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雨の図書館

昼下がりの図書館に、雨音だけが響く。
心地よい照明と、時を刻むような音についつい眠くなる。
沙羅は、そんな眠気を振り払うように立ち上がった。
返却された本を棚に戻していると、やや乱暴な靴音が聞こえた。

カウンターに戻ると、髪の先からしずくを垂らした男が立っていた。
「雨宿り、いいっすか?」
「あ、ええ、もちろん」
沙羅が男にタオルを渡すと、洗顔後のように豪快に顔を拭き、髪のしずくを拭き取った。
「あの、やみそうにないですよ。よかったら傘をお貸ししましょうか?」
「ありがとう。でもいいや。ちょっとだけサボらせて」
「サボる?」
「朝から営業回りで疲れちゃってさ。ねえ、この本、読んでいいの?」
「はい、もちろんです」
「お勧めは?」
「好みがありますから。お好きなジャンルは何ですか?」
「うーん。漫画かな。ワンピースとかある?」
「漫画ですか。漫画はないですね」
「そっか。じゃあさ、1時間経ったら起こしてくれる?」
「はあ?」
男は、奥の椅子に座り込むと、あっという間に眠ってしまった。
「ちょっと、困るわ」
よほど疲れているのか、沙羅の声は男の寝息に消された。
「まあいいか」
図書館には、他に誰もいない。
一緒に勤務するはずの先輩は、子どもが熱を出して帰ってしまった。

利用者は来ない。ひどい雨だもの。
沙羅は、幾つかの絵本を取り出して、男の前に座った。
『100万回生きたネコ』『はらぺこあおむし』『あらしのよるに』
まるで寝ている子どもに聴かせるように、ゆっくりと読んでいった。
「100万年生きたネコがいました」
次の週末、幼児向けの読み聞かせ会がある。その練習だ。
漫画しか読まない男に聴かせるにはちょうどいい。

4冊読み終えたところで、ちょうど1時間経った。
「1時間経ちましたよ」
沙羅が声をかけると、男はゆっくり目を開けた。
「魔法かなんか使った? 目覚めがすげえ爽やかなんだけど」
「さあ?」
男は、大きく伸びをして、ネクタイを締め直した。
雨は、だいぶ小降りになっている。
「ありがとう。ここ居心地いいね。また来るよ」
「次はちゃんと本を借りてくださいね。漫画以外の」

男は、帰り際に振り返り、笑いながら言った。
「あのさ、オオカミの声は、もっとダミ声の方がいいんじゃないの」
「あら、起きていたのね」

沙羅は赤面しながら男を見送って、静寂が戻った図書館の空気を吸い込んだ。
大好きな本の匂いが、ゆっくりと入り込んでくる。
「雨の図書館も、なかなか楽しいわ」

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