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春の庭 [男と女ストーリー]

お元気ですか。
今年も河津桜がきれいに咲いたと、テレビのニュースで言っていました。
あなたの住む町は、一足早く春を迎えたのですね。
何度も誘ってくれたのに、私はとうとう一度も見ることが出来ませんでした。
きっとあなたの実家に行って、あなたのご両親に会うのが怖かったのです。
結婚の話がとんとん拍子に進んでしまうのを恐れたのです。
もちろんあなたを愛していました。だけど結婚することはできませんでした。
母を残して東京を離れることは考えられなかったのです。
母は何かに依存しないと生きていけない人でした。
父が亡くなってからは、私だけが頼りだったのです。
「河津桜を見ながら、一緒に生きていこう」という言葉、涙が出るほど嬉しかったです。
だけどあなたからのプロポーズは、私にとって別れの言葉でした。
本当にごめんなさい。

あなたとお別れして五年が過ぎました。
この秋、母は亡くなりました。
やっと自由になれたのに、寂しくてしかたありません。
あなたはどうしているでしょう。
もしもご結婚をなさったのなら、この手紙はなんと迷惑なことでしょう。
すぐに燃やしてくださってかまいません。
だけどもしも、ひとりでいるのなら…などと虫のいいことを考えてしまう私をお許しください。
この五年、あなたのことを忘れたことはありません。
あなたの幸せを、心から祈っています。     春江より


「また春江さんからのお手紙?」
妻が縁側にお茶を運んできた。
いくらか春めいた庭に、優しい風が吹いている。
「一度くらい、会いに行って差し上げたら?」
「いや、会わない方がいいだろう」
妻が淹れた濃いめのお茶をゆっくり飲みながら、私は答えた。

私が春江にプロポーズしたのは、もう40年も前の話だ。
細くて白い指に、私が贈った指輪が嵌められることはなかった。
春江は私と別れた5年後に母親を亡くし、少しずつ精神を病んでいった。
河津桜の季節に、春江からの手紙が届くようになったのは、10年ほど前からだ。
手紙の中の春江は、まだ20代だ。
会いに行ったところで、彼女は私に気付かないだろう。

「返事を書こう」
私は立ち上がり、書斎に向かった。
妻が何も言わず、丸い背中で私を見送った。
当たり障りのない文章と、河津桜の写真を添えて封をする。
春江が暮らす介護施設の住所を書いて、老眼鏡を外す。
私はこの町で、ゆっくり年を重ねた。
春江がここを訪れることは、とうとうなかった。

「ねえあなた。耳を澄ましてごらんなさい」
妻に言われて目を閉じると、どこからか春告げ鳥の声がした。

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雫石鉄也

う~ん。いい話ですね。
感動しました。
冒頭のツカミ、そして、意外な展開から、きれいな結末。
完璧なショートショートでした。傑作です。
by 雫石鉄也 (2015-03-05 13:20) 

SORI

リンさんさん こんばんは
静かに進んでいくストーリーに引き込まれました。
すばらしいです。
by SORI (2015-03-05 19:48) 

はる

とっても素敵なお話ですね。
是非私に朗読させて下さい。お願いします。
桜が待ちどうしいのですが、まだまだ雪です。((笑)♪♪)
by はる (2015-03-05 19:51) 

みかん

ショートストーリーなのに
長いお話を読んだような感じになりました^^
さすがリンさんですね!
春江さん 心から愛していたんだなぁ~
by みかん (2015-03-05 20:18) 

dan

初恋は実らずも年を経ても胸の奥に大切にある。
よくあることだけど、この作品は二人の優しさと真摯な姿が
読む人の心を打ちます。奥さんの優しさも嬉しい。
年をとるということの哀れさや寂しさが切ないです。



by dan (2015-03-06 14:20) 

さきしなのてるりん

当たり障りのない文章読んでみたかったな。
by さきしなのてるりん (2015-03-06 14:50) 

リンさん

<雫石鉄也さん>
ありがとうございます。
雫石さんに褒めていただくと「やった!」と思います^^
春なので、やはり温かい話を書きたいと思いました。
by リンさん (2015-03-06 21:47) 

リンさん

<SORIさん>
ありがとうございます。
テレビで河津桜を見て思いついた話です。
じつは行ったことはありません^^
by リンさん (2015-03-06 21:49) 

リンさん

<はるさん>
ありがとうございます。
朗読よろしくお願いします。
こちらは、少しずつですが春めいています。
北海道はまだ寒いでしょうね。
by リンさん (2015-03-06 21:51) 

リンさん

<みかんさん>
ありがとうございます。
嬉しいです^^
愛していてもどうにもならないことってありますね。
ずっと思い続けていたんですね。
by リンさん (2015-03-06 21:54) 

リンさん

<danさん>
ありがとうございます。
奥さんの優しさを感じ取っていただいてありがとうございます。
穏やかに、幸せに暮らしていることを描きたかったんです。
花を題材に話を書いたのは、danさんの影響かも^^
by リンさん (2015-03-06 21:58) 

リンさん

<さぎしなのてるりんさん>
ありがとうございます。
彼の返信も載せたかったけど、長くなるので…^^
たぶん「僕は元気です」とか「桜がきれいに咲きました」とか、そんなところでしょう^^
by リンさん (2015-03-06 22:02) 

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