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百合とカスミソウ [公募]

夕暮れだった。僕は母とふたりで夕涼みをしていた。
虫の音が聞こえていたから、夏の終わりの頃だと思う。
僕は五歳だった。
空に一番星を見つけてはしゃいでいたら、知らない女の子が突然庭を駆け抜けて、縁側に座っていた母に抱きついた。
女の子が被っていた帽子が脱げて、ふわりと僕の両手に収まった。

「お母さん」と、その子は言った。
母は、女の子の背中を撫でながら、「どうしたの、ユリエちゃん」と涙声で言った。
訳が分からず立ちすくむ僕の手の中で、カスミソウみたいな白い帽子が揺れていた。

ユリエという女の子は、その日僕の家に泊まった。
母は何だか嬉しそうで、父も得意のかき氷を作ったりしていつもより賑やかな夜だった。
ユリエは小学生で、お姉さんぶって本を読んでくれた。
楽しかった。夢のような夜だった。

朝になったらユリエはいなかった。
縁側に、ユリエが忘れていった帽子が寂しそうに朝日を浴びていた。
母はその帽子を抱きしめて、とても悲しそうな顔をした。

父と母が再婚同士だと知ったのは、小学生になってからだ。
僕が三歳の時に両親は結婚した。つまり母と僕に血縁関係はなかった。
あの日母の胸に飛び込んだユリエは、母の娘だった。
離婚して前の家を出たときに別れてしまった、たった一人の娘だった。

僕はあの夜の出来事を、ずっと憶えていたわけじゃない。
何しろ五歳だったし、もう三十年も前の話だ。
それを今思い出したのは、先月亡くなった母の遺品の中に、あの白い帽子があったからだ。
帯の部分に『ゆりえ』と名前が書かれた白い帽子を、母は大切に持っていたのだ。
僕の記憶では、母はあれっきりユリエに会っていない。
生きているうちに会わせてあげたかったと、しみじみ思った。

秋の彼岸に墓参りに行くと、母の墓にたくさんの百合の花が供えてあった。
思い当たる人はいない。
墓石を覆うほどの白い百合は、あの日のユリエの白い帽子を思い出させた。
あの人が、墓参りに訪れたのだろうか。

       *

母との約束通り、白い百合を供えて来ました。
あの子はきっと驚いているでしょう。
何しろ私たちが定期的に会っていたことを、彼はまるで知らないのですから。
 
母は、祖母や曾祖母の苛めに耐えられなくて出て行きました。
だけど私は捨てられたなんて思いませんでした。
母は絶対迎えに来てくれると信じていました。

母は一年後に再婚しました。私が通う小学校の近くに、その家はありました。
母は私に会うために、あの子の父親と再婚したのです。
学校がある日は、毎日母と顔を合わせました。
あの子の手前、言葉を交わすことはなかったけれど、いつも優しい微笑みをくれました。
夏休みになると会えなくなって、寂しくて衝動的に会いに行きました。
それがあの夜です。
翌朝迎えに来た父に
「私には新しい家庭があります。ゆり絵には二度と会いません」と母はきっぱり言いました。
もちろん本音じゃないことはすぐにわかりました。

私はわざと帽子を忘れていきました。あの帽子は、その後母と私の合図になりました。
二階の物干しに帽子が吊るしてある日は『あの子がいないから来てもいいよ』の合図です。
あの子は月に数回、おばあさんの家に行くことになっています。
私はその日、母にたっぷり甘えてから家に帰りました。
そして母との密会は、大人になってからも続きました。
母が余命僅かとわかってからは、毎日一緒にいました。
私は母の担当看護師だったから、あの子よりもずっと近くにいました。
冷たいご主人は、たまにしか来ません。夫婦仲が良くないことは、ずっと前から知っていました。
「私の本当の家族は、ゆり絵だけよ」
母はそう言って、私の手を握りました。

        *

僕は、線香がまだ新しいことに気づいた。
ユリエは、まだ近くにいるかもしれない。
走って墓地の入り口まで戻ると、顔見知りの看護師がいた。微かに百合の匂いがする。
「まさか、ユリエさん?」
僕の問いかけに、彼女は小さく頷いた。
よかった。母とユリエは、偶然にもこんな形で再会していたのだ。
「今から家に来ませんか。あなたが忘れていった帽子を、母が大事に持っていたんです」
ユリエは「いいえ」と冷たい顔で笑った。
「もう必要ありません。捨ててください」
ユリエはくるりと背を向けた。もう会うことはないと、背中が告げていた。

母に似た後姿を見送って、僕はもう一度墓に戻った。
「母さんが好きだったカスミソウを持ってきたよ」
花挿しにカスミソウを溢れるほど入れた。
しかしそれは、白い百合に押されて、なんだか寂しくみじめに見えた。
僕はその日、いつも優しかった母の笑顔を、思い出すことが出来なかった。

******

公募ガイドTO-BE小説工房の落選作です。
課題は「帽子」でした。
5枚に、ちょっと詰め込みすぎたかな…と思いました。
今月は「リモコン」難しくない~?

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コメント 6

傍目八目

 くぅー、良いですね。前半で良くある設定のファンタジーと思わせておいて外し、リアルな中にそこはかとなく漂う毒が良い!
 構成をもう一工夫したら、さらに良くなったような気がします。
 制限枚数5枚なら「僕は、線香がまだ新しいことに気づいた」以下はカットして、その前までを膨らませた方が良かったかも?
by 傍目八目 (2020-09-10 21:02) 

ぼんぼちぼちぼち

哀しいお話でやすね。
実際にもありそうな関係、、、
最近は、再婚する人多いから。
次回のテーマはリモコンでやすか。
子供の頃のリモコンヒコーキとかを書く人多そうに思いやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-09-10 21:32) 

SORI

リンさんさん おはようございます。
課題は「帽子」なのですね。課題がいきたやさしさと意外性がつまったいい物語だと思います。
秘密に会うのは不思議な魅力があります。
by SORI (2020-09-11 11:03) 

リンさん

<傍目八目さん>
ありがとうございます。
ああ、そうですね。まさに詰め込みすぎかもしれません。
ふたりを会わせずに終わるというのも、ミステリアスでよかったかもしれませんね。
by リンさん (2020-09-13 13:50) 

リンさん

<ぼんぼちぼちぼちさん>
ありがとうございます。
夫には未練なくても、子供とだけは会いたいと願う母は多いでしょうね。
リモコンヒコーキ、なるほど。
テレビのリモコンばかり考えていました^^
by リンさん (2020-09-13 13:53) 

リンさん

<SORIさん>
ありがとうございます。
どちらも、自分の方が愛されていたと思ってきたのでしょうね。
ユリエの優越感が、何だか怖いですね。
by リンさん (2020-09-13 13:57) 

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