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散り際の桜 [男と女ストーリー]

「桜は散り際が美しい」
彼がそう言った時、私は口をとがらせて反論した。
「それって嬉しくないと思うわ。年老いて死にそうな女に、今がいちばんきれいだと言ってるのよ。絶対ありえないでしょ。そんなこと」
「まったく君は風情がないな。いちいち人間に置き換えることはないだろう」
何もかもが正反対だった私たち。よく4年間も付き合ったものだ。
大学を出た後、私は東京で就職して、彼は地元で家業を継いだ。
それっきり会っていないのに、彼のことを思い出すなんて。
きっと桜が満開だからだ。

定年まで勤めあげた会社を辞めた途端に病気が見つかって、ここ10年、入退院を繰り返している。
気ままな一人旅でもしようと思っていたのに、神様は意地悪だ。
家族もいないし、いっそケア付きの施設にでも入ろうかと考えて、見学に来た。
静かな海辺の街、庭には見事な桜の木が並んでいる。
ここで、遠い昔の恋を思い出しながら過ごすのも悪くない。

「満開ですねえ」
ベンチに座っていると、車椅子の老人が話しかけてきた。もっとも私も充分に老人だ。
「そうですねえ。きれいですね」
「桜は何といっても散り際が美しい」
老人は、彼と同じことを言った。そう、こんな言い方だった。
「昔ね、僕がそう言ったら反論されたんですよ。それは、年老いて死にそうな女に、今がいちばんきれいだと言ってるんだと」
「えっ?」
私は、彼の顔を覗き込んだ。年月が経ちすぎて、彼かどうか全くわからない。
だけどおそらく彼だろう。この街は、彼の故郷にとても近い。

「それで僕はね、妻が死ぬときに言ってあげたんです。今がいちばんきれいだと」
「本当に言ったのね。それで、奥様はなんて?」
「すごく喜びました。ありがとうと何度も礼を言いました」
彼が笑った。昔のまま。そう、私を言い負かしたときの笑い方だ。
「まあ、そりゃあそうでしょうね。死ぬときに、昔の方がきれいだったと言われたら、私なら化けて出るわ」
「あはは。まったくだ。あなたは妻に似ているな。妻もきっとそう言いますよ」
ふたりで笑った。本当に不思議。
50年も経っているのに、あの日と同じように並んで桜を見上げているなんて。

「伯父さん」と叫びながら、ひとりの青年が走ってきた。
「ここにいたんだ。黙って出ていくから心配したよ。さあ、部屋に帰ろう」
青年は車椅子を押しながら、私に小声で話しかけた。
「なにか、失礼なことを言いませんでしたか?」
「いいえ、ぜんぜん。なぜそんなことを?」
「認知症なんです。じつは僕のことも、よくわかっていないんです。昔のことはよく憶えているんですけどね」
「そうなの。でも、奥様のことを話してたわよ」
青年は小さく笑って首を振った。
「伯父は独身です。一度も結婚していません。でも、若い頃に結婚したかった女性がいたみたいで、たぶん今、頭の中でその人と結婚しているんだと思います。僕もたまに茶番に付き合わされますよ」
青年は「それじゃあ」と車椅子を押して帰っていった。
あの人、頭の中で私と結婚して、私を看取ったということ?
失礼ね。病気だけど、あと10年は生きるつもりよ。

かつての恋人同士が50年ぶりに再会しても、恋が始まるはずがない。
どちらも病気の老人だもの。
それでもたまに、いっしょに桜を見上げるのは悪くない。
私は、入所案内のパンフレットを抱えて、事務所に向かった。
「ここに決めたわ」

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コメント 4

たまきち

桜の下にいると気持ちがやさしくなります。
「ここに決めたわ」よかったです。
後の展開を期待したいところです。

by たまきち (2022-04-08 05:41) 

ぼんぼちぼちぼち

あぁ、なんかいい話しでやすなあ。
恋愛って、幾つになってもできるんでやすよね。
by ぼんぼちぼちぼち (2022-04-11 19:52) 

リンさん

<たまきちさん>
ありがとうございます。
桜は日本人にとって特別ですね。
by リンさん (2022-04-17 22:12) 

リンさん

<ぼんぼちぼちぼちさん>
ありがとうございます。
本当ですね。いつでも「あの頃」に戻ってしまうのが恋ですね。
by リンさん (2022-04-17 22:13) 

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