SSブログ

幕が上がると [公募]

幕が上がると、いつも母の姿を探した。

最初は幼稚園のお遊戯会だ。
私はピンクのドレスを着た花の精だった。その他大勢の中のひとりだった。
それでも母は大きな手拍子をして、私だけを見ていた。

小学校の合唱祭も、中学校の演奏会も、母は欠かさず来てくれた。
最前列を陣取って、上手く出来ても出来なくても、惜しみない拍手をくれた。
「藍子が一番可愛かった」「藍子が一番上手だった」「藍子の声が一番聞こえた」
絶対にそんなことはないのに、帰るといつも褒めてくれた。

父の記憶はあまりない。殆ど家にいなかったからだ。
たぶんよそに女の人がいたのだと思う。私が中学に上がる前に離婚して、私の顔も見ずに出て行った。父の記憶がない分、母の笑顔と拍手はいつでも鮮明に思い出せる。
心の中に「母」と書かれた特別な引き出しがあるのだ。どんなときでも引き出せる。

高校では演劇部に入った。舞台上の私を母に見て欲しい気持ちがあったのだと思う。
もちろん母は公演があるたび来てくれた。
どんな小さな役でも、セリフを忘れてカカシみたいに棒立ちになっても、やはり母は褒めた。
「藍子は大物ね。セリフを忘れてもちっとも焦ってなくて、度胸があるわ」
「焦ったよ。あんなに間があって。先輩が助けてくれなかったら本当に泣いてたから」
「いいじゃないの。その分スポットライトが長く当たってたわ。すごくきれいだった」
「やれやれ、お母さんは褒めるだけだから調子が狂っちゃう。演劇のこと、何も知らないんだから」
「そうね。でもいいのよ。私は藍子しか見ていないもの。藍子だけを見ているのよ」
私は、母を少し疎ましく感じていた。
だから三年生になって初めて主役を射止めても、母に公演の日程を教えなかった。

幕が上がっても母はいない。教えなかったのだから来るはずがない。
何だか寂しくて虚しくて、演技がぼろぼろだった。しかし家に帰ると、母が笑顔で言った。
「素敵だったわよ。藍子が主役だなんて、お母さんびっくりしちゃった」
「来てたの?」
「スーパーに張り紙があったから急いで行ったの。後ろの席だったけど、よく見えたわ」
「私、全然ダメだったよ」
「そんなことないわよ。最後のセリフ、すごく感動的だった。本当に素敵だったわ」
心地よかった。誰に言われるよりも嬉しかった。その夜私は、子供みたいに泣いた。

高校を卒業した私は、舞台女優を目指した。
大して才能があるわけではないけれど、舞台の上に立ちたかった。
もちろん名前のある役なんてもらえない。その他大勢、たまには人間以外の役だってやる。
アルバイトと練習でくたくたの毎日でも、私は舞台に立った。幕が上がって、母を探すために。

母はいつでもどこへでも来てくれた。床が抜けそうな古い小劇場や、テントを張った野外の公演。
母はいつでも変わらない笑顔と拍手をくれた。
結局芽が出ないまま、三十半ばで女優をやめた。
十歳年上の男と結婚したけれど上手くいかずに別れてしまった。
私の人生は一体何だったのだろうと、時々思う。

「そろそろお願いします」
スタッフの声に立ち上がって鏡を見た。今日の衣装は、古い着物ともんぺ姿。
戦後の日本、家に入ってきた泥棒を、戦死した息子と思い込んであれこれ世話を焼く母親の役だ。
食品工場で働きながら、町の小さな劇団に入ったのは二年前。
素人ばかりの集まりだから、すぐに主役に抜擢された。今日は老人ホームの慰労公演だ。

幕が上がると、最前列に母がいた。去年からこの施設でお世話になっている。
母はあの頃と同じように、笑顔で大きな拍手をしている。母が見ている。
私の動きの一つ一つを、私のセリフの一つ一つを、すっかり衰えた目と耳で必死に追いかけている。

劇が終わると、まっ先に母に駆け寄った。
「どうだった?」
「ええ、とても素敵だったわよ。あなた、女優さんだったんですってね。道理でお上手だわ。私の娘もね、女優なのよ。あのね、名前はね……」
焦点が合わない目で、母は私の名前を思い出そうとしている。
「藍子さん、カーテンコールだよ」
スタッフに呼ばれて舞台に戻った。母はいつまでも、惜しみない拍手を私にくれた。
それでいい。それだけが欲しくて、私は舞台に立つのだから。

*********

公募ガイドTO-BE小説工房の落選作です。
課題は「幕」でした。どうせなら、幕の内弁当ネタでも書けばよかった(笑)
TO-BEも残すところ1回になってしまいました。
最終回は、有終の美を飾れたらいいけど。。。

nice!(12)  コメント(8)