開かずの信号 [ファンタジー]
村のはずれの信号は、いつも赤だ。
青になることも黄色になることもない。
そもそも車が通らない。だから信号が赤でも青でも関係ない。
あるとき、若い男が、どういうわけかこの村に迷い込んだ。
彼はひどく疲れていた。
クレーム対応に追われ、あちこち謝罪に回った帰り道だ。
「道を間違えた。参ったなあ。ここはどこだろう」
村はずれの信号が赤だったので、男は止まった。
信号はずっと赤のままだ。
「長いな、この信号」
そう思いながらも、男は待っていた。
車は1台も通らない。いっそ信号無視で行ってしまおうか。
いやいや、行った途端に人が飛び出してくるかもしれない。
陽がくれて見通しが悪い。
そのとき、腰の曲がった老婆が横断歩道を渡ってきた。
やはり止まっていてよかったと男は思った。
老婆は男の車に近づき、ニコニコ笑いながら窓を開けるように言った。
「ほら、晩ご飯だよ。お食べ」
老婆が、おにぎりとお茶を持ってきた。
「え?」
「冷めないうちに食べな」
男は腹が減っていたので、遠慮なく食べた。
「う、美味い。美味いです、これ」
顔を上げると老婆はもういなかった。
久しぶりのちゃんとした食事を終えても、信号はまだ赤だ。
痩せた老人が近づいてきて、「一局どうだね」と、将棋を指す身振りをした。
「将棋か。ガキの頃よく親父の相手をしたな」
路肩に縁台と将棋盤が用意されている。
男は車を下りて老人と将棋を指した。
「若いの、なかなかやるな」
「待ったなしだよ。おじいさん」
そこに、さっきの腰の曲がった老婆が、蚊取り線香とスイカを持ってきた。
「ほら、勝負はひとまずおあずけだ。スイカをお食べ」
遠慮なくスイカにかぶりつくと、ちらちらと小さな灯りが見えた。
「ホタルだよ」
老婆がうちわで蚊を追いながら言った。
「ホタル?初めて見た」
儚い光が、懸命に生きている。光がにじみ、泣いていることに男は気づいた。
なんていい夜だろう。
男は子どもの頃、田舎の祖父母の家で過ごした夏を思い出した。
優しい風に身をゆだね、このまま眠りたいと、男は思った。
プップー!
けたたましいクラクションが鳴った。
はっと気づくと、信号が青になっている。
後ろの車がせかすようにクラクションを鳴らしていた。
男はいつのまにか眠っていたようだ。
信号待ちの間に眠るなんて、よほど疲れていたんだな……。
男は苦笑いしながら、車を発進した。
散々迷った道は、不思議なほどすぐに大通りに出た。
夢だったのか。いい夢だった。
今の仕事が一段落したら、少しまとまった休みを取ろう。
久しぶりに田舎のじいちゃんとばあちゃんに会いたくなった。
心がずいぶんと軽くなった。
男がズボンに張り付いた、スイカの種に気づくのは、もう少し先のことだ。
ところで、村のはずれの信号は、また赤信号に変わったままだ。
ふたたび疲れた誰かが通るまで、信号が変わることはない。
にほんブログ村
青になることも黄色になることもない。
そもそも車が通らない。だから信号が赤でも青でも関係ない。
あるとき、若い男が、どういうわけかこの村に迷い込んだ。
彼はひどく疲れていた。
クレーム対応に追われ、あちこち謝罪に回った帰り道だ。
「道を間違えた。参ったなあ。ここはどこだろう」
村はずれの信号が赤だったので、男は止まった。
信号はずっと赤のままだ。
「長いな、この信号」
そう思いながらも、男は待っていた。
車は1台も通らない。いっそ信号無視で行ってしまおうか。
いやいや、行った途端に人が飛び出してくるかもしれない。
陽がくれて見通しが悪い。
そのとき、腰の曲がった老婆が横断歩道を渡ってきた。
やはり止まっていてよかったと男は思った。
老婆は男の車に近づき、ニコニコ笑いながら窓を開けるように言った。
「ほら、晩ご飯だよ。お食べ」
老婆が、おにぎりとお茶を持ってきた。
「え?」
「冷めないうちに食べな」
男は腹が減っていたので、遠慮なく食べた。
「う、美味い。美味いです、これ」
顔を上げると老婆はもういなかった。
久しぶりのちゃんとした食事を終えても、信号はまだ赤だ。
痩せた老人が近づいてきて、「一局どうだね」と、将棋を指す身振りをした。
「将棋か。ガキの頃よく親父の相手をしたな」
路肩に縁台と将棋盤が用意されている。
男は車を下りて老人と将棋を指した。
「若いの、なかなかやるな」
「待ったなしだよ。おじいさん」
そこに、さっきの腰の曲がった老婆が、蚊取り線香とスイカを持ってきた。
「ほら、勝負はひとまずおあずけだ。スイカをお食べ」
遠慮なくスイカにかぶりつくと、ちらちらと小さな灯りが見えた。
「ホタルだよ」
老婆がうちわで蚊を追いながら言った。
「ホタル?初めて見た」
儚い光が、懸命に生きている。光がにじみ、泣いていることに男は気づいた。
なんていい夜だろう。
男は子どもの頃、田舎の祖父母の家で過ごした夏を思い出した。
優しい風に身をゆだね、このまま眠りたいと、男は思った。
プップー!
けたたましいクラクションが鳴った。
はっと気づくと、信号が青になっている。
後ろの車がせかすようにクラクションを鳴らしていた。
男はいつのまにか眠っていたようだ。
信号待ちの間に眠るなんて、よほど疲れていたんだな……。
男は苦笑いしながら、車を発進した。
散々迷った道は、不思議なほどすぐに大通りに出た。
夢だったのか。いい夢だった。
今の仕事が一段落したら、少しまとまった休みを取ろう。
久しぶりに田舎のじいちゃんとばあちゃんに会いたくなった。
心がずいぶんと軽くなった。
男がズボンに張り付いた、スイカの種に気づくのは、もう少し先のことだ。
ところで、村のはずれの信号は、また赤信号に変わったままだ。
ふたたび疲れた誰かが通るまで、信号が変わることはない。
にほんブログ村
2016-07-02 23:22
nice!(9)
コメント(14)
トラックバック(1)
リンさんさん こんにちは
夢じゃなかったのですね。きっと男の人は幸せになるような気がします。
by SORI (2016-07-03 17:50)
ああ、これは傑作だと思います。
例えば公募ガイド等で最優秀賞を取っていたとしても納得がいく作品ですね。
でも、それはあくまで僕的にですけどね。
選者の好みもあるでしょうから請け合いはしません。(笑)
ちょっと引っかかったのが、「開かずの信号」という言葉。
踏切と違って開くものじゃないし。
こういう言い方ってあるんでしょうか?
もしなくっても、りんさんのこの作品以後、定着しても僕は構いません(笑)
でもまあ、優しさに満ちたよく出来た作品だと思います。
by 海野久実 (2016-07-03 19:48)
信号の仕組みはどうなってるんだろう?
心を測るセンサー?なんて思わず考えました。
こんな信号があれば 追い詰められて自殺願望
が減りますね。
ほんとにこんな信号があればいいな~と思いました。
by たまきち (2016-07-04 07:34)
題名は開かずの信号ですが
センサーでキャッチしたときだけ
次元の扉が開いて空間ごと瞬間移動して
異次元を通って
この不思議な村の信号場面に来るとか?
そんな想像をしてみる心あたたまるお話しです。(^ω^)
by たまきち (2016-07-04 07:44)
こんばんは。
何だかとても奥の深いメッセージが込められた
物語でした。
読み終えた後、なんだかワタシまでこの男性と
一緒に心が少し癒された気がします。
人間、時には赤信号のように立ち止まる時間も
必要ですよね。
by まるこ (2016-07-04 22:36)
本当に素晴らしい物語です。
ほんわか優しくて、懐かしくてちゃんと夢があって。
辺りの風景がはっきり見えてきて、私なんだか
涙がでそうになりました。
そして、リンさんらしいと嬉しくなりました。
by dan (2016-07-05 12:02)
素敵なお話ですね。
どんどん引き込まれていきました。
この作品の朗読をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか。
お願いします。
by はる (2016-07-05 17:06)
<SORIさん>
ありがとうございます。
これをきっかけに、彼が幸せになれたらいいですね^^
by リンさん (2016-07-05 21:30)
<海野久実さん>
ありがとうございます。
これは、タイトルが先に浮かんで書き始めました。
開かずの踏切の信号版があったら面白いと思ったので^^
定着してくれたら嬉しいけど…ないかな(笑)
by リンさん (2016-07-05 21:33)
<たまきちさん>
いろいろ考えてくださってありがとうございます。
そうなんです。ここは異次元。
疲れて、心が折れそうな人が迷い込む信号なんですね。
by リンさん (2016-07-05 21:36)
<まるこさん>
ありがとうございます。
少しでも癒されていただけたなら嬉しいです。
信号無視しなくて本当によかったですね。
by リンさん (2016-07-05 21:41)
<danさん>
ありがとうございます。
田舎に住んでいますが、ホタルは見られません。
こんな風景憧れますね。
danさんに気に入っていただけて嬉しいです。
by リンさん (2016-07-05 21:44)
<はるさん>
ありがとうございます。
朗読、もちろんOKです。
よろしくお願いします。
by リンさん (2016-07-05 21:45)
りんさん、こんばんは
偶然知って訪問しました。
韓国人ですので、日本で出勤と退勤する時見ています。
日本語がまだまだですので、全部読むまで時間がちょっとかかったが、面白くて、勉強になりなした!
これからも良いストーリーたくさん書いてください!
by キム (2016-07-21 19:02)