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あの人の鍋 [公募]

つきあって二か月目の今日、初めて彰さんの家に招かれた。
彰さんとは婚活パーティで出会った。
女性ばかりの職場で婚期を逃した私と、三年前に妻を亡くして一児の父である彰さんは、出会ってすぐに結婚を意識した。
時間をかけて整えた髪を、木枯らし一号が容赦なく崩す。
乱れた髪で、葱や豆腐を抱えた自分の姿がやけに可笑しい。

「きれいに片付いているわ。もっと散らかってるかと思った」
「麻美ちゃんが来るから、優奈と一緒に掃除したんだ。なっ、優奈」
彰さんが一人娘の頭を撫でると、優奈は得意げな顔で笑った。
五歳の子どもがいることに、戸惑いがないと言えば嘘になるが、幸い優奈は可愛くて私にとても懐いてくれた。

「麻美ちゃんの手料理が食べられるなんて楽しみだな」
「手料理っていっても鍋だもん。材料切ってぶっこむだけよ」
「ぶっこむ?」と優奈が小動物みたいに首を傾げた。
「やばい。言葉遣いも気をつけなきゃね」
「麻美ちゃん、〝やばい〟もアウトでしょ」
彰さんが笑って、優奈も笑った。

「彰さん、土鍋ある?」
「ああ」と彰さんが棚の奥から土鍋を出した。朱色の小さな花がちりばめられた蓋が可愛い。
「いい柄ね。おしゃれだわ」
「しばらく使ってないから洗わないと」
土鍋を受け取って流し台に乗せようとしたとき、優奈が突然「ママ」と言った。
「ん? どうした? 優奈」
「それはママのお鍋なの。ママが大切にしていたお鍋なの。パパとの思い出がたくさんあるお鍋なの」

彰さんと私は、思わず顔を見合わせた。彰さんの妻が亡くなったとき、優奈はまだ二歳だ。
母親のことも殆ど憶えていないのに、そんなことを知るはずがない。
「驚いたな。でも、優奈の言うとおりだ」
彰さんが懐かしそうに目を細めた。
「僕も妻も、早くに両親を亡くしていてね、家族で鍋が囲めるのが嬉しくてさ、結婚してすぐにこの土鍋を買ったんだ」
見たこともない寂し気な顔で、彰さんは土鍋を愛おしそうに見た。
仏壇で見た妻の写真と、目の前の優奈の顔が重なる。
優奈の中で、母親は生きている。そして亡き妻との思い出を懐かしそうに語る彰さんの中にも、彼女は消えずに生きている。

私は何だかいたたまれなくなり、乱暴に土鍋を置いた。
「今日は帰るわ」
鞄だけをつかんで外へ出た。北風が再び髪を乱すが、直す気力もない。

彰さんが慌てて後を追ってきた。
「麻美ちゃん、ごめん。無神経だったよ。今から新しい土鍋を買いに行こう」
優しく、そして強く体を包まれて、私はポロポロ涙を流した。
わかっていたはずだ。この家に来たら、亡き妻の残骸がいくつもいくつもあることなど、最初からわかっていた。
私は自分の心の狭さ認め、彰さんに促されて家に戻った。
玄関先で、優奈が大きな瞳を潤ませていた。

「おばちゃん、ごめんなさい。本当は鍋のことなんて知らないの。パパがおばちゃんの話ばかりするから、ちょっといじわるをしたの」
わずか五歳の子どもに、そんな嫉妬心があることに驚きながら、優奈がとても愛おしく感じた。
「優奈ちゃんもパパが好きなんだね。私もパパが大好きよ。同じ人が好きなんだから、きっと私たち、上手くやれるよ」
そう言って髪を撫でると、優奈は安心したように頷いた。
「でもね、優奈ちゃん、今度おばちゃんって言ったら怒るよ」
冗談めかして言うと、「だっておばちゃんだもん」と、優奈が笑って反撃した。
彰さんも「そうだよな」などと楽しそうに言いながら、慌てて逃げる真似をした。
私たちはきっと素敵な家族になれる。時間を重ねて、少しずつ本当の家族なろう。

葱や白菜を切って鍋に入れていく私を、優奈がじっと見ている。
「もうすぐできるからね」
「うん」と言った優奈の視線が外れた。
優奈の瞳は私を通り越し、白い壁を見つめている。
優奈のあどけない声が、白い壁に問いかける。
「これでいいんでしょう、ママ」

背中を冷たいものが走る。振り向いても誰もいない。
優奈にだけ見えるその人は、どんな顔で私を見ているのだろう。
「大切に使ってね。そのお鍋」
やけに大人びた声で優奈が言う。私は思わず「はい」と答えた。
風がふっと目の前を通り過ぎ、優奈が「バイバイ」と手を振った。


*****

公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「鍋」
今回、レベルが高かったらしいです。
このところ、連敗続きです。めげずに頑張ろう!


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コメント 14

傍目八目

 あれ、選外佳作でしたよね?
 私は、このお話、とても好きです。りんさんは、どんどん安定感を増していますね。私も頑張ります! テーマ「鍋」はかすりもせずに駄目だったけれど。
by 傍目八目 (2016-11-10 22:18) 

リンさん

<傍目八目さん>
あれ? 選外佳作なんてあったんですね。今回から?
チェックしてませんでした。
あと少しだったってことですね。なんか悔しい~

最優秀目指して、お互い頑張りましょうね。
ありがとうございます^^

by リンさん (2016-11-10 23:12) 

雫石鉄也

良かったです。鍋が小道具として見事に生きてます。
小説や映画では、小道具が主人公のキャラや物語の設定を具現化することがあります。
イーストウッドの「「ダーティハリー」では、マグナム44というばかでかい拳銃を主人公のハリーに持たせています。これで、ハリーという乱暴な刑事のキャラを表しているのですね。
「刑事コロンボ」では、安葉巻、よれよれコート、ぽんこつプジョーといった小道具がコロンボのキャラを表現しているのです。
この作品の場合、鍋が、彰、亡き妻、優奈、麻美とそれぞれの立場、キャラ、物語の背景を表しているのですね。みごとです。
by 雫石鉄也 (2016-11-11 13:41) 

まるこ

あったかくなれるような、それでいてゾワっとしてしまうような・・・。
なんか不思議な感覚の読了でした。
時間は掛るかもしれないけれど、少しずつ本当の家族になっていくと
いいなと思いました^^

ワタシはリンさんの作品をいつも楽しみにして読んでます。
公募も頑張ってください^^
応援しています。
by まるこ (2016-11-11 16:46) 

SORI

リンさんさん おはようございます。
つい三人を応援したくなる素敵な物語です。
本人たちにしか分からない気持ちが、伝わってきました。
by SORI (2016-11-12 07:41) 

dan

読んでいていい小説だと思いました。
でも何か普通過ぎませんか。
私はリンさんにはもっと人が真似出来ないような
リンさんにしか書けないような、そんな作品をつい
期待してしまいます。
偉そうなこと言ってすみません。
これからも最優秀を目指して頑張って下さい。
応援しています。
by dan (2016-11-12 11:25) 

海野久実

あれ?
ホラーっぽくなって来たなと思ったらそのまま尻切れトンボで終わってしまった?
と思っていたんですが。

あああああ!
そうだったのか。
読み間違えてたのに気が付きました。
ラストシーンには、それとは書かれていないものの、母親の霊が優奈の体を借りて、二人をよろしくという感じでこの家からいなくなってしまう。
そんな感じですね。
そう書いてしまうと見も蓋もないけれど。
そういう意味の「バイバイ」なんだ。
この時には母親は優奈の体から出てしまっていて、母親の魂に「バイバイ」と言っている。
スッキリしました。
母親の霊が優奈に「この人ならあなたたちを任せても安心ね。私がここにいなくても」なんていう語り掛けがあったんでしょうね。
そういうのを一切書いてないけれど十分想像できます。

最初に読んだとき、
>風がふっと目の前を通り過ぎ、優奈が「バイバイ」と手を振った。
この場面は食事を終わって主人公が帰る場面だと思ってしまったんですよね。
いやに端折ってるなあと(笑)

この作品が落選なら、選者もその辺がわかってないのかと思いますが、佳作に残ったということはちゃんと理解してもらえたんでしょうね。

もう、お母さんの霊はいなくなった。
この三人はずっとうまくやっていけると思います。

by 海野久実 (2016-11-13 13:32) 

リンさん

<雫石鉄也さん>
ありがとうございます。
雫石さんに褒めていただくと、これでよかったと安心します。
小道具って大事ですよね。
TO-BEの場合はテーマが普通名詞なので、小道具としてどう使うか考えるところから始めます。
by リンさん (2016-11-13 14:39) 

リンさん

<まるこさん>
ありがとうございます。
相手が再婚の場合は、こういうことを乗り越えて本当の家族になるんでしょうね。
応援ありがとうございます。
これからも頑張ります!!
by リンさん (2016-11-13 14:40) 

リンさん

<SORIさん>
ありがとうございます。
これをきっかけに、いい家族になってくれることを、私も望みます^^
by リンさん (2016-11-13 14:42) 

リンさん

<danさん>
ありがとうございます。
偉そうだなんてとんでもない。ご意見嬉しいです。
次はdanさんが「うっ」と唸るようなものを書けるように頑張りますね^^
by リンさん (2016-11-13 14:44) 

リンさん

<海野久実さん>
ありがとうございます。
そうなんです。
優奈にだけ見える母親が、「それはママの鍋」と言わせ、「ごめんなさい」と謝らせ、「大切に使ってね」と言わせたんです。
そうか、ちょっとわかりにくかったかもしれませんね。
反省点ですね。
選外佳作というのが今回から発表になって、少し救われた気がしました。
by リンさん (2016-11-13 14:49) 

ひと休み

初めて書き込みます。というか、パソコンの書き込み自体が初めて(Facebookとかツイッターというのも初めて)なので、やり方まちがってそうで心配です(>_<)
とても良くできた作品だと思います。最近、いろんな公募に短い文章を応募しはじめ、そういうサイトを散歩していて、りんさんのサイトにたどりつきました。この作品にも、ほかの文章と同じように人への優しさが底に流れていて、心地よい読後感でした。これで入選できないとなると、ぼくの先行きも厳しいです(T_T)
ぼくは、娘の最初のセリフは自分の本心で、最後のセリフだけ、お母さんの幽霊にたしなめられて言ったのだと思いました。だれにでもわかるように(しかも謎に包みながら)というのは難しいですね。

by ひと休み (2016-11-24 13:22) 

リンさん

<ひと休みさん>
初めまして。
コメントありがとうございます。嬉しいです。
TO-BEはとてもレベルが高いです。
プロを目指している方も応募しているんじゃないかと思います。
私はプロになれるとは思っていませんが、一度でいいから大きな賞をもらいたいと夢見ています。
これからもよろしくお願いします。

by リンさん (2016-11-24 19:53) 

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