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策略

買い物の帰りにペットショップに寄った。
娘の美緒が行きたいと、せがんだからだ。
一人っ子の美緒は犬を飼いたがっていたが、アパートだし、そんな余裕もないからと言い聞かせ、それなら「見るだけ」と言うので連れてきた。

義父が急逝して、夫はつぶれそうな町工場を継ぐために会社を辞めた。
そこそこ名の通った会社だったから、正直辞めてほしくなかったけれど、義母に弱い夫はあっさり承諾した。
しかも義母は、同居して、私にも家業の手伝いをしてほしいというニュアンスのことを言ってきた。
「美緒を転校させるのは可哀そう」というのを口実に、何とか同居は免れた。
夫は車で20分の工場兼実家まで、毎日通っている。

「家を買っちゃえばよかったのよ。前に見に行った建て売り住宅、すごく良かったのにあなたが優柔不断で煮え切らないから他の人に買われちゃったのよ。あのとき家を買ってたら、しつこく同居を迫られることもなかったのに」
「でもまあ…いちおう長男だしね」
夫がへへへと笑う。
押しが弱くて人が良すぎる夫は、絶対に社長には向かない。きっとすぐにつぶれる。
そんな会社で働きたくないし、私はサラリーマンの妻でいたかった。

「ママ、ウサギだったら飼ってもいい?」
美緒が私を見上げた。茶色のウサギが、ケージの中でニンジンを食べている。
「ウサギならアパートでも飼える?」
「そうねえ、帰ってパパに聞いてみようか」
ウサギなら鳴かないし、犬より安いし、考えてもいいかなと思った。

夫が帰るなり、さっそく美緒がまとわりついた。
「パパ、ウサギ飼ってもいい?」
「ウサギ?」
「うん。ママがね、犬はダメだけど、ウサギだったらいいっていうの」
「でもなあ、大きなケージを買わなきゃいけないし、部屋がますます狭くなるよ」
夫が腕組みをした。それもそうだなと思った。
「えー、飼いたいよお」と美緒が食い下がる。

「うーん、おばあちゃんの家だったらな~、犬でもネコでも飼えるんだけどな」
「おばあちゃんの家なら犬も飼えるの?」
「うん。パパが子供のころは、犬を2匹とネコを飼っていたよ」
「えー、いいなあ」
「じゃあさ、美緒、おばあちゃんの家で犬を飼おう。そして週末ごとに会いに行こうよ」
「わーい、美緒、ちゃんとお散歩するよ」

ちょ、ちょっと待って…。何だか話の方向が…。
「美緒が飼いたいのはウサギでしょ」
「犬が飼えるなら犬の方がいい」
「犬を飼ったらさ、毎週土曜日に、俺が美緒を実家に連れて行くよ。おふくろも喜ぶし。ああ、君は来なくてもいいからさ」
「そんなわけにいかないわよ」

美緒はすっかりその気になって
「パパ、明日ペットショップに行こう。美緒ねえ、お気に入りの子がいるの」
と、はしゃいでいる。
まずい、非常にまずい展開だ。実家で飼うと言われたら、反対できない。
週1が週3になり、やがて毎日になるのは目に見えている。

夫がなかなかの策略家で、巧みな交渉術を持つ根っからの商売人であることを知ったのは、私が見事に策略に嵌まり、同居して家業を手伝い始めた後のことだ。
夫は、つぶれかけた会社をわずか半年で立て直したらしい。
義母と美緒と犬の心をがっちり掴み、
「わあ、君のメモは本当に読みやすいな。いつもありがとう」
と、電話番しかできない私の心も、いつの間にか掴んでいる。

不本意ではないけれど、この生活も悪くない。
だってよく考えたら私、社長夫人ですもの。

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