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おじいちゃんの日常

「梅はな、花だけじゃないんだぞ。この枝ぶりを見るのも楽しみだ。見ろ、この曲線の美しさ。桜はドーンと大きな木に、これでもかというほど花が咲く。だけど梅は違う。どこか儚げが気がしないかね。気品があると思わんかね」
おじいちゃんは、同じ話を何度もする。
それ、さっき聞いた。3回め。ウンザリだけど顔には出さない。
「そうだね、おじいちゃん」と言って、手を引いて歩き出す。
「風が出てきたよ。もう帰ろう」
「そうだな。ああ、そうだ、美穂子。まんじゅうを買っていこう。今日は客が来る」
「客なんて来ないよ。たしか家にどら焼きがあったよ」
「そうか。じゃあ帰ろう」
ちなみに私の名前は美穂子じゃない。美穂子は私の叔母さんの名前。

おじいちゃんが町の相談役をやっていたころは、毎日のように誰かが来ていた。
だけど2年前、おじいちゃんが認知症になってからは誰も来なくなった。
あんなにしっかりしていた人が、まるで話のかみ合わない人になってしまった。
きっかけは、おばあちゃんが亡くなったことだ。
ショックで一時的におかしくなったと思っていたら、どんどん進行した。

「ただいま」
「あらお義父さん、梅はどうでした?」
「ただいま雪子さん。あのな、梅はな、花だけじゃないんだぞ。この枝ぶりを見るのも楽しみだ。桜はドーンと大きな木に、これでもかというほど花が咲く。だけど梅は違う……」
本日4回め。お母さんの名前は覚えているのに、私の名前はたまに忘れる。
ソファーに横たわってスマホのチェック。友達のインスタにいいねして溜息。
せっかくの春休みなのに、おじいちゃんとの散歩を日課にされて、なんだかストレスだ。こんなの女子高生の休日じゃない。

「こんにちはー」
あれ、本当に客が来た。おじいちゃんがいそいそと出て行った。
「やあ、重さん、お元気そうで」
と言われても、おじいちゃんは誰だか思い出せない。
「まあ、上がりなさい」
思い出せないけど、とりあえず居間に通す。
お母さんが出て来て「あらまあ、鈴木さん」と、お茶の用意をした。
久しぶりのお客さんだ。

「実はですね、ノラ猫を集めて餌をあげている家がありましてね。その家のまわりに猫が集まって大変なことになってるんですよ。可哀想に思って餌をあげるんでしょうけど、近所から苦情がきましてね、困ってるんです」
おじいちゃんはふむふむと聞いている。
「猫といえば、竹久夢二の黒猫の絵を知っているかね」
ああ、また始まった。鈴木さん、困っちゃうよ。
だけど鈴木さんは、気にもせず話を続ける。
「子猫も生まれてるみたいでねえ……」
「鈴木さん、私の知り合いに保護猫活動をしている人がいるから相談してみます。詳しい場所を教えてください」
お母さんが言った。
「いやあ、助かります。やっぱり雪子さんは頼りになりますねえ。重さん、いい嫁さんでよかったなあ」
鈴木さんはそう言って帰った。おじいちゃんは、ニコニコと満足げに見送った。

私は気づいていた。
鈴木さんはずっとお母さんに向かって話をしていた。おじいちゃんのことなどまるで頼りにしていなかった。最初からお母さんに相談していた。
「お母さん、いつから相談役になったの?」
「別になったつもりはないけどね、おじいちゃんの病気を知らない人がたまに来て相談していくものだから、なんとなくね」

おじいちゃんはソファーでうたた寝を始めた。
起きたらもう憶えていないんだろうな。私と梅を見に行ったことも、鈴木さんが来たことも。
「おじいちゃん、風邪ひくよ」
ブランケットを掛けながら、明日も梅の話をするのかな、と思った。
おじいちゃん、幸せなのかな、不幸なのかな。
寝顔に、春の薄日がまだらに射した。おじいちゃんが片目を開ける。
「カーテンを閉めてくれ、亜紀」
あっ、私の名前呼んだ。ちょっとうれしい。
私は、おじいちゃんが不幸じゃないって信じたい。

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SORI

リンさんさん こんばんは
ほんわかな、温かいお話が自然と流れていくのに、読み入ってしまいました。いいお話です。
by SORI (2022-03-13 18:40) 

雫石鉄也

こういうなにげない日常を描いたお話もいいですね、
ガサツなSFやら大藪春彦が大好きな私がいうのもなんですが。
私のつれあいの母は91才ですが元気です。でもすっかり認知症が進行して、私を見ても判らないようです。でも陽気に楽しく暮らしてるようです。認知症=不幸ではないですね。
by 雫石鉄也 (2022-03-14 13:36) 

ぼんぼちぼちぼち

おじいちゃん、幸せだといいでやすね。
認知症になると自分では判らなくなるから幸せだ、という人がいるけど
老健に行って、辛そうな認知症の人を何人も見たので、あー、色々なんだな、と思ってやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2022-03-14 14:05) 

リンさん

<SORIさん>
ありがとうございます。
家族が理解して寄り添うことが大切なんだろうなって思います。
by リンさん (2022-03-20 21:17) 

リンさん

<雫石鉄也さん>
ありがとうございます。
お母さま、元気で何よりです。
楽しく暮らしているのが一番です。
義母は足が悪くて出かけることが出来ないので、ちょっと可哀想です。
by リンさん (2022-03-20 21:19) 

リンさん

<ぼんぼちぼちぼちさん>
ありがとうございます。
あー、認知症は本人より周りが大変って言いますね。
みんなが幸せじゃないと、本人も結局辛いんだと思います。
by リンさん (2022-03-20 21:22) 

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