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たかが5千円、されど5千円

あら、この人お釣り間違えてる。
2300円のものを買って5千円払ったから、お釣りは2700円でしょう。
それなのに私の手には、7700円が載っている。
やっぱり言わないとまずいよね。5千円って大きいもの。
「あの」と言いかけた途端、後ろに並んだ客に肩を押された。
「終わったらさっさとよけて。レジが混んでるのわかるでしょ」
弾かれて、私はすごすごと下がった。
ネコババしたわけじゃないのよ。ちゃんと返そうとしたのよ。
あのおばさんに押されたからよ。
私は言い訳しながら、万引きでもしたような気分で、ささっと店を出た。

後ろめたさの裏側に「得しちゃった。ラッキー」という気持ちがなかったわけではない。
普段の行いが良いから、神様がくれたご褒美かもしれない。
そう思ったら気が楽になった。欲しかったバッグ買おうかな。

夜になって帰ってきた夫が、やけに沈んでいる。
「あなた、何かあったの?」
「実はさ、同期のKくんが、懲戒免職になったんだ」
「まあ、どうして?」
「K君は経理の仕事をしているんだけど、会社の金を使い込んだらしい」
「まあ、いくら?」
「5千円」
「5千円? たったの5千円?」
「たとえ5千円でも横領だよ。ちょっと借りて後で返すつもりだったらしいけど、やつの家もいろいろ大変らしくてね」
「クビになったら大変じゃないの。どうするの、これから」
「職探しだな。奥さんが、駅前のスーパーで働いているらしいよ」
駅前のスーパー! 私はハッとした。
釣銭を間違えた店員のネームプレート、確かKではなかったか。
「飯まだ?」という夫の声など聞こえないほど動揺していた。
罪悪感で押しつぶされそうだ。
明日スーパーに行って、5千円を返そう。

翌日、封筒に5千円を入れてスーパーに行った。
Kさんは、都合よく人気の少ない通路で品出しをしていた。
「あの、Kさん」
話しかけるとKさんは笑顔で振り返った。
「いらっしゃいませ。何か御用でしょうか」
「あの、昨日、レジのお金、合わなかったでしょう?」
「え?」
「ごめんなさい。私、お釣りを多く受け取ってしまって。これ、返します。受け取ってください」
「何のことでしょう?」
「いいから受け取って。ご主人だけでも大変なのに、あなたまで辞めさせられたら大変じゃないの。ね、受け取って」
私はKさんのポケットに封筒をねじ込んで、素早く店を出た。
これでいい。これで私が地獄に落ちることはない。

Kさんのモノローグ
「なんだろう、あの人。レジのお金はきっちり合っていたのに。あら、5千円も入ってる。店長に言った方がいいかな。でも私、今日で辞めて主人と田舎に帰るから、別にいいか。もらっておこう。ラッキー」

Kさんが、意外としたたかだったことなどつゆ知らず、私はその夜家計簿を付けながら、5千円が足りないことに気が付いた。
もしかして私、昨日の買い物で1万円出していた?
あ、そういえば、1万円札だったかも。ああ、絶対そうだ。
落ち込む私に息子が追い打ちをかける。
「お母さん、部活の合宿代5千円ね」

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