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麦とろの夏休み

夏休みの息子に、毎日お弁当を作って置いていく。
塾に行かせる余裕はないけれど、宿題は夜にちゃんと見てあげる。
誰かに助けてもらわなくても、私は立派にシングルマザーをやっている。

仕事から帰ると、お弁当がそのまま残っていた。
「大樹、お弁当食べなかったの?」
「うん。タケちゃんの家で食べた」
「タケちゃんって、学校の友達?」
「違うよ。公園で会ったの。すごく仲良しになって、家に遊びに行ったんだ」
「それでお昼をご馳走になったの?」
「うん。家に帰ってもひとりだって言ったら、おばさんが一緒に食べようって言ったんだ。ひとりじゃ寂しいでしょうって」

ああ、たまにいるんだ、こういう人。
父親がいなくて可哀想とか、大変でしょう?とか、力になりたいとか、親切な振りして心の中で憐れんでいるんだ。

「大樹、ママ言ったよね。人から物をもらったりしちゃだめだって」
「もらってないよ。ご飯を食べただけ」
ああ、本当に、夏休みなんてどうしてあるんだろう。
朝から夜まで働く私には、休みなんてないのに。

翌日私は、1時間早く仕事を終えて、大樹と一緒にタケちゃんの家に向かった。
非常識な親だと思われたくないから、挨拶だけはしておかないと。
「ここだよ」
大樹は、古い一軒家を指さした。
「ほら、タケちゃんがいるよ」
走り出した大樹は、軒下で寝そべる大きな犬の元へ走っていった。
「えっ、タケちゃんって、犬?」

「あら坊や、また来たのかい?」
窓から顔を出したのは、白髪のおばあさんだ。
「ママがお礼を言いたいって。昨日のお昼ご飯、何だっけ、えーっと」
「麦とろだよ。旨かったか」
「うん。おいしかった。また食べたいけど、ママが……」
大樹が振り向いて私を見た。私はそろりと犬の隣をすり抜けて、おばあさんに菓子折りを渡した。我が家にしては高級な老舗の洋菓子だ。
「麦とろごときで気を遣わないでよ。そのお菓子、一緒に食べよう。見ての通りの一人暮らしさ。食べきれないよ」
お礼だけ言うつもりだったのに、大樹はもう上がり込んでいた。
ああ、親の躾が……とか言われそう。

「あの、すみません。てっきり友達の家だと思っていました」
「友達だよ。タケはすっかり坊やに懐いてる」
「公園で遊ぶのは構いませんが、お昼はお弁当を作っておりますので」
「ああ、そうなの。じゃあ坊や、今度はお弁当を持っておいで」
「いえ、そういうことではないんです」
少しイラついてきた私の前に、炊き立ての麦飯がすうっと差し出された。
「ママ、とろろをかけて食べるんだよ。僕がかけてあげるね」
「今、ぬか漬け切ってやるから待ってな」
「いえ、私は結構です」と言った傍からお腹が鳴った。
1時間早く帰るために、昼休みを返上したから、実はかなり空腹だ。

「毎日頑張って働いてるんだ。今日の晩御飯はサボっちゃいな」
おばあさんはそう言って、ぬか漬けを置いた。
不意に涙が出た。
他人の前では泣かないと決めていたのに、どうして麦とろなんかで泣いているんだろう。

「ママ、どうして泣いてるの?」
「おいしいからだろ」
「よかった。あのね、僕きのう、ママにも食べさせてあげたいって思ったんだ」
「そうかい。いい子に育てたねえ、あんた」

涙が止まらない。こういうことをずっと避けてきたはずなのに。
ひとりで頑張るって決めたのに。
涙と一緒に麦とろをすすったら、日暮れを告げる鐘が鳴った。

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コメント 8

たまきち

思いもよらぬ展開です。わんこのおともだちと慈愛に満ちたおばあさんの温かいおもてなしに、はりつめていたものがどっとあふれてくるのですね。りんさんのやさしさがおばあさんに表現されている気がしました。すてきなお話しありがとうございます。


by たまきち (2022-07-29 17:07) 

ぼんぼちぼちぼち

いい話でやすなあ。
無償の愛を注いでくれる他人様というのも、おられるんでやすよね。
by ぼんぼちぼちぼち (2022-07-29 18:23) 

SORI

リンさんさん こんにちは
つい、一緒に涙が出てしまいそうな素敵な物語です。
by SORI (2022-07-31 14:00) 

雫石鉄也

いい話ですね。
このおばあさんは「世のなさけ」の象徴なんですね。
犬のタケは「なさけ」へのお使いなんですね。
神や仏はいるかいないか判りませんが、こういう人はいるとしんじたいですね。
いいお話をありがとうございます。
by 雫石鉄也 (2022-08-01 13:33) 

リンさん

<たまきちさん>
ありがとうございます。
昔は隣近所で子どもを預かったりしたものですけどね。
今はこんなふうに、ひとりで頑張っちゃう人が多いのでしょうね。
by リンさん (2022-08-06 22:26) 

リンさん

<ぼんぼちぼちぼちさん>
ありがとうございます。
きっとおばあさんにしてみれば、何でもないことなのでしょう。
田舎には、まだ多いです、こういうお年寄り。
by リンさん (2022-08-06 22:32) 

リンさん

<SORIさん>
ありがとうございます。
麦とろが身に染みたのでしょうか。
何だか食べたくなってきますね^^
by リンさん (2022-08-06 22:37) 

リンさん

<雫石鉄也さん>
ありがとうございます。
タケが「なさけ」へのお使い。いいですね。
出会いは偶然じゃなかったんですね。
by リンさん (2022-08-06 22:40) 

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