
そんなことを思いながら、小さく揺れる光を見ていました。
そのときです。ふいに息子の声が聞こえたのです。
「今、息子の声が聞こえたわ」
「気のせいだよ。こんな真夜中に、息子が来るはずがない」
「それもそうね。近くに住んでいてもちっとも会いに来ないのに、夜中に訪ねて来るはずがないわね」
私は、居心地の良い彼の腕の中で目を閉じました。
だけどやっぱり、聞こえるのです「母さん、母さん」という声が。
「ねえ、やっぱり聞こえるわ。一度戻るわ。ねえ、降ろしてくださらない」
私は男の腕の中で、バタバタと暴れました。
男は、急に冷酷な顔になり、私を放り投げました。
荷物みたいに乱暴に、4階のベランダめがけて放り投げたのです。
私は目を覚ましました。ベッドの上でした。
「熱中症だよ」
息子が、私の体を冷やしてくれていました。
「だからエアコン付けて寝ろって言っただろ。もうすぐ救急車が来るから」
ぼーっとする頭の中に、さっきの男の声が聞こえました。
「もう少しだったのに」
あとで聞いた話です。
亡き夫が、息子の枕もとに立ったそうです。
「お母さんが危ない。彫の深い逞しい死神が、お母さんを狙っている。お母さんの好みのタイプだ。きっとついて行ってしまう」
息子はまさかと思いながらも私のマンションを訪ね、異変に気づいてくれたのです。
やきもちやきのあなたのおかげで、私、死なずに済みました。
今夜はエアコンが効いたお部屋で、ぐっすり眠りましょう。
まだまだ天国には行きたくないわ。
いつかそのときが来たならば、あなたが来てね。
全然タイプじゃないけれど、お迎えはやっぱりあなたがいいわ。
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2018-07-31 18:02
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コメント(10)
うふふ、好きだわー。展開は読めてしまうけれど、それでも好きだわー。最初の二つのパラグラフでは老婦人であることが分かりにくかったのが改善点でしょうか。
で、熱中症です。私も明け方に目が醒めて、体が水分を必要としていると分かっても、なかなか起き上がれない(主に面倒で!)と言うことが有り……年をとって一人だと本当に危険だと思いました。将来は絶対、一定時間使用されないと通報されるポットの安否確認サービスに入らなきゃ。
by 傍目八目 (2018-07-31 20:52)
全然タイプじゃないけれど、お迎えはやっぱりあなたがいいわ。
( ;∀;)
目と鼻から水がでました。
by たまきち (2018-08-01 07:49)
リンさん、こんばんは。
“お母さんの好みのタイプだ。きっとついて行ってしまう“っていう
だんなさまの言葉。
ちょっとウケるけれど、でも奥様への愛情感じるわー。
今は離れ離れだけれど、また一緒になる時が来る。
素敵です^^
by まるこ (2018-08-01 23:27)
リンさんさん こんばんは
今の時期にピッタリのファンタジーで、楽しくませていただきました。熱中症の言葉が出てくるまで気が付きませんでした。それに死神だったのですね。さすがです。
by SORI (2018-08-02 22:31)
あの世に行ってしまわなくて良かったでやすね。
ラストが微笑ましくてあったかな気持ちになりやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2018-08-05 16:54)
<傍目八目さん>
ありがとうございます。
寝ていて熱中症になるなんて、ひと昔前には考えられなかったですね。
年齢に関係なく危険ですね。
枕元に水を置いて寝るといいですよ。娘の部屋にはエアコンがないので、毎晩そうしています。
by リンさん (2018-08-07 08:59)
<たまきちさん>
ありがとうございます。
理想の人と結婚できる人なんて、そうそういませんからね(笑)
by リンさん (2018-08-07 09:00)
<まるこさん>
ありがとうございます。
好みのタイプの死神が来たら、ついて行ってしまいそうで怖い(笑)
だんなさん、いつもちゃんと見ているのね。
それもちょっと怖いけど^^
by リンさん (2018-08-07 09:04)
<SORIさん>
ありがとうございます。
エアコンを付けずに寝るお年寄りが多いと聞いたので、こんなお話を書きました。
気を付けて欲しいものです。
by リンさん (2018-08-07 09:05)
<ぼんぼちぼちぼちさん>
ありがとうございます。
息子が駆けつけてくれてよかったです。
ただの夢だと放っておかれたら、危なかったですね。
by リンさん (2018-08-07 09:06)