熱帯夜の悪夢

連日の熱帯夜のせいで、恐ろしい夢を見た。
妻の麗子に殺されそうになる夢だ。
５キロの米さえ「重いから持って」という麗子が、信じられない力で僕の首を絞めた。

「あなた、ちょっとあなた、ひどくうなされてるけど大丈夫？」
麗子に起こされて起きた。
滝のような汗をかいている。
「君に殺される夢を見た」とも言えず、息を吐きながら汗を拭った。
「意地を張らないでエアコンをつけなさいよ」
麗子はそう言って部屋を出て行った。

麗子とは、いつからか、別々に寝るようになった。
その方が、互いに気が楽だ。
麗子の部屋まで聞こえるほどの大声でうなされていたようだ。

節約のために我慢していたが、エアコンをつけて寝ることにした。
寝苦しいからあんな夢を見たのだ。
すぐに眠りに落ちた。そしてまた夢を見た。
麗子がナイフを持って立っている。
その刃は明らかに僕に向けられ、今にも襲い掛かってきそうだ。
やめろ、やめてくれ！

「あなた、今度はどうしたの？」
麗子に起こされた。
「ああ、ちょっと、怖い夢を見て」
「いい加減にしてよ。うるさくて眠れないわ。ハーブティーでも飲んで落ち着いたらどう？」
麗子はそう言うと、再び部屋から出て行った。

僕はキッチンに行って、よく冷えたハーブティを一気に飲んだ。
そういえば、昔はリビングで麗子と二人、夜更けまで深夜テレビを見ていたな。
あの頃には、もう戻れない。
ソファーに座ってテレビをつけてみたけれど、面白いものは何もない。
ゴロンと横になったら、そのまま眠ってしまったようだ。
麗子が、また出て来た。

「そんなに僕を殺したいのかい？」
麗子は静かに微笑んだ。
「私が殺したいのはあなたじゃないわ。あなたの中の罪悪感よ」
「罪悪感？」
「私が死んだのは、あなたのせいじゃない。だからいつまでも、悪夢を見て苦しむのはやめてちょうだい」
麗子はそう言って、消えてしまった。

そうだ。麗子は死んだのだ。
とんでもない集中豪雨の中、僕を駅まで迎えに来る途中で事故に遭った。
ずっと悔やんでいた。タクシー代をケチったばかりに、最愛の妻を失った。
ちょうど１年前の、蒸し暑い夜だった。
あの日から、幾度となく悪夢を見た。麗子に対する罪悪感が見せた夢だ。
眠るのが怖いのに、さっき飲んだハーブティーが効いたのか、僕は再び眠りに落ちた。

朝が来た。ふんわりとタオルケットが掛かっていた。みそ汁のいい匂いがする。
「お父さん、ソファーで寝たらダメだよ。ちゃんとベッドで寝ないと疲れが取れないよ」
近所に嫁に行った娘が、朝食を作りに来てくれていた。
「ハーブティ、空っぽだったからまた作るね。お母さんが好きだったカモミール」
「ああ、ありがとう。それと、タオルケットも掛けてくれたんだな」
「タオルケットは知らないわ。自分で掛けたんでしょ」
自分で掛けた覚えはない。

ゆっくり起き上がって、仏前に手を合わせた。
「タオルケット、掛けてくれた？」
「掛けたわ。でもこれが最後。これからは自分でちゃんとして」
もちろん写真の中の麗子は、何も言わない。僕の想像だ。
だけどもう悪夢を見ることはないだろう。何となく、そう思った。

コメント 12

主人公の男性は、
そんなに自分を追い詰めないで
ほしいです。
誰も悪くない、
亡くなった奥様も、
そう思っておられるから、
出てきてくれたのですよね。
どうかこの先、
心穏やかに暮らせますように。

by 青山実花 (2024-07-12 06:33) 

こわい話かと思ったら
最後にホッとさせてもらえて、よかったです。
by たまきち (2024-07-12 10:37) 

先の展開が読めない話しで、一気呵成に読み終えてしまいやした。
とても面白かったでやす！
奥様に憎まれていたわけではなかったのでやすね。
ラスト、平穏な気持ちになれやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2024-07-14 09:30) 

いいですね！
究極の愛妻物語です。
これが「どんな夢見てたん」
と奥方が聞くと落語の「天狗裁き」になりますが。
https://www.youtube.com/watch?v=QA08ibiZgg0

by 雫石鉄也 (2024-07-17 13:49) 

リンさんさん　こんばんは
不思議な流れの物語でした。長く夢を見ていないことを思い出してしまいました。
by SORI (2024-07-17 22:15) 

妻の殺意を感じ取っている夫と、勘の良い夫に手を焼いている妻の話かと思っていたら……。
殺したいのは、罪悪感だったとは！
こういうのを予想の斜め上の遥か上空、というのかな？

それはそうと、二次選考通過ですね！
ぼくまで、どきどきしてきました。

by しろまめ (2024-07-20 14:57) 

＜青山実花さん＞
ありがとうございます。
１年間苦しかったけど、やっと救われたんですね。
穏やかに暮らして欲しいと、書いた私も思います。
by リンさん (2024-07-22 10:38) 

＜たまきちさん＞
ありがとうございます。
夏だし、最初はホラーのつもりで書き始めたのですが、途中で方向転換しました。
ホッとして頂けて良かったです。
by リンさん (2024-07-22 10:41) 

＜ぼんぼちぼちぼちさん＞
ありがとうございます。
夫婦仲が悪いと見せかけて、実は、というのを狙いました。
こんな悪夢を毎晩見てたら、おかしくなっちゃいますよね。
by リンさん (2024-07-22 10:45) 

＜雫石鉄也さん＞
ありがとうございます。
天狗裁き、面白かったです。
前にテレビの寄席番組で見たことあります。
by リンさん (2024-07-22 11:04) 

＜SORIさん＞
ありがとうございます。
私はたまに夢を見ますが、すぐに忘れちゃうんですよね。
全部覚えていたら、色んな話が書けそうですけど＾＾
by リンさん (2024-07-22 11:06) 

＜しろまめさん＞
ありがとうございます。
そうなんです。
二次選考通過してて自分でもびっくりです。
最終に残りたいけど、どうかな～
しろまめさんに続いて、本が出せたら嬉しいです。
by リンさん (2024-07-22 11:09)