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哀愁のハーモニカ

ススキが揺れる土手に座り、おばあさんがハーモニカを吹いている。
ススキみたいな白い髪の、痩せた小さなおばあさんだ。
あまり上手ではなかったけれど、そのメロディは聞き覚えがあった。
夫がたまに口ずさむ歌だ。タイトルは確か「故郷の空」。

「夕空晴れて秋風吹く……」
気が付いたら、おばあさんのハーモニカにつられて歌っていた。
今の風景に、この歌がピッタリだったからだ。
「あらあら、お上手ね」
「すみません、つい」
私は、顔を赤くしながらおばあさんの隣に座った。
見ると古いハーモニカには、ひらがなで名前が書いてある。
『1ねん2くみ すずきよしお』
すずきよしお? 夫と同じ名前だ。
もちろん偶然だ。ありふれた名前だし、この人は夫の母親ではない。

「息子さんのハーモニカですか?」
「ええ、そうなの。小学校のころ、息子が使っていたの。今はもう50歳のおじさんよ」
あら、年まで夫と一緒だ。
「息子はね、ハーモニカのテストの度に泣いて帰って来たわ。音楽のセンスがゼロなのね」
偶然だ。夫も信じられないくらいの音痴だ。
「でもね、絵は上手だったのよ。県の絵画コンクールで賞をもらったわ」
あ、また偶然。夫も絵がうまくて、美術教師をしている。
「やんちゃな子でね、すべり台から落ちて、額を7針も縫う怪我をしたのよ」
ええ~、また偶然。夫の額にも傷跡がある。確かすべり台から落ちたって言っていたような。
「親バカかもしれないけど、器量のいい子でね、幼稚園の時、3人の女の子から同時に告白されたのよ」
うそ! 夫もそんな自慢話していた。今はメタボだけど、確かに昔はイケメンだった。
ここまで偶然が重なるって、おかしくない?

「あの、つかぬことを伺いますが、息子さんの血液型は?」
「O型よ」
「星座は?」
「5月30日生まれだから、ふたご座かしら」
背中がゾクッとした。血液型と誕生日まで一緒だ。
でも、夫の母親はずいぶん前に亡くなっている。
いや待て、もしかしたら生きている? そういえば私、お墓に行ったことがない。
何かの事情で生き別れたお母さんじゃないかしら。何となく、横顔が夫に似ている。
この人はハーモニカを吹きながら、幼いころに別れた息子を想っているのだ。

「あの、私の夫も鈴木義男(すずきよしお)っていうんです。50歳です」
おばあさんが、「え?」と驚いた顔をした。
「血液型も誕生日も一緒です。絵が上手で、美術教師をしています。額には傷があります」
「あらまあ」
「うちに来て、夫に会ってもらえませんか」
おばあさんは、困ったようにうつむいた。
「それは無理よ」
「なぜですか。こんな偶然滅多にないわ。きっと神様が巡り合わせてくれたんですよ」
おばあさんは、いよいよ困った顔で、申し訳なさそうに言った。
「今から息子のよしおが孫を連れて遊びに来るのよ」
「え? そのハーモニカの、よしおさん?」
「そうよ。それにしても、偶然ってあるものね」
おばあさんは笑いながら立ち上がった。

「ああ、それからね、息子の名前は、すずきよしおじゃなくて、すすきよしおよ」
「すすき?」
「そう、薄良夫(すすきよしお)。点がないのよ。よく間違えられるけどね」
夕陽に染まるススキの土手を、おばあさんはいそいそと帰った。

呆然と見送る私を慰めるように、ススキがさわさわと揺れていた。


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