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小犬のワルツ

白い壁の大きな家。レンガの塀伝いに歩くと、ピアノの音が聴こえてきた。
『小犬のワルツ』だ。学校の音楽鑑賞で聴いたことがある。
ひとことで言えば、可愛い音だった。
ところどころつまずくことはあっても、音が外れることはない。

小学校の帰り、僕は必ずそこを通った。
通るたびにピアノが聴こえた。
日に日に上手になっていくピアノの音に、僕は誇らしささえ感じた。
いったいどんな子が弾いているのだろう。
僕は想像した。
きっと可愛い女の子だ。髪が長くて頬がピンクで、白いワンピースを着ている。
そしてカスミ草みたいに優しく笑うんだ。

時おり母親らしき声がする。
「もっとゆっくり」とか、「丁寧に」とか厳しい声が聞こえる。
「はい」と返事をする小さな声は、たぶん彼女のものだ。
母親の指導の成果か、彼女のピアノは実に美しい音を奏でるようになった。
こんな大きな家だから、きっと私立の小学校に通っているのだろう。
セーラー服が眩しい、丘の上の小学校。
いつかどこかで、会うことができればいいのだけれど。

ある日、レンガの塀の向こうから、厳しい声が聞こえてきた。
「何やってるの。何回言えばわかるの?指が全然動いてないじゃないの」
泣き叫ぶ声と、乱れるピアノの音。
「練習が嫌ならやめなさい!」
ますます泣き叫ぶ彼女。
可哀想に。僕は何とか助けたいと思った。

路肩の石をにぎりしめ、塀の中に思い切り投げ込んだ。
激しい音を立てて窓ガラスが割れた。
悲鳴が聞こえて、母親の関心がピアノから離れた。これでいい。
僕は、彼女を救った。ガッツポーズをして、すぐにその場を離れた。

翌日から、違う道を通るようにした。
彼女を救ったとはいえ、窓ガラスを割るのは犯罪だ。
ピアノの音が聴けないのは残念だけど、しばらくは我慢しよう。
そして季節がひとつ過ぎたころ、再び彼女の家の前を通ったが、ピアノの音は聴こえなかった。

季節が流れ、僕は大学生になった。
高校からギターを始め、同じ学部のやつらとバンドを始めた。
ボーカルの修二とは高校からの付き合いだ。ベースの達也とドラムの健司は大学で一緒になった。
「キーボードがいれば」ということになり、近くの音大の女子をスカウトした。
修二の知り合いだという千春ちゃんは、すごく清楚な子だった。
弾いてみてと言ったら、彼女はキーボードで『小犬のワルツ』を弾いた。

あれ? と僕は思った。
遠い昔、小学校の頃に聴いたあのピアノにすごく似ていた。
「千春ちゃん、家って東京?」
「そうだよ」
彼女が言った住所は、思った通り僕の家の近くだった。
「レンガの塀?」
「そうだけど」
間違いない。僕が想像した通りの女の子に成長している。

「君のピアノ、いつも学校帰りに聴いてたんだ」
「うそ、恥ずかしいな」
「だんだん成長していくのが嬉しくてさ。音大でピアノ続けてるんだね」
僕は嬉しくなって、ついあの日のことも話してしまった。
「千春ちゃん、お母さんにすごく怒られたことがあったでしょう。憶えてるかな。家に石が投げ込まれたことがあるでしょう。あれ、俺がやったの。怒られている君を救うためにさ」
「え?」
千春ちゃんが首を傾げた。

代わりに立ち上がって奇声を上げたのは修二だった。
「おまえだったのか!」
はっ?
「おまえが投げた石が腕に当たって、ピアノコンクールに出られなかったんだ。おかげで俺はピアノをやめたんだ」
「修二…、お前の家って…」
「レンガの塀、コンクールで弾くはずだった曲は、小犬のワルツだ!」

ピアノをやっていたとは思えないゴツイ手で一発殴られて、おまけに千春ちゃんが修二の彼女だと知りダブルパンチ。
ああ、ショパンに罪はないけれど、小犬のワルツは二度と聴きたくない。

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コメント 8

SORI

リンさんさん こんにちは
やっぱり石を投げ込んだらだめですね。
子供のころの思い出が消滅しまいました。
でも経緯が判って、これからの人生にとっていいのかもしれません。
by SORI (2016-06-26 16:31) 

まるこ

こんばんは。
憧れていた少女(?)が実は…という真実と
いいなーと思った女の子が実は…という2つの
ドンデン返しで、とても面白かったです。
助けるとためとは言え、石ころの代償は大きかった(笑)!
by まるこ (2016-06-27 22:35) 

雫石鉄也

うん、これはみごとなどんでん返しですね。
この作品は前作「早起きは三文の徳」とは違い、伏線は必要ないですね。
ピアノを練習している。主人公も読者も、かってにかわいい女の子が練習っしていると思いこむわけで、その固定観念をずらした見事なオチでした。
by 雫石鉄也 (2016-06-28 13:28) 

リンさん

<SORIさん>
ありがとうございます。
そうですね。石を投げちゃダメですよね。
一発殴られて、また上手くやれることでしょう^^
by リンさん (2016-06-28 18:58) 

リンさん

<まるこさん>
ありがとうございます。
小学生の頃は、声だけでは男か女かわかりませんものね~^^
ピアノを習っている男の子って、意外と多いんですよね。
by リンさん (2016-06-28 18:59) 

リンさん

<雫石鉄也さん>
ありがとうございます。
雫石さんに褒められるとほっとします(笑)
ピアノの音が可愛かったから、可愛い女の子を想像してしまったんですね。
ちなみにうちの娘もピアノをやっています。
今弾いているのは、小犬のワルツです(笑)
by リンさん (2016-06-28 19:02) 

海野久実

この題材だと僕は完全にミステリー仕立てにしたでしょうね。
窓ガラスに石を投げるなんて、子供の頃にやった事だと言え、あまりに危険な事だと成長していくにしたがって主人公は実感する。
あれこれ悪い想像をしたかもしれませんね。
あの投げた石が女の子に当たって怪我をしたのじゃないだろうか?
ひょっとしてお母さんに?
怪我だけならまだいい、ひょっとして頭に当たって死んでしまったんじゃないんだろうか?
そう言う悪い想像をして何年も過ごすんですね。
そうするとピアノの女の子がクラスメイトと同一人物じゃないかと気がついても、簡単に告白できない。
悩んで悩んで告白する。
と言う感じかなあ。
千春ちゃんと修二の家がどっちもレンガの塀と言うのが、ちょっと偶然が重なりすぎている気はしますが、どんでん返しはこのままにしましょうか。
こう付け加えてもいいかもしれません。
>そう言えばあの辺の住宅はレンガの塀の家がいくらでもあったような気がする。
なんてね。

by 海野久実 (2016-07-02 16:21) 

リンさん

<海野久実さん>
ありがとうございます。
ああ、なるほど、ミステリーでも面白いですね。
私はすっかり、あの子が実は男だったというオチしか思いつきませんでした。
by リンさん (2016-07-05 21:29) 

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