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蜘蛛の巣 [公募]

溜息が出るほど美しい。

私の家と隣の家を結ぶように張られた大きな蜘蛛の巣は、見事なシンメトリーを描き、繊細な職人が魂を込めて仕上げた芸術品のようだ。
明け方に降った雨の粒が綱渡りのように糸を伝い、真珠のように輝いている。

新聞を取りに来たのも忘れてうっとりと見入っていると、隣の奥さんが大きなゴミ袋を持って出てきた。
「あら、いやだよ。こんな大きな蜘蛛の巣」
奥さんは竹箒を持ってきて、あっという間に蜘蛛の巣を壊した。
忌々しそうに箒に絡みついた糸を地面に叩きつけ、見つめる私に「なによ」という視線を返した。
隣同士でありながら、私たちは壊滅的に仲が悪い。
だから「あなたには、あの美しさがわからないのね」などと余計なことは言わない。
どんな罵声が返ってくるか、容易に想像できるからだ。

私が住んでいる土地は、以前隣の所有物だった。
ひとり息子が作った借金を返すために売却したらしい。
いずれはその息子のために家を建て、まさにスープの冷めない距離で嫁や孫と仲良く暮らしたかったのだろう。
だけど息子は四十にして未だ独身で、手放した土地には都会から来た若夫婦が家を建てた。
気に入らなかったのだろう。引っ越しの挨拶にタオルを持って行くと、「ブランドものしか使わないので」と、その場で突っ返された。
夫は「上手くやってくれよ。田舎のご近所トラブルなんてごめんだからな」と、吐き出すように言った。

それからは、下着をベランダに干すなとか、服装が派手だとか、つまらないことをいろいろ言ってきた。
私がいつも「はいはい」と聞き流していたら苦情は減ったが、「うちの息子に色目を使ってる」などと、ありもしない噂を流された。
どのみち隣人の評判はすこぶる悪く、私に同情する声の方が多かった。

隣の二階から視線を感じるようになったのは、あの美しい蜘蛛の巣を見た後だった。
事業に失敗してから引き籠っている隣の息子だ。奥さんのように恨みや妬みの視線とは違う。彼は、私を見ている。

深夜のコンビニに、彼がいた。昼間は引き籠って夜になると出てくる。
まるで夜光虫だ。彼はレジを済ませた私の後ろにピタリとついて、「最近ダンナ見ないね」と言った。
「出張よ」と答えると「じゃあ、行ってもいい?」などと言い出した。
「バカじゃないの」
無視して歩き出すと後をついてくる。方向が同じとはいえ気味が悪いので足を速めた。

「ねえ、蜘蛛の巣、見てたよね」
背後から彼が言った。思わず立ち止まった。
「きれいだったよね。大きくて、見事なシンメトリーでさ、朝陽にキラキラ輝いて、まるで芸術だったよね」
「そうね」
「同じ時間に同じものを見て、同じように感動していたんだよ。俺たち」
「だから何? 確かにきれいだったわよ。でも、それを壊したのはあなたのお母さんよ」
「そう。何でも壊すんだ、あの人は。俺がきれいだと思うもの、俺が好きなもの、俺が愛するもの、全部壊してしまうんだ」
彼は泣きそうな顔で震えていた。外灯の下で翅を擦り合わせる蛾のように無様だ。
「あんたも、そのうち壊されるよ」
「もう壊れているわ」
私は再び速足で歩き出した。彼はまるで外灯の下が定位置のように蹲っていた。

もう壊れている。私の家は、とっくに壊れている。
夫は出張になど行っていない。会社の近くにアパートを借りている。
もともと田舎の一軒家などに、夫は住みたくなかったのだ。
この家は、私の親が建てた家だ。
狭い団地暮らしだから子供が出来ないのだという父の余計な一言が、夫の自尊心を傷つけた。
それに加えて隣人トラブルに見舞われ、うんざりしてしまったのだ。

家に帰って、二階の窓から向い合せた彼の部屋を見た。電気は消えている。
夜光虫は、今も夜の町を彷徨っているのだろう。

ふと、一本の細い糸が、彼の部屋と私の部屋を結ぶように張っているのに気づいた。
蜘蛛が、糸の上を這うようにこちらに向かってくる。
私は想像した。彼が、あの蜘蛛のように糸の上を這いながら、私のところに来ることを。
異常で醜悪な母親を欺いて、忍者のように息をひそめて逢いに来ることを。
そうすれば私は迷わず彼を受け入れる。毛嫌いしていた男を、簡単に受け入れてしまう。

なぜそんなことを思ったのだろう。
自分勝手な夫への当てつけ? 理不尽な隣人への復讐? いや、きっと、どちらでもない。
私はただ、見たいのだ。
朝焼けに輝く蜘蛛の巣を、何度壊されてもすぐに再生する、強くて美しい蜘蛛の巣を、誰かと並んで見たいのだ。
同じものを見て、同じように感動したい。ただ、それだけだ。

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公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
今回は、ちょっと違う雰囲気の作品を出してみたのですが、イマイチでした。
ところで、公募ガイドでポイントのサービスが始まりました。
例えばTO-BEなら、出しただけで10P、佳作が50P、最優秀が100P。
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雑誌見る前に結果がわかるってどうだろう?
私は定期購読だから毎月届きますが、このメール見て買うの止めちゃう人っていないかな?
余計な心配ですが……

ところで、9日発売の公募ガイド、家に届いたのは13日の朝でした。
配送業者の関係かもしれませんが、4日遅れはちょっと……ですよね~


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