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新盆の夜 [公募]

入道雲を従えた緑の山が、いつもよりも大きく見える。
まるで目の前に迫ってくるように見えて、真子は手を伸ばしてみた。
何だか届いてしまいそうな気がして少し怖くなる。
木の幹にしがみついたセミは、命を惜しむように鳴き続けて、猫は日陰を探しながらあくびをしている。

大好きな夏休みだけど、真子は退屈を持て余し、縁側で足をブラブラさせていた。
居間にはたくさんの親戚たちがいて居場所がない。
継ぎ足しの段違いなテーブルには、お寿司や天ぷらや、多くのご馳走が並んでいる。
赤い顔の男たちと、おしゃべりに夢中な女たち。
お母さんは台所と居間を行ったり来たりで忙しそうだし、お父さんはみんなと一緒になってビールを飲んでいる。

襖が外された奥座敷には祭壇が作られ、黒ぶちの写真の前には、たくさんのお菓子や果物が並んでいる。
「どうせ食べられないのにね」と真子はつぶやいた。
お葬式の時はみんな泣いていたのに、今日はずいぶんと賑やかだ。
真子にとって初めての新盆は、何だかとても不思議だった。

真子は、離れのおじいちゃんの部屋に行った。
おじいちゃんはこのところ体調を崩し、食事があまり摂れない。
客に気を遣わせては悪いと、自ら望んで離れの部屋にいた。
「おじいちゃん」
「おお、真子、来てくれたのか」
「おじいちゃん、ひとりで寂しくない?」
「なあに、窓を開ければみんなの賑やかな声が聞こえる。それだけで充分だ」
おじいちゃんは布団から「よっこらしょ」と起き上がった。
真子はおじいちゃんが大好きだ。仕事が忙しい両親に代わって、おじいちゃんがいつも傍にいてくれた。

真子の家は果樹園を営んでいる。夏から秋にかけて大忙しで、真子も毎年収穫を手伝った。
梨、ぶどう、栗。たくさんの人が買いに来る。インターネットでの注文もある。
お父さんはいつも汗まみれで働いていて、お母さんは笑顔で接客をしている。
だけど今年は収穫が少ないせいか、お得意様以外の注文を断っている。
お父さんは天候を恨むように空を見上げて、お母さんの顔からは笑顔が消えた。

だけど今日の新盆には、真子が大好きな果物がたくさん並んでいる。
「ねえ、おじいちゃん、果物なら食べられる?」
「うーん、どうかなあ」
「持ってきてあげようか」
「いや、お客さんに出したものだ。おじいちゃんはいらないよ」
「それなら、祭壇に上がってる果物を持ってきてあげる。どうせ誰も食べないんだもん。おじいちゃん、一緒に食べよう」
おじいちゃんは小さく笑った。
「お母さんに見つかるなよ」
「大丈夫。わたし、つまみ食いの名人だもん」
真子は、おじいちゃんにVサインをして、跳ねるように部屋を出た。

居間では、相変わらず大人たちが騒いでいた。誰も真子に気づかない。
お母さんがチラリとこちらを見たけれど、「奥さん、お醤油ある?」と声をかけられて台所に行った。
真子はその隙に、祭壇から梨とぶどうをひょいとつかんで部屋を出た。
「おじいちゃん、持ってきたよ」
真子が縁側から上がり込むと、弱弱しい風に風鈴が頼りない音を立てた。
「ああ、うまそうだ」
おじいちゃんは、ぶどうをひとつ、口に入れた。皮ごと食べられるマスカット。
お母さんの提案で始めた新しい品種だ。今ではすっかり人気商品になっている。
「甘いなあ」
おじいちゃんは、ゆっくり口を動かしながら、涙を流した。
太陽が傾き始め、客たちがひとり、またひとりと帰っていく。
何人かが離れまで来て、おじいちゃんに挨拶をしていった。

客が帰ると、お父さんとお母さんは奥座敷に並んで座り、祭壇の写真に手を合わせた。
「あれ? 梨とぶどうがなくなっている」
「あら本当だ。きっとあの子が食べたのね」
「真子は食いしん坊だからな」
二人は顔を見合わせて、寂しく笑った。
「違うよ。離れのおじいちゃんに持って行ったんだよ」
背中に向かって言ったけれど、真子の声は届かない。
お父さんとお母さんには、真子の姿も見えない。

「離れのお義父さんを呼んでくるわ。今日はこっちで休んでいただきましょう」
「そうだな。今夜は三人で、真子の話でもしよう。僕たちが大好きだった真子の話を」
「そうね」
真子は少し拗ねて、「三人じゃなくて四人よ」と言ってみたけれど、やっぱり声は届かない。
新盆の夜は、静かに、ゆっくり過ぎていく。

***
公募ガイドTO-BE小説工房の落選作です。
課題は「盆」でした。
去年の夏、初めて家族の新盆を迎え、昼はとても賑やかで、夜はしんみりだったことを思い出して書きました。
ちょっと悲しい話だったな。


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