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鍵を返す [公募]

 やはり返すべきだろう。女はテーブルの上の鍵を指で弄びながら思う。それとも川に捨ててしまおうか。いずれにしても持っていてはいけない。もうあの男とは別れたのだから。
 別れの原因は、男の心変わりだ。自分以外に女がいることを知り、自ら身を引いた。男が、その彼女との結婚を考えていることを知ったからだ。

 女は、鍵を手のひらに乗せた。別れた男の部屋の鍵だ。初めてこの鍵を手にしたときの感動が甦る。銀色に輝く新しい鍵は、女にとってどんな宝石よりも美しく価値があった。
この鍵で、何度男の部屋を訪れただろう。忙しい彼のために買い物をして料理を作った。彼が夜勤の日は、泊まって朝ごはんも作った。定期的に掃除をして、溜まった洗濯をした。
雨が続くとコインランドリーに行き、いつも清潔なシーツとベッドカバーを用意した。洗い物、ゴミ捨て、シャンプーの補充。彼のためなら何でもやった。

 女はふと思う。
「私まるで、家政婦じゃないの」
こんなに尽くしたのに、彼は何をしてくれただろう。プレゼントなどもらったことないし、どこかに連れて行ってもらったこともない。都合のいい女だわ。こんな理不尽なことってあるかしら。
女は、鍵をギュッと握りしめた。あんなに輝いていた鍵は、ところどころ黄土色に剥げている。もう輝かない。古くなって捨てられた私みたい。そう思うと悔しかった。

 女は左手に鍵を握りしめたまま立ち上がった。やっぱり返しに行こう。ひと言文句を言って鍵を投げつけてやろう。男のアパートを目指して、女は歩き出した。
 バスの中でも、電車の中でも女はずっと鍵を握りしめていた。手の中でドロドロに溶けるのではないかと思うほど、強く握った。
 男の部屋の前に立ち、チャイムを鳴らす。二度、三度鳴らしても男は出てこない。いるはずだ。今日は夜勤明けで家にいる。午後一時まで寝て、今頃は遅い昼食を食べているころだ。別れた今でさえ、彼のシフトや習慣を把握しているのが悲しい。
 新しい恋人と出掛けたのかもしれない。女は握りしめていた鍵を、鍵穴に差し込んだ。

二週間ぶりの男の部屋は、ひどく散らかっていた。新しい恋人は掃除をしないのか。女はいつものように片付け始めた。ゴミをまとめ、雑誌を揃えて脱いだ服を片付ける。流しには、カップ麺のゴミの山。新しい恋人は料理もしないのか。苛立ちが募り、シンクを磨く手に力が入る。

 その時だった。奥の部屋で音がした。苦しそうに咳込むような音。そろりと扉を開けると、熱にうなされる男が辛そうに寝ていた。
男は、高熱で意識がぼうっとしている。
「まあ大変」と女は、氷枕と冷たいタオルで頭を冷やし、薬箱から解熱剤を取り出して飲ませた。手早く着替えさせ、洗濯機を回し、おかゆを作った。薬局で良く効く風邪薬を買い、彼に水分を与えて体を拭き、甲斐甲斐しく看病をした。
 しばらくすると男の熱が下がり、規則正しい寝息を立てはじめた。その間に女はいくつかの料理を作り冷蔵庫に入れた。洗濯物を畳み、おかゆと風邪薬をテーブルに並べた時には、もう日が暮れかかっていた。
「やっぱり私がいないとダメね」
きれいに片付いた部屋を見て、女は思う。再び鍵を手に取って、手のひらに乗せた。そして優しく包み込むように鍵を握り、満足そうに男の部屋を後にした。
「また来るわ」

 カーテンの隙間から月が覗き始めた頃、男は起き上がった。熱は下がり、すっかり身体が楽になっていた。
リビングに行くと、見違えるように部屋がきれいになっている。「あれ?」男は恋人に電話をかけた。
「もしもし、あのさ、今日俺が寝ている間に部屋に来た? 来るわけないよな。君、今日仕事だもんね。じゃあ……あれかな? 例のストーカー。暫く来ないと思ったら、また来たのかな。え? 鍵変えた方がいい? うん。そうだね。それはそうなんだけどさ…」
 男は電話を切った後、テーブルの上のおかゆを温めて、ゆっくりと味わって食べた。
「ああ、やっぱり美味い。どこの誰だか知らないけど、この人の料理は実に美味い。ストーカーだと思うと気持ち悪いけど、家政婦だと思えば別にいいかな」

 結局返さなかった鍵は、女の手の中でふたたび輝き始めた。女は、青白い月の光に鍵をかざし、そっと唇を寄せた。
「おやすみ、あなた」

k.png

****

公募ガイド虎の穴、またまたボツでした。
今回のテーマは、「象徴的な小物を登場させる」
難しいですね。
ところで、公募ガイドの今月号に、小説応募マニュアルみたいなものが載っていました。
私、いままであまり気にせず送っていたことが判明。
読みにくい原稿を送っていたかもしれません。
細かいルールがあるんですね。
これから気を付けよう。

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コメント 16

海野久実

最初は、主人公に感情移入しながら読んでいました。
いや、最後まで主人公を応援したい様な気持でしたね。
元彼の言い草に腹を立てたりさえして。
でも読み終って、よくよく考えると怖い主人公ですよね。
どうやって鍵を手に入れたのか?
自分を空想でその部屋の男性の元カノだと思い込んでいる。
空想と言うより、妄想?
いやいや更にもう狂気の世界にまで入り込んでいるかもしれませんね。
>ストーカーだと思うと気持ち悪いけど、家政婦だと思えば別にいいかな
そんなのんきな話じゃないような気がします。

そうですか~
虎の穴作品ですか。
今回は僕はパスしました。
この間締め切りの「書簡体の小説」には応募しましたよ。

小説応募マニュアル?
今月号は買わなくちゃ。

ところでこの時期、仕事がハードでめちゃ忙しく、心ならずもご無沙汰になってしまいますがよろしく。
by 海野久実 (2013-08-11 22:58) 

みかん

元恋人じゃなくて ストーカーの話だったんですね(@_@;)
怖い怖い!
この男性 ほんとにのんきなことを言ってますけど
この状況で作られたおかゆを食べるなんて どうかしてる~
by みかん (2013-08-12 11:31) 

dan

最後の最後まで彼女のこと失恋した可哀そうな人だと思っていました。
もしかしたら、またうまくいくかもなんて。
ストーカーだったなんて。またリンさんに騙された。


by dan (2013-08-12 13:42) 

なつかえで

いったいどうやって女は鍵を手に入れたのでしょう(゚ー゚*?)

男は実際に女に鍵を渡し、都合のいいように利用しつつ、
他の女と結婚を考えるという最低なことをしているのでは・・・
と、「ストーカー」女の味方になってしまいます(^^;

by なつかえで (2013-08-12 14:04) 

雫石鉄也

なんともかなしい話ですね。かなしすぎです。
主人公の女が可哀そうです。
この男、残酷ですね。
なぜ、おかゆを食べる。鍵を持たせている。気がないのなら、はっきりと気がないと告げるべきです。
ワキが甘いから女をストーカーにしてしまうのです。
by 雫石鉄也 (2013-08-13 13:42) 

さきしなのてるりん

ストーカーって思う男の感覚。何なんでしょう。
by さきしなのてるりん (2013-08-14 18:28) 

こっちゃん

結構感情移入して読みました。
主人公はストーカーだったという落ちでいいんですよね。
色々考えさせられます。
色々とね(笑)
by こっちゃん (2013-08-14 19:59) 

リンさん

<海野久実さん>
お仕事忙しい中、ありがとうございます。
この女は、完全に恋人のつもりなんでしょうね。
熱で寝込んでいなければ、初めてのご対面だったかもしれません。
そしたら彼はどうしていたでしょうね^^

公募ガイド、毎回出していますが、難しいですね。
今回のロマン・ノアールの原稿も書き終えました。
そろそろ結果が欲しい^^
by リンさん (2013-08-15 16:37) 

リンさん

<みかんさん>
ホントに怖い話ですよね。
まあ私的には、この女は殺人とかそういうことはしない人なんです。
男にはそれが何となくわかって、おかゆ食べちゃったのかな~^^
by リンさん (2013-08-15 16:39) 

リンさん

<danさん>
最初は元彼に鍵を返しに行く話にするつもりだったんです。
だけど書いているうちにストーカーになってしまった。
でも、料理上手な女、もしかしたら将来うまくいくかも…^^
by リンさん (2013-08-15 16:43) 

リンさん

<なつかえでさん>
どうやって鍵を手に入れたか…。
そうですね。男と女は元同僚で、男のカバンからこっそり盗み、昼休みに合鍵を作って元に戻した…というのはどうでしょう。
by リンさん (2013-08-15 16:47) 

リンさん

<雫石鉄也さん>
この女の正体を男は知らないと思います。
合鍵もこっそり作ったもので、たぶん最初は男も気味が悪いと思ったはずです。
だけど空腹に耐えかねて料理を食べたら美味しかった。
すっかりそれを心待ちにするようになってしまった。
…どうでしょう。それにしても残酷な男ですよね、やっぱり^^
by リンさん (2013-08-15 16:52) 

リンさん

<さぎしなのてるりんさん>
ストーカーだったんですよ、実際に。
こんな話、まずありえないでしょうけどね。
だから落選だったのか(笑)
by リンさん (2013-08-15 16:54) 

リンさん

<こっちゃんさん>
はい。この女はストーカーでした。
鍵を返して、もうやめようと思ったけど、まだまだ続きそうですね。
男が結婚したらやめるかもしれませんね。
色々と?ん?意味深ですね(笑)
by リンさん (2013-08-15 16:56) 

かよ湖

象徴的な小道具、鍵。銀色に輝く宝石が、いつしか黄土色に剥げたのに、自分のストーカー気質の思い込みで、再び蒼白い月の輝きと共に輝きを取り戻してしまった。
怖いけど、コミカルで、イイですね。
ただ、選者の好みではなさそうなので、残念だったのだと思います。
私は、以前書いたものをジャスト5枚に手直しして投稿しました。最近、書けなくてダメダメです。。。なんか書かないと、とは思うのですが・・・。
by かよ湖 (2013-08-21 23:45) 

リンさん

<かよ湖さん>
そうなんです。
鍵を歪んだ愛の象徴にしたんです。
確かに、選者がひとりなので好みはあるでしょうね。
私は何とか毎月出しています。
そろそろ結果が欲しいですね。
by リンさん (2013-08-24 00:07) 

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