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雨宿り

小さな雑貨屋で、妻の代わりに店番をしている。
どうせ客は来ないだろう。
雨音が聞こえてきた。かなり激しく窓ガラスを叩いている。
客はますます来ないだろう。
…と思っていたら扉が開いて、客だと思って身構えたが違った。

「すみません。雨宿りをさせてください。急に降ってきて、あいにく傘がなくて」
女性が小さく息を吐きながら、困った様子で言った。
「構いませんよ」と、私は椅子をすすめた。
カフェでもあれば飛び込むのだろうが、この辺りには何もない。
こんなしょぼくれた雑貨屋でも、彼女にはオアシスに見えただろう。

「妻がいればハーブティーでもご馳走するのだけど、今ちょっと出かけていてね」
「どうぞお気遣いなく」
「イントネーションがきれいだ。東京の方かね?」
「はい。ちょっと知り合いを訪ねて来ました」
「そうかい。ぼくも以前は東京にいたんだよ。妻と一緒にこの町に来るまではね」
妻の実家であるこの町は、お年寄りが多い。
多少の差はあるが、ほぼ全員が訛っている。妻もときどき訛る。
きれいなイントネーションの人と話すのは久しぶりだ。

「素敵なお店ですね」
「ああ、妻がね、道楽でやっているんだよ。自分で作った小物や陶芸品を売っているんだ。大した儲けにならないよ。もっとも妻の本業は、カルチャースクールの講師なんだけどね」
「そうなんですか」
「あ、雨宿りのお礼に何か買おうとか、そういう気遣いは無用だよ。本当に、趣味でやってるような店だからさ」
「ご主人が作ったものはないんですか?」
「僕には作れないよ。でも、昔撮った写真をポストカードにしたものならあるよ。そのカウンターの上にないかな? よかったら気に入ったのを一枚あげるよ」
「いいんですか?」
以前は写真が趣味で、山に登って花の写真を撮ったりしたものだ。
妻ともそこで知り合った。

「ありがとうございます。じゃあ、このカタクリの花の写真をいただきます」
「きれいでしょう。その写真を選ぶなんて、あなた趣味がいいな」

雨音が、小さくなってきた。
女性は立ち上がり、「ありがとうございました」と、きれいな発音で言った。
そして静かに扉を開けて出ていった。一瞬、雨の匂いが鼻をかすめた。
カタクリの花の写真は、実はいちばんのお気に入りだった。
彼女にそれを選んでもらって、なぜだかとても嬉しかった。

ほぼ入れ違いの時間差で、妻が帰ってきた。やけに慌てた様子で、僕の名を呼んだ。
「ねえ、ちょっと、今店から出ていった人、優香ちゃんじゃない?」
「優香ちゃん?」
「そう。優香ちゃんよ。あなたの娘の優香ちゃん」
「まさか。優香がこんなところにいるわけがない」
「でも、すごく似てたわ。私、一度しか会ったことないけど、きっとそうよ」
「彼女は、雨宿りをしにきただけだよ。急に雨が降ったからさ」
「でも、あの人、傘を持っていたわ」

10年前に離婚をして、当時18歳だった一人娘の優香と別れた。
それから定期的に会ってはいたが、5年前に今の妻と再婚して、この町に越してからは一度も会っていない。
1年前に事故で視力を失ってからは、連絡も取っていない。
弱い姿を見せたくなかったから、あえてそうした。
「あなたの目のことが気になって、様子を見に来たんじゃないかしら」

雨宿りの女性が、本当に優香だったのか、残念だけど僕にはわからない。
だけど雨が降るたびに「雨宿りをさせてください」と、きれいなイントネーションが聞こえる気がして、僕はじっと耳をすます。
雨の音にも風情があることを、今さらながら僕は知る。


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コメント 24

SORI

リンさんさん おはようございます。
雨の音が静かに聞こえてくるような心地よい物語です。
by SORI (2017-06-04 01:36) 

みかん

視力を失っていたのですか!
声だけではわからなかったのは残念だったけど
優香ちゃんは分かってほしかったかな。
言葉だからそう感じるのかわからなかったのですが
男性が 妻が、妻と とかやけに言ってるなぁっていう思いで
読んでいました^^;
by みかん (2017-06-04 20:13) 

雫石鉄也

うん。なるほど。主人公は視力を失っていたのですね。18歳の時に別れた娘がわからないはずがないと思いながら読みました。納得がいきました。
ただ、娘優香(ですよね)の言動にそれと匂わせることがあれば、より、いっそういいです。
それに、どっちでもいいことですが。きれいなイントネーション=東京の人。というのがひっかりました。
私は根っからの関西人です。そんな私が、そんなことを聞くと、違和感を感じます。東京の言葉は、たんに標準語というだけで、ほんとは東京弁という方言なわけで、私ら関西人の耳には決して心地よくは聞こえません。
きれいなイントネーションというと、亡くなった、桂米朝師匠や桂春団治師匠、それにときどき阪神タイガースの解説をやる、阪神OBの湯船敏郎さんのおしゃべりが、きれいなイントネーションと聞こえます。あ、これ、気にしないで下さい。あくまで関西人たる私の私見です。
by 雫石鉄也 (2017-06-05 13:39) 

あべせつ

オレオレ詐欺で、息子の声がわからず騙される親に、「なんで自分の子供の声がわからないのだろう?」とずっと思っていました。

しかし、この作品を拝読して、数年間、音信不通になれば、わからなくなるのかもしれないと思うようになりました。

心配して会いに来てくれた娘の声がわからなかった父の思い。例え来るはずがないと思っていたにせよ。


そしてまた、最後まで気づいてもらえなかった娘のの気持ち。

カタクリの花言葉は「淋しさに耐える」だそうで、なんとなく私の心の中にも、しんみりと雨が降りました




by あべせつ (2017-06-05 20:30) 

まるこ

リンさん、こんばんは。

とっても素敵なお話ですね。
じんわりしました。
当時18歳の娘さんだったら、そこまで容姿も変わってないだろうに、何で分からなかったのかなって思ってたら。
そういう事情だったんですね。
名乗らない娘さんの心にも何だかじーんとしちゃいました。
by まるこ (2017-06-05 23:00) 

村上母

とっても、ステキなおはなし。思わずコメントしたくなりました。

by 村上母 (2017-06-06 09:02) 

dan

雨の日の出来事。
すんなりと私の気持ちのなかに入ってきました。
しみじみと、そしていろいろ考えました。
親子って、夫婦って。いいお話です。
by dan (2017-06-06 14:30) 

はる

りんさん、とっても優しくて素敵なお話しですね。
勝手に了解も頂かないで、朗読してしまいました。
ごめんね!<(_ _)>スミマセン
私のブログにUPさせて頂きました。

by はる (2017-06-06 16:24) 

リンさん

<SORIさん>
ありがとうございます。
雨が多い季節になりました。
こういう時は、やっぱり優しいお話がいいですね。
by リンさん (2017-06-06 16:26) 

リンさん

<みかんさん>
ありがとうございます。
本当だ^^ 
読み返すと、やたら妻が、妻がと言ってますね(笑)
この人にとって、それだけ支えになっているということなのでしょう。雨宿りの彼女が娘だとしたら、ちょっと複雑ですね。

by リンさん (2017-06-06 16:28) 

リンさん

<雫石鉄也さん>
ありがとうございます。
カタクリの花の写真のあたりで、ちょっとしたエピソードを入れたらよかったですね。
でも、娘と気づかない設定なので、そのバランスが難しいですね。

東京弁…関西の方にはそう感じるのですね。失礼しました^^


by リンさん (2017-06-06 16:35) 

リンさん

<あべせつさん>
ありがとうございます。
想像でしかありませんが、視覚を失う前と後では、聞こえ方が違うのかなと思ったのです。
娘としては、気づいてほしかったでしょうね。
カタクリの花言葉、そうなんですか。悲しいですね。
教えてくれてありがとうございます。

by リンさん (2017-06-06 16:42) 

リンさん

<まるこさん>
ありがとうございます。
前半は、とにかく目が見えないことを、気づかせないように書きました。
そして真実があえてわからないようにしたのですが、やはり娘だったんだろうな~^^
by リンさん (2017-06-06 16:46) 

リンさん

<村上母さん>
ありがとうございます。
コメント嬉しい!!


by リンさん (2017-06-06 16:49) 

リンさん

<danさん>
ありがとうございます。
雨の日に、こんな優しい出来事があったらいいなと思って書きました。
danさんに気に入っていただけてよかったです^^

by リンさん (2017-06-06 16:51) 

リンさん

<はるさん>
ありがとうございます。
朗読、大歓迎ですよ。
早速、聴きに行かなくちゃ^^
by リンさん (2017-06-06 16:52) 

たまきち

失明されてたんですか。娘さん、心配で見にこられたんですね。やさしいな。せつなくて泣きそうになりました。
by たまきち (2017-06-07 07:47) 

hitoyasumi-hiro

きれいで切ないお話でした。
視力を失っている、というのがオチだったんですね。
だから声のことだけを書いていた──。
ただ、娘の声がわからないかなあ?という疑問が少し。
それと、雫石さんの言われるように、娘と暗示するような伏線があると、オチの切れがさらに良くなるような気がしました。
これ、TOBE『かさ』に「出さなかった方」ですか?
by hitoyasumi-hiro (2017-06-07 13:57) 

ぼんぼちぼちぼち

最初 読みながら、「自分で作った小物や陶芸品を売っているんだ」という件、
そういう言い方するかな?「ほら、そこに並んでるのは妻が作ったものでね」とか言うんじゃないかな?と思いやした。
でもラストまで読んで、主人公が目が見えないことが判って、その言い方に納得しやした。
雨に相応しいお話の内容た゛なぁと思いやした(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2017-06-07 22:33) 

リンさん

<たまきちさん>
ありがとうございます。
お父さんって呼べば、すぐに分かったのに、あえてそうしなかったのが優しさなんですね。
by リンさん (2017-06-08 17:58) 

リンさん

<ひと休みさん>
ありがとうございます。
娘の声がわからない……それは私もちょっと思いました。
この主人公は、すごく田舎に住んでいて、娘が訪ねてくるなどとまるで思っていなかったんです。
あとは、本当に娘だったかどうかを、あやふやにしたかったんです。
TO-BEの「かさ」とは、まったく違います。
書き終えて読んだら、「あ、TO-BEに出せたな」と思いましたが、もう6月だったので…^^;



by リンさん (2017-06-08 18:16) 

リンさん

<ぼんぼちぼちぼちさん>
ありがとうございます。
そうなんです。目が見えないので、ポストカードも
「カウンターの上にないかな?」という言い方をしています。
そして娘も「カタクリの写真」と、わざわざ花の名前を言っているわけです。
by リンさん (2017-06-08 18:19) 

海野久実

うわあ、いいですね、このお話。
主人公が目が見えないと言う事を踏まえて主人公の立場になって読み直してみるとまた違う味わいが出てきますね。
雨の音や、娘さんが入って来る戸が開く音。
近くに座っている彼女の付けている香水の香り、衣擦れの音。
そんなものも主人公は感じていたでしょうね。
あ。
ひょっとして、傘をたたむ音、出て行く時に傘を開く音なんかも聞こえていたかも。
彼女の声で、自分の娘だと言う事も知っていたのかもしれませんね。

by 海野久実 (2017-06-12 18:33) 

リンさん

<海野久実さん>
ありがとうございます。
主人公はきっと、すごく音や香りに敏感になっていますよね。
娘と同じ年くらいの女性かな、とは思ったでしょうね。
娘だとは気づいておらず、本当にそうだったのか、曖昧なまま終わりにしました。
ただ、何かは感じたのだろうと思います。
by リンさん (2017-06-13 19:18) 

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