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島育ち [公募]

私は、この島から出たことがありません。島で生まれて、島で育ちました。
母は私が小さいころに、海に身を投げて命を絶ったそうです。
長老様が教えてくれました。
それから私は、この島に育てられました。
鳥たちが魚や木の実を運んでくれて、長老様が生きる術を教えてくれました。

「長老様、あれは何?」
いつものように長老様の肩に乗って、海を眺めていたときです。
見たことのない大きな塊が、海の上を滑ってきます。
「あれは船じゃよ。珍しいな、こんな島に船が来るなんて」
船からは、見たことがない生物が下りてきました。私と同じ二本の足で歩く生物です。
私に向かって何か話しかけましたが、何を言っているのかさっぱりわかりません。
「あれは人間だ。お前と同じ人間じゃ。ようやく迎えに来たようじゃ。さあ行きなさい。人間の住む世界に帰るのじゃ」
長老様はそう言うと、私を振り落としました。
人間たちに抱えられて、私は船に乗せられました。
どんなに叫んでも抵抗しても、長老様は助けてくれませんでした。


「DNA鑑定の結果、あなたのお子さんに間違いありません」
知らせを受けた男は、十字を切って指を組んだ。神よ、まさか娘が生きていたなんて。
男の妻は出産を控えていた。
より良い環境で子供を産むために、船で大きな街に行く途中で事故に遭った。
海に投げ出された妻を捜し続けて七年が過ぎ、ある日小さな無人島で、娘だけが見つかった。
残念ながら、妻の生存は確認できなかった。
「しかしあんな小さな子供が、たったひとりでどうやって生き延びたんだ」
「はあ、木に育てられたのではないかという見解が出ています」
「木だと? そんな馬鹿な話があるか」
「あなたの娘さんは、人間の言葉がわかりません。それなのに、庭の樹木とは話せるのです。もちろん何を話しているのかわかりませんが、確かに意思の疎通があるのです」
男は思わず頭を抱えた。愛しい我が子と、どう接すればいいのだ。
しかし妻が命懸けで産んだ娘だ。大切に育てようと心に決めた。


長老様、島を離れて一年が過ぎました。毎日小さな建物の中に閉じ込められています。
窓から見える木が、唯一の友達です。
人間の言葉は少しだけ理解できるようになりました。
洋服という柔らかい布を纏うことには慣れましたが、泡だらけのお風呂に入れられて身体をゴシゴシされるのは、未だに慣れません。
人間が運んできてくれる食べ物は、信じられないくらい美味しいです。
だけど島にいたときのように手でつかむと叱られます。
たまに父親という人がやってきて、文字や言葉を教えてくれます。
彼は私を「エミリー」と呼びます。それが私の名前だそうです。
時おり私を抱きしめて「おお、エミリー、可哀想に」と泣くのです。
長老様、私は可哀想ですか? 早く島に帰りたいです。ここは息が詰まりそうです。

 
「エミリーの様子がおかしいだと?」
「はい、毎日外ばかり見て、食事もろくに食べません。島が恋しいのだと思います」
「友達が必要だな。学校へ行かせてみるか」
「それはまだ早いかと。それよりも、植物の世話を任せてみてはいかがでしょう」
カウンセラーの提案を受けて、男は庭に植物園を造った。
エミリーは一日の殆どを植物園で過ごし、木や草と会話をすることで徐々に元気を取り戻していった。

長老様、お父様が造ってくれた植物園が私の居場所になりました。
植物の中に、あの島を知っている草がいました。鳥がはるばる種を運んで来たのでしょうか。
長老様の話をしたら懐かしそうに涙ぐみました。
長老様、ここで色んな植物の話を聞くことが、私の役割のように思います。
お父様が言いました。
「それなら、文字や言葉をもっと勉強しなさい。植物のことが、よりわかるようになる」
新しい言葉を覚えると嬉しくなります。不思議です。私は今、とても楽しいのです。


「長老、何だか島が騒がしいですね」
「人間が、植物の研究に来たのじゃよ。この島は珍しい植物が多いからな」
「島が荒らされませんか?」
「大丈夫。あの女の研究員は、この島で育った娘じゃ。二十年ぶりの里帰りじゃ」
エミリーは、砂浜で大きく深呼吸したあと、島の中心に根を張る、巨大な老木に向かって走り出した。
「長老様、ただいま帰りました」


******
更新、ちょっと間があいてしまいました。(反省)
これは、公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「島」でした。
なかなか難しかったですね。応募数も多いし。
たぶん5枚で収まる話じゃなかったんでしょうね。
「島」の解釈、いろいろあるんですね。

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マスクを外せば [公募]

大学付近にやたらと貼ってある、指名手配犯の写真。
一緒に歩く友達が立ち止まって、僕と指名手配犯を交互に見た。
「なあ、この犯人、ヨシキに似てねえ?」
「本当だ。眉毛と目元がそっくり」
言われてみれば似ている。太い眉と一重の目。
それ以来そこを通るたび、「おまえ、何やったんだよ」とからかわれた。
「ハート泥棒」などとふざけていたのは、去年までの話だ。

世界中に広まったウイルスの影響で、出かけるときはマスクをかけることが当たり前になった。
マスクをかけて鼻から下を隠すと、あの指名手配犯と瓜二つになってしまった。
一体どんな悪いことをしたのか、指名手配犯の写真は街中に貼られている。
僕とすれ違う時、ひそひそ声で話す女性や、ぎょっとした顔で目を背けるサラリーマンに、「違いますよ」とマスクを外して見せるわけにもいかない。
ただ足早に通り過ぎる。まるで怪しい人みたいだ。

バイト先に警察が来たこともあった。誰かが通報したのだろう。
マスクを外すと別人だからすぐに誤解は解けるけれど、こんなことが続くのは勘弁してほしい。
ウイルスの感染はなかなか収まらない。マスクは必需品だ。

いっそ前髪で眉と目を隠してしまおうと伸ばし始めたら、「前髪がウザい」と、美容師の姉にあっさり切られてしまった。
そこで僕は考えた。眉を細くしたらどうだろう。
自分でやったら絶対に失敗するから、姉に頼んだ。
「眉を細くするの? あんたも色気づいてきたのね。まあいいわ。やってあげる」
姉は小さな眉用のはさみと毛抜きと剃刀で、丁寧に僕の眉をカットした。
「へえ、いいじゃない。男前になったわよ」
「そうかな」
「ねえ、髪の色も変えてみなよ。冒険できるのって、学生のうちだけだよ」
髪の毛で冒険をしたいなどと思ったことはないけれど、姉はもうその気になっていて、半ば強引に、金色に近い茶髪にされた。
「やだ、イケるじゃん。ちょっとお母さん、ヨシキが渋谷系のイケメンになったよ」
母が来て「あら本当だ。目が二重だったらジャニーズに入れるわね」と目を細めた。
「そうね。じゃあ二重にしよう」
「いや、さすがに整形は……」
「ばかね。整形しなくても二重になるわよ。そこら辺の女子高生、みんなやってるわ」
僕の目は、テープで簡単に二重になった。
「あらヨシキ、あんた今なら彼女出来るんじゃないの? 彼女いない歴二十一年に終止符打てるかもよ」
「でもマスクは外しちゃだめよ。鼻から下は未開発ゾーンだからね」
「そうそう、マスクしたまま告白するのよ」
母と姉にからかわれて「余計なお世話だよ」と言いながらバイトに出かけた。

「えっ、ヨシキ君? 急にカッコよくなっちゃってどうしたの?」
バイト先のカフェで、僕は初めてモテた。
女性客がひそひそ声で「あの人カッコよくない?」と囁いている。
こんなことはもちろん初めてだ。
そして僕はその日初めて、OL風の美人の客から「ねえ、仕事いつ終わる?」と熱い視線を投げかけられた。
「いいお店があるんだけど、この後どう?」
もちろん「はい」と即答。お母さん、姉ちゃん、マジで本当に彼女出来ちゃうかも。

彼女に連れていかれたのは、路地裏の小さなバーだ。
こんな店入ったことがない。しかも常連しか行かないような店で入りづらい。
尻込みする僕の背中を彼女が押した。薄暗い店内には数人の客がいた。
彼女は常連らしく、マスターらしき男と気軽に挨拶を交わした。

「ねえ、あの奥にいるバーテンを見て。君に似てない? カフェで君を見たとき、ソックリだから驚いたわ。面白そうだから、会わせてみたかったの」
奥にいるうつむき加減の男は、僕と似たような髪色で、似たような眉だった。
「あの人の二重瞼、絶対整形だと思うんだよね。私わかるんだ。会社にも、連休明けに二重になる人が結構いるのよ」
髪を染めて眉をカットして目を二重に整形? 
それで僕に似ているということは、まさか、あのバーテン……。

カウンターの椅子に座りかけたタイミングで、刑事が店に入ってきた。
誰かが通報したのだろうか。刑事は指名手配犯の名前を叫んだ。
思わず振り向いた僕と、焦った顔のバーテンを、交互に見ながら刑事が言った。
「えっ、どっち?」
僕はすかさずマスクを外した。
刑事は逃げようとするバーテンを羽交い絞めにして、忌々しい指名手配犯はようやく捕まった。
「ああ、よかった」と笑いかけた僕を見て、彼女がひどくがっかりした顔をした。

ああ、お母さん、姉ちゃん、マスク外しちゃったよ。やっぱり彼女は、まだ無理だ。

****
公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作…と思ったら、選外佳作でした。
課題はマスク。タイムリーなテーマですね。
マスクを外せる日は来るのでしょうか。

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五年後の卒業式 [公募]

久ぶりに降りた故郷の駅は、すっかり変わっていた。
大きなビルが立ち並び、あの日の災害がまるで嘘のようだ。

五年前、町を呑み込むような大きな災害があった。高校の卒業式の前日だった。
両親は亡くなり、僕は町を離れた。
ようやく落ち着いた頃、「卒業式を兼ねた同窓会」の案内が届いた。
懐かしい。もちろん出席に〇をつけた。

「拓郎君、待ち合わせして一緒に行こう。五年ぶりの待ち合わせだね」
そんな手紙をくれたのはクラスメートの由香里だ。
家の方向が一緒だから、よく待ち合わせをして一緒に帰った。
実は卒業式の日に告白しようと思っていた。
だけどそれどころじゃなくて、あれから一度も会っていない。
手紙には、待ち合わせ場所と、目印の白い造花が同封されていた。

「ちょっと早すぎたかな」
駅前のホテルのロビーで、白い花を胸にさして由香里を待った。何だか照れる。
十分が過ぎたころ、白い花を持った女性が入ってきた。
だけど由香里じゃない。どうみてもおばあさんだ。
その後ろから、また白い花を持った人が入ってきた。今度は知らない男だ。
一体どういうことだ? 流行っているのか、白い花? 
不思議に思っていたら、ロビーは白い花を持った人でいっぱいになった。

「拓郎」
不意に名前を呼ばれて振り返ると、五年前に死んだはずの父と母が立っていた。
同じように白い花を持っている。
「拓郎、やっと会えたね」と、僕にすがりつき、涙をこぼした。
夢でも見ているのだろうか。それともあの災害で死んだと思っていたのは間違いで、どこかでひっそり暮らしていたのだろうか。
「じゃあね、拓郎。あなたの卒業式、楽しみにしているね」
父と母はそう言って、たくさんの集団の中に消えた。呆然と見送りながら、由香里を探した。
彼女なら、きっと何かを知っている。

「よう、拓郎」
ようやく同級生が現れた。同じクラスの長山だ。やはり白い花を持っている。
さほど親しくはなかったけれどホッとした。
「なあ、長山、僕は由香里と待ち合わせをしているんだ。同窓会の会場はここじゃないんだろう? この人たちは一体何なんだ?」
「今から会場に向かうんだよ。ここは単なる待ち合わせ場所さ。ああ、でもよかったな。やっと卒業式が出来るよ」
よく見ると、知った顔がたくさんいた。同級生とその親、先生。
なんだ。待ち合わせをしていたのは、僕だけじゃなかったのか。

しばらくして、由香里が来た。大人びた黒いパンツスーツがとても似合っている。
なぜか彼女は、白い花を持っていない。
「拓郎君、よかった。やっと会えたね」
「元気そうだね。五年ぶりだ」
できれば二人だけで逢いたかったと、本音を飲み込んで笑った。
由香里はバスガイドみたいに大勢の人たちを誘導した。
表にはバスが停まっていて、みんな順番に乗り込んでいく。
最後に乗った由香里は、僕の隣に座った。
「どこへ行くの?」
「もちろん私たちの高校よ」
「あの日、壊れてなくなったんじゃないの? 建て替えたの?」
「いいえ、昔のままよ。同じ場所で、みんなが揃うのを待っているのよ」

学校はあった。まるで五年前と同じだった。体育館の入口に、卒業式の看板があった。
僕たちは、いつの間にか制服を着ている。ただ一人、由香里だけが黒のスーツだ。
校長の話、卒業証書の授与、校歌、女生徒のすすり泣き、保護者たちの拍手。
五年ぶりの卒業式が終わった後、同級生たちが僕の周りに集まった。
「待ちくたびれたよ、拓郎。お前、なかなか見つからないんだもん」
「そうそう、全員揃って卒業したかったからさ、みんなここで待っていたんだ」
「お前の遺体だけ、見つからなくてさ」

 えっ? 遺体って何? 意味が分からない。
同級生たちの身体が、だんだん薄くなっていく。
周りを囲む親や先生も、徐々に色を失っていく。
それなのに僕の隣にいる由香里だけが、鮮明な輪郭を保っている。
「ごめんね、拓郎君。あの日、私だけが助かったの。具合が悪くて隣町の病院にいたから災害に遭わなかったの。私以外は全滅だった」
由香里が泣いている。ずっとずっと、僕の遺体を捜していたと、辛そうに言った。
「五年もかかっちゃった。でもこれで、ちゃんと見送ることが出来るよ」
父と母が、僕の手を取った。一緒に逝こうと優しく言った。

僕は空に昇っていく。由香里は、何もない荒れ地に佇んで、ずっと手を振っている。
どうやら僕の恋は実らなかったようだ。
だけど、最期に君と待ち合わせが出来て嬉しかった。
ありがとう。さよなら。

*****

公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「待ち合わせ」でした。
先月号の最優秀集を読んだとき、「かぶった」と思いました。
先月号も死んだ子供が教室に行く話で、「ああ、似たような設定だ。こりゃあダメだな」と思いました。今回の最優秀は素敵な話でした。とりわけ新しくはないけど、いいなあ~と思いました。
私も頑張ろう^^

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リモコンベビー [公募]

秋に里帰り出産をした妻が帰ってきたのは、街にジングルベルが流れる12月の初旬だった。
生後二か月の我が子は頬の赤い女の子で、なんとこの日が初対面だった。

妻の故郷はとても遠い。
電車を乗り継いでようやく港にたどり着き、そこから一日二本しか出ていない連絡船に乗り換えて五時間。
まるで日本の一番端っこのようなその島で、妻は子供を産んだのだ。
もちろん里帰り出産には反対だった。
仕事を休んでついていくことは出来ないし、生まれる時に立ち会うことも不可能だ。
僕の仕事はとても忙しい。
「生まれ育った家で子供を産みたいの。先祖代々そうして来たから」
妻はそう言い張って、八か月のお腹を抱えて一人で帰った。

そんな島にも電波は届いていたから、スマホで赤ん坊の顔が見られた。
ネットの電話で会話をして、動く小さな手や足を見て、ちょっと感動した。
名前はちゃんと顔を見て決めた。桜色の頬が可愛かったから「さくら」と名付けた。
待ちに待った初対面だけど、怖くて触れない。
「ゆっくりパパになればいいのよ」
妻は慣れた手つきでミルクを飲ませ、オムツを替えてお風呂に入れた。
僕は感心しながら見ているだけだった。

一緒に暮らしてみると、さくらはとてもいい子だった。
よく寝るし元気だし、いつも機嫌がよくて夜泣きもしない。
僕たちはゆっくり食事をして、妻は編み物を、僕は音楽を、心置きなく楽しむことが出来た。
「ねえ、子供がいる友達の話を聞くと、みんな大変らしいよ。夜泣きがひどくて眠れなかったり、一日中抱っこをして腰が痛いとか、奥さんが育児ノイローゼで大変だったとか。どうしてさくらはこんなにいい子なのかな」
妻はふふっと笑って、ベビーベッドの横から何やら黒い物を持ってきた。
「これのおかげよ」

それは、どう見てもリモコンだった。
オンとオフのマークと、プラスとマイナスのボタンがいくつかあるシンプルなリモコンだ。
タイミングよくさくらが泣き出して、妻がマイナスのボタンを押すと泣き声は小さくなり、やがてフェイドアウトした。
「どういうこと?」
「リモコンで操作してるの。オフにすればしばらく眠っているわ」
「何それ。さくらは人間だ。機械やロボットじゃないぞ。リモコンなんて変だろ」
「私たちの島には、昔から超人的な力を持つ祈祷師様がいるの。生まれた子供はそのお方から、無病息災や、疳の虫を抑える力をいただくの。小さな島で病院もないから、みんなその力をいただいて育つのよ」
「このリモコンは何?」
「私の場合、島を出て子育てをするから、祈祷師様の力が届かないでしょう。だからね、このリモコンに力を封じ込めてもらったの」

いったいどういう仕組みになっているのだろう。
電池も入っていない小さなリモコンに、そんな力があるとは到底思えない。
「そんなのに頼るなんて変だよ。ここは都会だし、病院だってあるじゃないか」
「じゃああなた、さくらが病気になったら仕事をやめて帰ってくるの? 無理でしょう。都会の人は冷たいわ。妊婦に席も譲ってくれない街よ。きっと誰も助けてくれない。だから私には、祈祷師様の力が必要なのよ」
それを言われたら言い返せない。
にわかに信じがたいけれど、僕にはやはり、見ていることしかできないのだ。

クリスマスイブの夜、珍しく早く帰れたので、食事に行くことになった。
さくらをベビーカーに乗せて、初めてのお出掛けだ。
ファミレスよりは少し高級な、気取らない店を選び、僕たちは食事を楽しんだ。
オフのボタンを押しているせいか、さくらはずっと眠っている。
「おとなしい赤ちゃんね」と声をかけていくご婦人に、妻は穏やかに微笑んだ。

最後のデザートを食べ始めたときだった。さくらが急に激しく泣き出した。
妻がリモコンを押してもまったく泣き止まない。
「やだ、どうしちゃったの。ミルクはあげたし、オムツも替えたのに」
そのとき妻のスマホが鳴った。電話に出た妻は、呆然としながら唇を震わせた。
「祈祷師様が、たった今亡くなられたわ」

力が切れた。リモコンはただの薄い板になった。
僕はさくらを抱き上げたけれど、あやす術など何も知らない。
周囲の視線が気になって、早々に会計を済ませて外に出た。
外に出た途端、さくらはピタリと泣き止んだ。
「もしかして、暑かったんじゃない?」
着膨れしたさくらが、薄ら汗をかいていた。
「ああ、そんなことも分からないなんて、私、母親失格だわ」
溜息を吐く妻の頬を、さくらが小さな手で撫でた。
ゆっくりでいいよと言っているみたいで、僕たちは顔を見合わせて笑った。

*****
公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「リモコン」でした。
こんな素っ頓狂な話では、入選なんかするわけないね(笑)

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ふたりの縁側 [公募]

「先生、先生」
ぱたぱたと廊下を走ってくるのは、妻のカナコだ。
カナコは私を先生と呼ぶ。
たまには名前で呼んで欲しいが、結婚以来一向に呼び方を変えない。
「先生、こんなところにいたの? ごはんよ」
金木犀が微かに香る午後のリビングに、読みかけの本と老眼鏡。
若いつもりでいても、カナコはそれなりに年を重ねている。

食事が終わると、カナコはパソコンを開く。
「先生、ミステリーって難しいわ。軽いミステリーでいいって言うから引き受けたけど、なんか煮詰まっちゃった」
カナコは小説家だ。かく言う私も小説家だった。
今はすっかり書かなくなってしまったが、文章だったら妻よりも巧い。

「カナコ先生、お邪魔しますよー」
あの声は担当編集者の谷中だ。
相変わらず勝手に上がり込み、自分の家のように冷蔵庫を開けたりする。
もともと私の担当であった彼女は、数年前、カナコに小説を書くことを勧めた。
それが異例の大ヒットとなったのだから、谷中は図々しいだけではなく、優秀な編集者でもあったのだ。

「カナコ先生、どうですか。しばらく休んでいたけど、やっぱり書かないと調子でないでしょ。物書きなんてそんなものですよ。コーヒー淹れますね」
「ありがとう、谷中ちゃん。確かにね、書いているときは夢中になれるんだけどね、つまずいたときに先生のアドバイスがもらえないのは、ちょっとキツイな。先生のダメ出しはすごく的確だったから」
「ああ、わかる、わかる。でもまあ、所詮はひとりで書くものですからね。小説は」
「そうよね」
「ところでカナコ先生、猫を飼い始めたんですか。何だかふてぶてしい顔の猫ですね」
谷中が私を抱き上げた。
「私だ。気安くさわるな」
と言いたいけれど、今の私には「にゃー」という発音しか出来ない。

思い残すことなく、この世とオサラバしたはずだったが、気がついたら猫になってこの家に戻っていた。
気丈で明るいカナコが縁側で一人泣いているのを見て、その手をぺろりと舐めてやった。
「先生」とカナコは私を呼んだ。
「先生によく似た猫ちゃんね。もしかして生まれ変わったの? あはは、まさかね。四十九日が済んだばかりなのに早すぎるわよ」
カナコは、声を出して笑いながら涙を拭いた。
以来私はここにいる。

谷中がコーヒーを三つ淹れた。一つを仏壇に供え「先生、夢の中でもいいから、カナコ先生にダメ出ししてあげて下さいね」と手を合わせた。私にできるアドバイスなどもうない。カナコは立派な小説家だ。
谷中は、くだらない世間話を散々して、ついでのように、小さな仕事を幾つか置いて帰った。
最後に私をしみじみ見て「見れば見るほどブサイクな猫だわ」と、余計なひと言を残して行った。
カナコは立ち上がって大きく伸びをしてから、私をそっと抱き上げた。
「先生、見て。きれいな夕焼けよ」

ひとつ仕事が終わると、ふたりで縁側に座って飽きるほど庭を眺めた。
春には桜、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬には椿。
この庭を眺めながら死にたいと、病院のベッドで何度思ったことか。
好きなことをたくさんして、思い残すことはないと思っていたけれど、大ありだった。
この先何年も、この庭をひとりで眺めるカナコのことを思ったら、胸が潰れそうなほど切なくなった。

「ねえ先生。私ね、先生のことを名前で呼んだことがないの。ああ、人間の先生のことよ。だってね、出逢ったときから先生だったのよ。私、先生のファンだったの。結婚してこの家で一緒に暮らしても、私にとって先生は、尊敬する大好きな先生なのよ」
何だか照れ臭い。出逢った頃と、カナコは全然変わっていない。

日暮れの風に、金木犀の香りが優しく舞い込む。
呼び方なんてどうでもいいさと、私は丸くなって欠伸をした。
「ちょっと肌寒くなってきたね。さあ先生、ごはんにしようか」
カナコが窓を閉めて、戸棚のキャットフードを取りに行く。
私はシッポを振りながら、そのあとを追いかける。
「ああ、たまにはサビの効いた特上寿司でも食べてみたいものだ」
秘かにそんなことを思いながら。


******

公募ガイド「TO-BE小説工房」で佳作をいただいた作品です。
課題は「先生」でした。
佳作も久しぶり。最優秀、そろそろ欲しいニャ~

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百合とカスミソウ [公募]

夕暮れだった。僕は母とふたりで夕涼みをしていた。
虫の音が聞こえていたから、夏の終わりの頃だと思う。
僕は五歳だった。
空に一番星を見つけてはしゃいでいたら、知らない女の子が突然庭を駆け抜けて、縁側に座っていた母に抱きついた。
女の子が被っていた帽子が脱げて、ふわりと僕の両手に収まった。

「お母さん」と、その子は言った。
母は、女の子の背中を撫でながら、「どうしたの、ユリエちゃん」と涙声で言った。
訳が分からず立ちすくむ僕の手の中で、カスミソウみたいな白い帽子が揺れていた。

ユリエという女の子は、その日僕の家に泊まった。
母は何だか嬉しそうで、父も得意のかき氷を作ったりしていつもより賑やかな夜だった。
ユリエは小学生で、お姉さんぶって本を読んでくれた。
楽しかった。夢のような夜だった。

朝になったらユリエはいなかった。
縁側に、ユリエが忘れていった帽子が寂しそうに朝日を浴びていた。
母はその帽子を抱きしめて、とても悲しそうな顔をした。

父と母が再婚同士だと知ったのは、小学生になってからだ。
僕が三歳の時に両親は結婚した。つまり母と僕に血縁関係はなかった。
あの日母の胸に飛び込んだユリエは、母の娘だった。
離婚して前の家を出たときに別れてしまった、たった一人の娘だった。

僕はあの夜の出来事を、ずっと憶えていたわけじゃない。
何しろ五歳だったし、もう三十年も前の話だ。
それを今思い出したのは、先月亡くなった母の遺品の中に、あの白い帽子があったからだ。
帯の部分に『ゆりえ』と名前が書かれた白い帽子を、母は大切に持っていたのだ。
僕の記憶では、母はあれっきりユリエに会っていない。
生きているうちに会わせてあげたかったと、しみじみ思った。

秋の彼岸に墓参りに行くと、母の墓にたくさんの百合の花が供えてあった。
思い当たる人はいない。
墓石を覆うほどの白い百合は、あの日のユリエの白い帽子を思い出させた。
あの人が、墓参りに訪れたのだろうか。

       *

母との約束通り、白い百合を供えて来ました。
あの子はきっと驚いているでしょう。
何しろ私たちが定期的に会っていたことを、彼はまるで知らないのですから。
 
母は、祖母や曾祖母の苛めに耐えられなくて出て行きました。
だけど私は捨てられたなんて思いませんでした。
母は絶対迎えに来てくれると信じていました。

母は一年後に再婚しました。私が通う小学校の近くに、その家はありました。
母は私に会うために、あの子の父親と再婚したのです。
学校がある日は、毎日母と顔を合わせました。
あの子の手前、言葉を交わすことはなかったけれど、いつも優しい微笑みをくれました。
夏休みになると会えなくなって、寂しくて衝動的に会いに行きました。
それがあの夜です。
翌朝迎えに来た父に
「私には新しい家庭があります。ゆり絵には二度と会いません」と母はきっぱり言いました。
もちろん本音じゃないことはすぐにわかりました。

私はわざと帽子を忘れていきました。あの帽子は、その後母と私の合図になりました。
二階の物干しに帽子が吊るしてある日は『あの子がいないから来てもいいよ』の合図です。
あの子は月に数回、おばあさんの家に行くことになっています。
私はその日、母にたっぷり甘えてから家に帰りました。
そして母との密会は、大人になってからも続きました。
母が余命僅かとわかってからは、毎日一緒にいました。
私は母の担当看護師だったから、あの子よりもずっと近くにいました。
冷たいご主人は、たまにしか来ません。夫婦仲が良くないことは、ずっと前から知っていました。
「私の本当の家族は、ゆり絵だけよ」
母はそう言って、私の手を握りました。

        *

僕は、線香がまだ新しいことに気づいた。
ユリエは、まだ近くにいるかもしれない。
走って墓地の入り口まで戻ると、顔見知りの看護師がいた。微かに百合の匂いがする。
「まさか、ユリエさん?」
僕の問いかけに、彼女は小さく頷いた。
よかった。母とユリエは、偶然にもこんな形で再会していたのだ。
「今から家に来ませんか。あなたが忘れていった帽子を、母が大事に持っていたんです」
ユリエは「いいえ」と冷たい顔で笑った。
「もう必要ありません。捨ててください」
ユリエはくるりと背を向けた。もう会うことはないと、背中が告げていた。

母に似た後姿を見送って、僕はもう一度墓に戻った。
「母さんが好きだったカスミソウを持ってきたよ」
花挿しにカスミソウを溢れるほど入れた。
しかしそれは、白い百合に押されて、なんだか寂しくみじめに見えた。
僕はその日、いつも優しかった母の笑顔を、思い出すことが出来なかった。

******

公募ガイドTO-BE小説工房の落選作です。
課題は「帽子」でした。
5枚に、ちょっと詰め込みすぎたかな…と思いました。
今月は「リモコン」難しくない~?

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夕立の、前と後 [公募]

雨が降ると、石田君は決まって校庭に飛び出していった。
両手を広げて、まるで何かの儀式みたいに雨に打たれる。
髪も制服もびしょ濡れなのに、修行僧みたいに動かない。
クラスメートは二階の窓からヤジを飛ばし、呆れたように「またやってる」「アホだぜ、あいつ」と笑った。
やがて先生に連れ戻されて叱られて、その後の授業をジャージで受ける石田君は、本来は極めて普通の中学生だった。
あれだけ雨に濡れても風邪をひかない健康な身体を持ち、成績だって悪くない。
雨さえ降らなかったら、さほど目立たない、どちらかと言えば地味なクラスメートのひとりだ。

よく晴れた七月の空を、石田君はぼんやり見つめていた。
二つ後ろの席で、私は石田君の背中を見ている。
石田君とは、小学校の時からずっとクラスが一緒で、気が付くと彼の背中を目で追っていた。
今日の背中は、少し寂しそうだ。
「ねえ、石田ってバカなの? 前からあんなだった?」
クラスの女子からの問いかけに「さあ?」と曖昧に笑い返した。
本当の石田君を、みんなは知らない。

放課後、昇降口で石田君と一緒になった。
「あれ、文芸部、部活ないの?」
スニーカーを落とすように床に並べて、石田君が私を見た。
「先輩が来なくて、みんなだらけてるから終わりにしたの」
「はは、ゆるくていいな」
「石田君は? バスケ部でしょ」
「退部したんだ。家庭の事情ってやつでさ」
「そうなんだ」

グラウンドの端っこを遠慮がちにすり抜けて、野球部の掛け声と陸上部の足音に押されるように校門を出た。
帰る方向が一緒だから、自然と並んで歩き出した。
梅雨明けの鮮やかな緑が、石田君の顔にまだらな影を作った。
「暑いな」
「雨が降ったら涼しくなるかな」
雨というワードを口にしたら、石田君の表情が少し揺れた。

「ねえ、石田君、どうして雨の日に外に出るの? 何かのおまじない?」
ずっと聞きたかったことを、思い切って聞いた。
クラスメートには「昨日風呂入ってないから、シャワーの代わり」などとふざけているけれど、彼が祈るような顔で雨に打たれていることを、私は知っている。

「お母さんが、迎えに来るから」
下を向いて、蚊の鳴くような声で言った。
「お母さん、雨が降ったらいつも迎えに来たんだ。俺、決まって傘を忘れる子だったからさ。公園や、河川敷や通学路。どういうわけか、お母さんには俺の居場所がわかるんだよ」
石田君は、へへっと子供みたいに笑った。

石田君のお母さんは、私たちが五年生の時に、若い男と一緒に町を出た。
当時ママたちは、集まればその話で持ち切りだった。
当然私たちも知っていた。
そして一年後、石田君のお母さんは抜け殻みたいになって帰ってきて、精神を病んで引きこもっていると、ママが誰かから聞いてきた。

「ふうん」と応えたとき、頬に冷たいものが当たった。見上げると、重い灰色の雲がさっきまでの青空を押しのけて広がっていた。
見る見るうちにアスファルトを黒く塗りつぶし、叩きつけるような大雨が降ってきた。
「石田君、雨だよ」
声をかけたとき、石田君はすでに両手を広げていた。
大粒の雨に顔を叩かれても決して下を向かず、祈るように打たれていた。
私も同じように雨に打たれた。
石田君の隣で「どうか、石田君のお母さんが迎えに来ますように」と心の中で何度も唱えた。

時間にすれば五分くらいの、まさに通り雨だった。
音がやみ、瞼に薄い光を感じて目を開けると、雨がすっかり止んでいた。
目の前には、大きな虹が出ていた。
「石田君、見て。大きい虹だよ」
石田君は、虹を見ていなかった。彼は、虹の前に立つ女性を見ていた
。傘で顔が半分隠れているけれど、どこか見覚えがある人。
左手に、男物の青い傘を持っている。

「お母さん」と、走り出した石田君は、もう私の存在を忘れている。
やっと来た。願いが叶ったね。
並んで歩く二人を見送って、ぐっしょり濡れたスカートの裾を雑巾みたいに絞った。
貼りついた髪の毛の不快感と脱力感。重い頭で家に帰った私は、その夜熱を出して、二日間学校を休んだ。
熱が下がって登校すると、石田君は元の目立たない地味なクラスメートに戻っていた。
彼の背中は穏やかだった。
「長く降り続いた雨が、やっと止んだんだね」と、誰にも届かない声で呟いてみた。

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公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「夕立」でした。
そろそろ欲しいなあ、最優秀。


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対岸の家 [公募]

施設の前には、大きな湖がありました。
湖の向こう側は、私が生まれ育った町です。
よく晴れた日は、高台の小学校や公園の展望台が、すごく近くに見えるのです。
そして小学校の裏山を上った先にある私の家が、はっきりと見えるのです。

もう誰も住んでいません。両親はとうに亡くなり、弟は遠い街で所帯を持ち、帰るつもりはなさそうです。
半年前まで、独りでどうにか暮らしていましたが、歩くことが困難になって施設にお世話になることにしました。
こうして眺めていると、誰も住んでいない家が不憫です。
たまに帰って空気の入れ替えをしてあげたいけれど、それも叶いません。

施設に来てから、ただの一人も面会に来ません。夫も子供もいないのです。
弟は遠くにいるから滅多に会いに来ません。
長いこと働いて、両親と家を守ってきました。気がつけば独りです。
湖のほとりで、近くて遠い我が家を見ることだけが、私のライフワークになっているのです。

「そろそろ夕食の時間ですよ」
ヘルパーさんが迎えに来ました。湖が夕陽で赤く染まっています。
向こう岸にもチラチラと灯りが灯り始めています。
「ねえ、湖の向こう側に行くには、車椅子でどのくらいの時間がかかるかしらね」
「まあ、車椅子で? そうですねえ、ぐるっと回って行くしかないから、車でも三十分以上かかりますよ。車椅子だったらきっと一日がかりだわ。ここからまっすぐ、橋でも架かっているなら別ですけどね」
ヘルパーさんは笑いながら車椅子を押してくれました。
ああ、本当に橋が架かっていたら、どんなに近いでことでしょう。

それから私は、湖のほとりに行くたびに想像しました。
ここからまっすぐ、向こう岸まで延びている橋を思い浮かべました。
透明な硝子で出来ている橋はどうかしら。まるで湖の上を歩いているみたいで素敵。
そんな夢みたいなことを考えていると、寂しさや不安が消えていくのです。

ある日のことでした。
日暮れまで湖のほとりでぼんやりと、対岸の家を眺めていました。
夕凪が心地よく、サワサワとガマの葉を揺らしていました。
ふと見ると、私の家の窓に、灯りが灯っているのです。
誰もいないのに、なぜ灯りが? 
他の家と見間違えたのかと思い、目を凝らしてもう一度見ました。
やはり私の家です。まるで誰かが住んでいるように、普通に当たり前に、灯りが灯っているのです。

弟が帰って来たのかしら。いいえ、あの子は鍵を持っていないはず。
連絡もなしに来たことなんて一度もない。
まさか、泥棒? 盗られるものなんて何もないけれど、放火でもされたらたまらない。
ああ帰りたい。見えるのに、こんなに近くに見えるのに。
私は必至で湖に近づきました。橋があれば、せめて橋があればと願ったそのときです。

私の足元に、透明の橋が現れました。
私の足元からまっすぐ、向こう岸まで延びています。
それは、私が想像していた橋そのものでした。
硝子で出来た、きらきら光る橋でした。
私は立ち上がりました。自分でも驚くほど自然に立ち上がったのです。
足は痛くありません。痛くないどころか、勝手に動き出すほど元気です。
ああ、これは夢かしら。あれほど重かった身体が、何て軽やかなのでしょう。

私は橋を渡りました。ときどき走って、ときどき藍色の湖を覗き込んで、対岸の灯りに向かって歩き続けました。
湖は穏やかです。時おり渦を巻いて水が跳ねます。魚が悠々と泳いでいます。
故郷の町に着くと、一気に坂道を駆け上りました。毎日のように上っていた坂です。
とうに閉店したはずの駄菓子屋が、店先でラムネを売っていました。
店のおばちゃんが「早く帰らないと叱られるよ」と、声をかけました。
夢でしょうか。私はおかっぱ頭の、小さな子供になっていたのです。

家の前に母がいました。小さな弟をおんぶして「いつまで遊んでるの」と私を叱ります。夕餉のいい匂いがして、私のお腹がカエルみたいに鳴りました。
家に入る前に振り返って、湖の向こう岸を見ました。
大きな施設がありました。窓にはたくさんの灯りがあります。
湖のほとりに、空の車椅子がポツンと置かれています。
硝子の橋は、跡形もなく消えていました。

私は振り返るのを止め、元気よく、大好きな我が家に入りました。
「ただいま。お腹ペコペコ」

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公募ガイド「TO-BE小説工房」で、選外佳作だったものです。
課題は「橋」でした。
何でもコロナのせいにするわけではないけれど、ちょっとペースが乱れています。
何だか落ち着かないし、休日は家族全員家にいるし(笑)
こちらはようやく日常を取り戻しつつありますが、まだまだ不安ですね。
みなさんは。いかがですか。

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ロッカー族 [公募]

スクールカーストの底辺を知っているかな? 
それは僕だよ。ロッカー族って呼ばれている。
授業の前に、教室の片隅にあるロッカーに入れられて、授業が終わるまでじっと息を潜めている。一緒に授業を受けることを許されない。それがロッカー族だ。

先生は僕がいないことに気付いても「また保健室か」と呑気な声で言いながら、普通に授業を始める。ひどい話だと思うだろう。
だけど実は、そうでもないんだよ。
授業が終われば出してもらえるし、暴れたり、声を出したりしなければ殴られることもない。
授業はちゃんと聞こえるから勉強が遅れることはないし、ロッカーの中は、狭くてちょっと臭いけど落ち着く。
ここは平和だ。恐喝されたりカバンに落書きをされるより、ずっとずっとマシだ。
こういう遊びが流行ってくれたことに、僕はむしろ感謝している。

それは、とても麗らかな午後だった。
いつものように「いいか、喋るんじゃねーぞ」と凄まれて、ロッカーに入れられた。
授業は日本史で、のらりくらりと話す先生だから、聞いているうちに眠くなった。
立ったまま寝ることにも、割と慣れてきたところだ。
ロッカーの中の暗さも丁度よく、僕はすっかり眠ってしまった。

目が覚めると、教室はやけに静かだった。
ホームルームも終わって、みんな帰ってしまったのだろうか。
それなら勝手に出ても殴られることはないだろう。僕は鉄の扉を開けて外に出た。
誰もいない。時計の針は午後二時三十分を指している。
まだ下校時間じゃないのに、みんなどこへ行ったのだろう。
大きく開いた窓からは、砂埃を含んだ風が舞い込んでいる。

校舎の中を歩いてみたが、先生も生徒もいない。
一人残らず消えてしまったように静まり返っている。
校庭に出て空を見上げると、見たこともない巨大な雲が渦巻いていた。
僕がロッカーの中で眠っている間に、きっと何か大きな災害が起こったのだ。
それでみんなは、どこか安全な場所に避難したに違いない。

僕はとりあえず、家に帰ることにした。家に帰れば何か分かるはずだ。
歩き出してすぐ異変に気付いた。誰もいない。
商店街も公園も、車道も歩道も、誰一人歩いていない。

「ナオキ」と、突然名前を呼ばれた。振り向くと、高校生の姉ちゃんが立っていた。
「姉ちゃん、これ、どういうことだよ」
「私も訳が分からないんだけど、空から来た何かが、人間たちを吸い込んでいったの。巨大な掃除機で吸われるみたいに、ひとり残らず窓から空に飛んで行ったのよ」
「姉ちゃんは、どうして無事だったの?」
「あたしは、ロッカーの中にいたから。ロッカーの隙間から、みんなが吸われていくのを見ていたのよ」

そうか、姉ちゃんも僕と同じロッカー族だったのか。
僕たちは、並んで歩いた。車道には、フロントガラスが割れた空っぽの車が列をなしている。
本当に人間だけがいなくなった。何のために、何の目的で? 
考えても無駄なことだ。
この街に、いや、ひょっとしたらこの地球上に、残されたのは僕たちだけかもしれない。

「ナオキ、ユミ」
突然名前を呼ばれて振り向くと、お母さんが立っていた。
「よかった。あなたたち無事だったのね」
「お母さんこそ、大丈夫だったの?」
「ええ、実はお母さん、パート先で苛めに遭っていてね、休憩時間をロッカーで過ごしていたの。おかげで助かったけどね」
なんだ、お母さんもロッカー族だったのか。きっと辛かっただろうね。だけど安心した。大人がいれば、きっと何とかなる。

「おーい」
道路の向こう側で、僕たちを呼んだのはお父さんだ。
お父さんが手を振りながら、横断歩道を渡ってくる。
「おまえたち、無事だったのか」
「うん。お父さんもロッカーの中にいたの?」
「ああ、実は仕事でミスをして、ロッカーの中で反省させられていたんだ」
すごいパワハラだ。だけどおかげで助かった。僕たち家族は全員無事だ。

「とりあえず、家に帰って情報収集だ」
「パソコン使えるかな」
「電気とガスはどうかしらね。お料理作れるかしら」
「お腹空いたよ」

この世界でいったい何が起こっていて、この先どうなるかなんてまるで分からない。
だけどこれだけは言える。
「僕たち、もうロッカーに閉じ込められることはないんだね」

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公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「ロッカー」でした。
こういう話は書いていて楽しいです。だけど選ばれるかどうかは微妙だな、と思いながら応募しました。
今月の課題は「霊」です。
ネコのレイちゃんの力を借りようかな。「れい」だけに(笑)

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六番目の娘 [公募]

「パパ、パパ、やったわ。女の子だって」
「おいおい、妊婦が走るなよ」
「だって、一郎から五郎まで、五人続けて男の子だったのよ。待望の女の子よ」
「だから、飛び跳ねるなって」

わたしは、ママのお腹の中でふたりの会話を聞いていた。
どうやらわたしには、五人のお兄ちゃんがいるらしい。
それにしても、一郎から五郎って、ネーミングセンスなさすぎでしょ。
まるで昭和だわ。なんだか不安。
パパとママ、わたしにどんな名前を付けてくれるのかしら。
六番目だから「六子」なんて名付けられたらどうしよう。
ねえ、パパママ、きらきらネームじゃなくていいからさ、今風の可愛らしい名前を付けてちょうだいよ。

「あら、この子、お腹を蹴ったわ」
「元気がいいな。元気なゲンコちゃんだな」
「あはは、じゃあ、生まれるまでゲンコって呼ぼうか。おーいゲンコ、早く出てこい」

ゲンコだなんて信じられない。仮の名前にしても、もうちょっと何とかならない? 
やっぱりこの夫婦、センスゼロだわ。

「ただいま。ママ、お腹さわっていい?」
「いいわよ。たくさん話しかけてあげて」
「おーい、ゲンコ、お兄ちゃんだよ」
「おーい、早く会いたいな」
「生まれたらいっぱい遊ぼうね」

五人のお兄ちゃんは、一郎と二郎が小学生、三郎と四郎が幼稚園、五郎はまだおしめの取れない2歳児らしい。
代わる代わる話しかけてくれる。
たぶんすごく素直でいいお兄ちゃんたちだろうな。早く会いたい。

「ママ、この子の名前はゲンコじゃないよね。生まれたらちゃんと名前を付けるよね」
「もちろんよ。元気に生まれるように、ゲンコって呼んでるだけよ」
「ねえママ、僕たちの名前は、どうやって決めたの?」
「それはもちろん、順番よ」
「えっ? それだけ?」
「結婚した時にね、パパと話し合ったの。子供は、野球チームが出来るくらいたくさん欲しいねって」
「そうか。野球は九人でやるから、一から九まで順番に名前を付けるんだね」
「そのとおりよ」
「ふうん。そうしたらこの子は六番目だから六郎だ」
「バカだな。女の子だから六子だろ」

ああ、やっぱり六子に決定っぽい。令和のこの時代に、なんて古臭い。
せっかく春に生まれるんだから「菜乃香」とか「さくら」とか「桃子」とか、可愛い名前を付けて欲しいのに。

「ママ見て、雪だよ」
「本当だ。ねえママ、雪の結晶って六角形なんだよ。僕、顕微鏡で見たんだ」
「へえ、一郎は物知りなのね。あっ、痛い。イタタタ……」
「ママ、どうしたの?」
「生まれるかも。二郎、ちょっと背中さすって。三郎、ママのスマホを持ってきて。一郎、パパを呼んできて。四郎、五郎、心配しなくて大丈夫よ」

きれいな雪が降った午後、わたしは予定日よりもひと月ほど早く生まれた。
たくましいママと、温和なパパと、元気で優しい五人のお兄ちゃん。
「ちっちゃいね」
「可愛いね」
「美人になるぞ」
「早く一緒に遊ぼうね」

代わる代わる、わたしを覗き込む。
まだぼんやりしか見えないけど、みんなとても優しそう。
もう、名前なんて何でもいいや。わたし、この家に生まれて幸せだ。

ママがわたしの名前を呼ぶ。パパが呼ぶ。お兄ちゃんたちが呼ぶ。
春の光が差し込む部屋で、わたしはお兄ちゃんたちが順番に使った籐のゆりかごで眠っている。

雪の日に生まれたわたしは、六花(りっか)という名前を付けてもらった。
雪の別名なんだって。とても気に入ったわ。
パパ、ママ、お兄ちゃん。そして、あの日降ってくれた雪に、心からお礼を言うわ。
素敵な名前をありがとう。

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公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
テーマは「名前」でした。
落選だったけど、私は好きです。こういう明るくて、のほほんとした話は書いていても心が和みます。特に今のような不安だらけの毎日にはね^^

余談ですが、今日公募ガイドからメールが来ていて
「ポイント追加のお知らせ」で200ポイントと書かれていました。
TO-BEは、落選だと10ポイント、佳作は60ポイントだったかな。
で、200だったら最優秀じゃん! って一瞬舞い上がり、雑誌をみたら最優秀どころか佳作にも入っていない。
メールをよく見たら、「定期購読継続ポイント」だった^^;
はずかし~。。。

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