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穴(サラリーマンの憂鬱) [競作]

その穴は、日に日に大きくなった。
そしてついに、家の前の道路いっぱいに広がった。

「家の前に大きな穴があいていて、仕事に行けません」
「何をふざけたこと言ってるんだ。今日は大事な会議だぞ」

そんなこと言っても、行けないんだから仕方ない。
そうだ、写真を撮って送れば、上司も納得するだろう。
そう思ってシャッターを切ってみたけれど、いくら撮ってもカメラに穴は写らなかった。

幻を見ているのか? しかし、確かに穴はある。

行けないものは仕方ない。
私はじっくり時間をかけてコーヒーを淹れた。
ゆったりとした時間が流れた。

オーディオのスイッチを入れると、懐かしいジャズが部屋を包んだ。
ソファーに体を沈めて目を閉じた。様々な想いがよみがえる。

今は亡き両親を思った。
大した親孝行もできなかったな。

離婚した妻を思った。
仕事ばかりで忙しく、淋しい思いをさせたな。

疎遠になった友人を思った。
忙しいといつも断っているうちに、まるで誘いがなくなってしまったな。

何だか、後悔ばかりの人生だ。
あの穴は、私の心にあいた穴なのかもしれない。

「それは違うよ」
不意に背後で声がした。
見知らぬ男が、窓の外に立っていた。男は、穴の淵ギリギリのところに立ち、手招きをしていた。
「あなたと私は同志です。いっしょに世界を征服しましょう」
「はっ?何ですか、あなたは」
「あの穴は、秘密組織のアジトにつながっています。さあ、いっしょに行きましょう」
「何を言ってるんですか?バカバカしい」
「信じられませんか?それでは自分の手を見てください。
十字の痣があるでしょう。ほら、私といっしょです。これこそ、秘密組織のマークです」

見ると、いつの間にか十字の痣が、私の手にあった。
世界制服…そういえば、そんな事を夢見ていた気もする。

私は窓をこじ開け、穴に向かって飛ぼうとした。
すると、たちまち数人の男に取り押さえられ、訳のわからない薬を飲まされた。

気が付くと、殺風景な部屋に転がっていた。
窓には鉄格子。ここはいったいどこだ?

「ここは精神病院ですよ」

さっきの男が鉄格子から覗いていた。

「手に刻まれた十字の刻印が、患者の証拠です。
なに、あとひと月もすれば、うすくなって消えますよ。その刻印が消えたら、退院です。
退院したら、また社会という組織に身をゆだねることになります。
あなたにとって、どちらがいいのか、ここでゆっくり考えると良いでしょう。
そしてまた嫌になったらいつでも言って下さい。大きな穴をご用意しますよ」

男は、不気味な笑いを残して消えた。
まるで死神のような顔をしていた。

窓の外に、もう穴はなかった。

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ヴァッキーノさんからお題を頂いた「穴」です。
楽しい競作が増えたので、カテゴリーも「競作」にしました。
楽しい企画に参加できて嬉しいです(^0^)v
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コメント 21

ヴァッキーノ

よく、悲しいことがあると、心の中にポッカリと穴が開いたようだ
なんて言いますよね。
それが、あまりにも空虚で強い想いだと、もしかしたら本当に実体化してしまうかもしれませんね。
そういう恐ろしさと、秘密結社、世界征服なんていうワードが登場すると
なんだか、それだけで地下組織の一員にでもなった気分になれます。
こういう「穴」ってのもあるんですね。
同じテーマでも、書く人によって、こんなにも違うものが出来上がるんですねえ。
すごいよなあ。
by ヴァッキーノ (2010-07-05 21:26) 

矢菱虎犇

心の穴。
自分自身の人生を振り返ったときに満たされない思い・・・
あれもこれも望んできりのない欲望・・・
そして狂気・・・
いろんな心の穴が描かれた文章ですねぇ
僕たちの日常って、目前の穴に落ちないために、昨日と同じことを繰り返すことで安全確保をして安心を手に入れているだけなのかもしれません。
油断したり、あるいは抗うことのできない力で
いつか穴にいとも簡単に落ちてしまうんだろうなぁ・・・

皆さんそれぞれ実に個性的です!
穴の競作、面白いなぁ!

by 矢菱虎犇 (2010-07-05 23:46) 

めりー

リンさん、とってもいい作品ですね!
読みながらググーッと引き込まれました。
短いお話ながら いつも
心に残る何かがちゃんとありますね☆
by めりー (2010-07-06 13:50) 

もぐら

「穴」 ひとつの単語で こんなにいろいろな文章が描かれるんですね。
すごいな~。

心の中の穴が見えたら、きっとこんな感じなんでしょうね。
現実の社会で暮らしている人がおかしいのか、それとも自分が
おかしいのか?
どちら側の精神が病んでいるのかわからなくなる不安定な気持ちを
掻き立てる作品ですね。

by もぐら (2010-07-06 16:10) 

リンさん

<ヴァッキーノさん>
楽しい競作へのお誘い、ありがとうございました。
最初は、道路の穴は自分の心の穴…っていうきれいな話にしようと思っていたのですが、「あれ?十字の痣が出てこないじゃん!」と気づいて、急きょ話を変えたんです。
ちょっとちぐはぐだったかな~と心配しながらアップしました(^0^)
by リンさん (2010-07-06 18:21) 

リンさん

<矢菱さん>
本当にみなさん個性的で面白いです。

私の穴は、心の闇(油断すると死神に引きずり込まれてしまう怖い穴)
を表現してみました。
現代社会って、こういう人多いんじゃないでしょうか。
by リンさん (2010-07-06 18:25) 

リンさん

<めりーさん>
ありがとうございます。
今回の話は、ブロガーさんたちとの競作で、「穴が出てくること」「手に十字の痣がある男を登場させること」が条件だったんです。

ちょっと苦労しましたけど、喜んでいただけてよかったです。
by リンさん (2010-07-06 18:28) 

リンさん

<もぐらさん>
本当にいろんな「穴」がありますね。
楽しいです。

そうそう、社会に復帰したらしたで、また不安な日々を送るかもしれませんね。現代人の憂鬱ですね。
by リンさん (2010-07-06 18:33) 

ia.

こんばんは。
人の心に空いた穴というのが心惹かれますね。
空虚な心に忍び寄る得体の知れないもの。
不思議な世界を体感できました。

本当に個性的で面白いですね。
by ia. (2010-07-06 21:50) 

ia.

↑ の、最後の一行は「他の皆さんもそれぞれ個性が出ていて」という意味です。
言葉足らずで、変なニュアンスになってしまいました(汗)
by ia. (2010-07-07 00:31) 

リンさん

< iaさん>
ありがとうございます。
ちょっと不思議で悲しいお話にしてみました。
本当にそれぞれの作品が、みんな違って面白いですよね。
iaさんもぜひ!!
by リンさん (2010-07-07 17:17) 

おさか(おさ子)

はじめまして、ヴァッキーノさんのブログから参りました。
おさかと申します。「もの書く日々」ではおさ子です。ややこしいですがお好きな方でお呼びくださいませ。

笑ウせェるすまんを思い出しました。最後のセリフなんかあの顔と笑い声がぱっと頭に(笑)。社会復帰も結局は何かの穴に入るってことなんでしょうね。

私のブログにヴァッキーノさんと矢菱虎菱さんの「穴」、リンクしてあります。リンさんのもリンクしていいですか?(あ、シャレじゃないです 笑)
by おさか(おさ子) (2010-07-07 22:34) 

銀河径一郎

これは面白い!
世界征服かと思いきや、精神病院とは
ストーリーの振りが大きくて楽しかったです。

調子に乗って私も書いてみました。

by 銀河径一郎 (2010-07-08 20:29) 

リンさん

<おさかさん>
いらっしゃいませ。
コメントありがとうございます。
『穴』おさかさんから始まったんですね。
たくさんの穴があって楽しいですね。
リンク、もちろんOKです。よろしくお願いします。

by リンさん (2010-07-08 22:27) 

リンさん

<銀河径一郎さん>
ありがとうございます。
銀河さんの「穴」、今から読みに行きます。
競作、楽しいですね。
by リンさん (2010-07-08 22:31) 

レイバック

はじめまして。
競作に参加させていただきましたレイバックと申します。
これまた意表を突かれる展開でしたねぇ。
>世界制服…そういえば、そんな事を夢見ていた気もする。
オチの直近ですが、ここ↑伏線として効いてますね。
夢見てたのかよ! と笑っちゃいましたがw



by レイバック (2010-07-10 03:22) 

シュシュ

なんか、不思議な感じのする作品ですね。
手に十字のついて男の人は患者さん??
不思議な世界へ連れて行かれた気分です。
by シュシュ (2010-07-10 13:47) 

リンさん

<レイバックさん>
コメントありがとうございます。
いろんな「穴」があって、競作って楽しいですね。
世界制服を、ホントに夢見ていたかどうかはわかりませんが、言われるとそんな気がしてくるものですね。
まあ、そんなところもちょっと病的ってことで…

これからも仲良くしてください。
by リンさん (2010-07-10 21:27) 

リンさん

<シュシュさん>
ありがとうございます。
そうです。この主人公は患者さんで、男は死神なんです。
穴は死にたいと思う気持ちの表れ、のようなもの。
…と、そんな思いで書きました。
by リンさん (2010-07-10 21:31) 

儚い預言者

 はじめまして。よろしく。

 認識という砦は、ある領域の合意を囲もうとする。それは現実という穴のひとつの隆起であることを阻もうとするかのように。
 なにひとつ確かなことがなくとも、すべてに有する真実の欠片を写すかのように。
by 儚い預言者 (2010-07-16 22:51) 

リンさん

< 儚い預言者さん>
コメントありがとうございます。
認識できないものを認めてしまうと、病的だと思われてしまうのかもしれませんね。
深いお言葉…ありがとうございます。
by リンさん (2010-07-17 17:49) 

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