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母の秘密 [公募]

終戦の年に生まれた私は、父の顔を知りません。
南の島で戦死したと、母が話してくれました。遺骨はありませんでした。
そのせいでしょうか、幼少期から同じ夢を何度も見ました。
ジャングルで彷徨っている兵士の夢です。
ジャングルになど行ったことがないのに、やけにリアルな夢でした。
兵士は、彷徨いながら私の名前を叫ぶのです。
「弓子、弓子、必ず帰るから」

空襲で家が焼けたそうで、父の写真は一枚もありませんでした。
だけど私には、その兵士が父だとはっきり分かったのです。
「お母さん、お父さんは南の島で生きているのよ。そのことを私に伝えたくて、夢に出てくるんじゃないかしら」
母は静かに笑いながら、まったく相手にしてくれませんでした。
「弓ちゃん、夢はただの夢よ。お父さんは戦死したのよ」
母はいつも気丈でした。戦前から結核療養所で働き、閉鎖された後は市民病院で看護婦をしながら私を育ててくれました。

あるとき、衝撃的なニュースがありました。
南の島で日本兵が発見されたのです。
終戦を知らずに、二十八年間もジャングルを彷徨っていたのです。
やっぱり、と私は思いました。
「お母さん、きっとお父さんも生きているわ。この兵士のように、今もジャングルを彷徨っているのよ。ねえ、お母さん、何とか捜しに行けないものかしら」
しつこく訴えた私の頬を、母がピシャリと叩きました。
母が手を上げたのは、後にも先にもこのときだけでした。
「いい加減にしなさい。お父さんは死んだのよ。何度も言わせないでちょうだい」
疲れているときに纏わりついたのが、癇に障ったのでしょうか。
それにしても母がどうしてこんなに怒るのか、さっぱり分かりませんでした。
それ以来、父が夢に出てくることはありませんでした。

その翌年私は、ご縁があって結婚をしました。
七歳年上の夫は真面目で優しく、二人の子どもにも恵まれました。
時代はすっかり豊かになり、小さいながらも家を建て、母と一緒に暮らす計画を立てました。
しかしその矢先、母は脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまいました。
「ようやく親孝行が出来ると思ったのに」
苦労続きだった母の手をさすりながら、私はしばらく泣き続けました。

葬儀を終え、夫とふたりで母の遺品を片付けました。
質素な暮らしを続けた母の部屋は、使い込まれた家具や必要最低限の食器など、まるで無駄のない小さな城でした。
抽斗を片付けていたときに、一枚の写真を見つけました。
親子三人が写った写真です。裏には『弓子0歳』と書かれていました。
私を抱いた男性は、幼いころ何度も夢に出てきた兵隊さんでした。やはり父だったのです。
だけどその隣にいる女性は、母ではありませんでした。
幾つかの疑問が私の中で渦を巻きました。
この女性は誰なのか、そもそも父は、私が生まれる前に戦死したのではなかったか。

手を止めて呆然とする私の背後から、夫が写真を覗き込みました。
「あれ、トミエさんじゃないか」
驚いて振り向くと、夫は懐かしそうに写真の女性を指さしました。
「この人、遠い親戚でね、僕が子供のころ、よく家に遊びに来ていたんだよ。赤ん坊を生んで間もなく、亡くなってしまったんだ」
「男性の方は?」
声が震えているのが、自分でも分かりました。
「ご主人は、トミエさんが亡くなった後、結核を患って、暫く療養所にいたけれど治らなかったようだ。せっかく戦争で生き残ったのに、可哀想だってお袋が泣いていたよ」
夫が背を向けて作業に戻った後、私は写真を元の抽斗に戻しました。
母が死ぬまで隠し続けた秘密を、そっと封印したのです。

その夜、久しぶりに父の夢を見ました。
痩せ細った父が、病室の窓から四角い空を見ています。
「弓子を、どうか弓子をお願いします」
傍らに佇む白衣の女性が、「はい」と頷きました。
それは若い日の母でした。
母は、ただ単に情の深い看護婦だったのか、それとも父を深く愛していたのか、今となっては知るすべもありません。
だけど母は、紛れもなく私の母でした。血の繋がりはなくても、私たちは真の親子でした。

元号が新しくなりました。母が生きた年齢を、とうに過ぎました。
可愛い孫もいます。戦争のない平和な日々を、私はこれからも生きていくのです。

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公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
テーマは「戦争」
こういうテーマは苦手ですが、私の周りにはお年寄りが多くて、お父様を戦争で亡くした方や戦争経験者がいるので、その方たちから聞いた話を参考に書きました。
なかなか難しいですね。

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