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陽だまり [男と女ストーリー]

来ないかもしれない。来たらどうしよう。
私の中で渦を巻くように、後ろ向きな心が揺れた。照明の暗い喫茶店。流れているのはよくわからないクラシック。
我ながら、ベタな店を選んだと思う。だけど洒落た店ではだめなのだ。オシャレな女の子が集まる店では、気後れしてきっと言えない。
時計の針は、3時を指した。

ナオトは、東京に来て初めてまともに話した男の人だ。初めて話した言葉も憶えている。
「おばちゃん、ごはん大盛りね」

昼は大学の食堂で働いて、夜は介護の勉強をしている。私は、この春上京したばかりだ。
ナオトは「ごはん大盛り」と言った後、私の顔を覗き込んだ。
「あ、ごめん、おばさんじゃなかった。若い子もいるんだ。ごめんね。いつもおばさんしかいないから」
明るい笑顔だった。私のうしろでパートさんが、「悪かったね、おばさんばっかりで」と言って、みんながどっと笑った。いつもピリピリしている職場は笑いに包まれた。
陽だまりみたいな人だと思った。
きっと、あの瞬間から、私は彼に恋をしたんだと思う。

名前を知ったのは2日後だ。
「あのさ、おねえさんって呼ぶのもなんだし、名前教えてくれない」
と、ナオトは自分の名前を告げてから聞いた。
「みなみです。高田みなみ」
それから、ナオトと話すようになった。
経済学部の2年生で、ピザ屋でバイトをしていて、実家は埼玉だ。少しずつ知っていることが増えるのは、私の喜びだった。

ひと月ほど経ったとき、サークルの集まりに来ないかと誘われた。友達がいないと言った私を気遣ってくれたのだ。
それは何のサークルだったのか、とうとう最後までわからなかったが、私とは明らかに違うおしゃれで大人の男女が酒を飲んでいた。
私は終始緊張して、「はい」とか「いいえ」しか言葉を発しなかった。
ひとりの女がキラキラした爪で私を指さし、「この子、食堂にいる子じゃない?」と言った。他の女もパチンと手を叩き、「ああ、どうりで見たことある」と言い合った。
「ナオトとどういう関係?」
「付き合ってるの?」
「まさか。ありえないでしょ」
女たちは、声をあげて笑った。ナオトはたまに私のとなりに来たが、すぐに友達に呼ばれて行ってしまった。結局私は、最後まで居心地の悪さと闘っていた。

翌日、ナオトが友達と一緒に食堂に来た。
「みなみちゃん、昨日はどうも。また来なよ」
とナオトが言うと、横から女友達が口をはさんだ。
「迷惑だよ、ナオト」
「迷惑?」
「うん。だってこの子、すごく詰まらなそうだったよ」
「え?そうなの?詰まらなかった?」
とナオトが私の顔を覗きこんだとき、不覚にも私は泣いてしまった。自分でも抑えられない。次々に涙があふれた。
「いやだ。この子泣いてる」と女友達が行って、「ナオト、何泣かしてるんだよ」と友達が騒ぎ立てた。困った顔のナオト。
パートさんが慌てて私を奥に追いやり、泣きながら皿洗いをしてその日を終えた。
ナオトを好きな気持ちが、涙になってあふれたのだと思った。いつの間にか膨れすぎて抑えられなくなっていたのだ。

そして今日。
あふれ出た思いを、私はきちんと受け止めた。
そして、いつものように大盛りのごはんと味噌汁をナオトのトレイに乗せながら、「3時に裏通りのマロニエにいます」と小さな声で伝えた。

ナオトは何も言わなかった。だから、来ないかもしれない。来ないなら、それでもいい。時計は、3時10分を指した。一張羅の花柄のワンピース。落ち着かない。膝のあたりをぎゅっと掴んで、水を飲んだ。

カランと音がして、ドアが開いた。フロアーを上がる赤いスニーカー。
来た。来ちゃった…。
「ごめん遅れて」とナオトは真っ直ぐに私の方に歩いてきた。不安や迷いや後悔が、体の中から一気に消えた。
彼は来た。来てくれた。
私は真っ直ぐにナオトを見た。
珈琲の香りと、陽だまりのような笑顔。
「あなたが好きです」

たんぽぽ.jpg


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コメント 14

こっちゃん

素敵な女の子ですね。
私のように人見知りだし、特に一生懸命生きている感じが好感です。
こんな女性のいる食堂に行きたいものです。
ばんからなパートさんもいい味。
by こっちゃん (2012-07-28 16:51) 

haru

素敵な恋のお話ですね。
>「あなたが好きです」で、終わるところもお洒落だなあ~
結末は読者に委ねるのですね。

え~っと。。。私なら、この恋は見事に終止符が打たれる。
って、私どんだけひねくれてんだか。(笑)


by haru (2012-07-28 19:18) 

矢菱虎犇

ナオトくんが『今日』食堂に来た時点で、ナオトくんにも、みなみちゃんへの思いがあったのでは。前回の気まずい状況があって、みなみちゃんのことを心配してなかったら食堂に行かない・・・なんつーことを考えてしまうってのは、りんさんのお話世界にどっぷり浸っている証拠ですなぁ。
by 矢菱虎犇 (2012-07-29 01:46) 

川越敏司

最後のセリフは、はっきり言わない方が、わたし好みですね。

ところで、講談社児童文学新人賞のほうはいかがでしたか? 2次通過以上が発表されていますが、わたしはだめでした。
by 川越敏司 (2012-07-29 09:32) 

dan

私の好きな健気な恋の物語。
現代....少し大げさかな....でもこんな可愛い人いるのですね。
猛暑の中、清々しい気持ちになりました。

by dan (2012-07-29 11:49) 

ヴァッキーノ

最後のセリフは
いったい、どっちが言ったんだろう?
って思いました。
普通に考えたら、女の方だけど
もしかしたら、ショートショートだし
男の方っていうこともありえる。
アリエール。
ボクは、恋ってのをしばらくしてないので
忘れてしまいましたが、この女の子のマジメさが
なんとも昭和チックでよかったです。
大人ぶる男も、その周辺の女もいいですね。
まあ、若いうちはみんな自分が一番好きで、
2番目とか3番目に好きな人なんていないもんですからね。
きっと、この女の子も自分が好きなんだろうなあ。
by ヴァッキーノ (2012-07-29 13:06) 

海野久実

いいですねー
心からうまく行ってほしいと願ってしまいます。
うまく行ったかどうかだけではなく

>「あなたが好きです」

という言葉を、どっちが言ったのかさえ読者にゆだねようとするりんさんのいじわる。

by 海野久実 (2012-07-29 18:22) 

リンさん

<こっちゃんさん>
ありがとうございます。
ちょっとオクテで一生懸命な女の子が伝わればいいなと思って書きました。
こっちゃんさん、人見知りなんですか。
私は全然人見知りじゃありません^^
by リンさん (2012-07-31 17:01) 

リンさん

<haruさん>
ありがとうございます。
純愛物はちょっと照れますね^^
このふたり、私的にはうまくいくのかな…と思いながら書きました。
そしてライバルが現れたり、嫉妬でいじわるされたりするんです。
テレビドラマの見すぎだ~^^
by リンさん (2012-07-31 17:04) 

リンさん

<矢菱さん>
そうですよね。
好きじゃなかったら喫茶店に行かないでしょうね。
だって、いかにも告白します的な感じですものね。
どっぷり漬かってもらえて嬉しいです。
そろそろ食べごろですよ。
あ…漬かるじゃなくて浸かるね^^
by リンさん (2012-07-31 17:09) 

リンさん

<川越さん>
ありがとうございます。
実はこれ、公募ガイドの虎の穴に出した作品なんです。
その時のテーマが「好きになって告白するまで」だったので、あえて告白の言葉を入れました。
だけど、川越さんの言うように、「実は、わたし…」くらいで止めた方がよかったかもしれませんね。そうしたら佳作ぐらいになったかな(笑)

講談社…もちろん私もダメでした。
次は頑張りましょうね。
by リンさん (2012-07-31 17:12) 

リンさん

<danさん>
ありがとうございます。
現在にも、こういう女の子はいると思います。
…というか、いて欲しいですね^^
by リンさん (2012-07-31 17:21) 

リンさん

<ヴァッキーノさん>
お、そう来たか^^
男からの告白は、まるで考えていなかったけど、アリエール!

若い頃は自分がいちばん。
ああ、確かにそうなのかも。
子供が出来ると母は、子供がいちばんになるんですけどね。
by リンさん (2012-07-31 17:24) 

リンさん

<海野久実さん>
はい、私もうまくいってほしいと思います。
告白は、勇気を振りしぼって、みなみちゃんが言ったことになってます。
みなみちゃんの顔は、自由に想像してください^^
by リンさん (2012-07-31 17:31) 

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