赤い椿・白い椿 [男と女ストーリー]
「タケちゃん、椿三十郎って知ってる?」
お嬢さんが、唐突に聞いた。
「さあ…椿さんという方は、存じませんが」
「バカね、映画よ。すごくかっこいい用心棒なの。それでね、川に椿を流す場面があるのよ。赤い椿と、白い椿。ね、素敵だと思わない?」
お嬢さんは、はしゃぎながら椿の花を花瓶にさした。
花を飾るような部屋ではない。ここは使用人の休憩部屋だ。
「それで私考えたんだけど、タケちゃん、私と駆け落ちしない?」
「駆け落ち?」
俺は思わずお茶を噴き出した。
「お父様は私にお見合い結婚させようとしてるのよ。高校を卒業したらすぐにお見合いさせる気でいるの。タケちゃん、どう思う?」
「そりゃあ…お嬢さんが幸せなら…」
「幸せじゃないわよ。何が悲しくて18やそこらで結婚するの?それにね、私はロマンチックな恋愛がしたいの。たとえば反対を押し切って愛を貫くとか、障害が多いほど燃えるでしょ」
「ふうん、それで駆け落ちですか。でも、なぜ俺なんですか?恋人でもないのに」
「タケちゃん、ひどい!私たち立派な恋人じゃないの。毎日こうして密会してるんだから」
「密会って…。お嬢さんが俺の休憩時間に押しかけてくるだけじゃないですか」
「とにかく、駆け落ちの日にちは2月10日。タケちゃんお休みでしょう。その日に決行が決まったら赤い椿を流すわ。もし延期だったら白い椿を流すわ。いい、午前9時に必ず川を見てよ」
お嬢さんはオレの返事も聞かずに、笑って部屋を出て行った。
なんだ。椿を川に流したいだけじゃないか、と俺は思った。
この老舗旅館で働き始めたのは、15の時だった。
戦争で両親を亡くした俺に、旦那さんは優しかった。
働きながら高校にも行かせてくれたし、成人式には背広を作ってくれた。
そんな旦那さんを裏切るようなこと、出来るはずがない。
布団をかぶったら、お嬢さんの顔が浮かんだ。
明るくて可愛くて、誰にでも分け隔てなく優しい陽だまりのような人だ。戦後生まれのお嬢さんは、キラキラしていて俺たちとは違う生き物のような気さえした。
2月10日がやってきた。
俺のアパートは、旅館のすぐ裏だ。下を細い川が流れている。
『赤い椿が流れたら、すぐに駅に行ってください。全ての手筈は整えておきます。貴方はその身ひとつで来てくれればいいのです』
昨日の帰り際にお嬢さんがよこした手紙だ。本気だったのか。俺はすっかり尻込みしていた。それでも手すりにもたれて、川を覗いた。
流れてきたのは、白い椿だった。
ホッとした。だけど心の奥で、ほんの少し残念がっている自分がいた。
「昨日はごめんね。歯医者の予約が入っていたの」
お嬢さんは、椿を持って部屋に入ってきた。
「は、歯医者?」
「駆け落ちの途中で歯が痛くなっても困るでしょう」
「まあ、そうですね…」
「次の駆け落ちは来週ね。2月17日よ」
またやるんですか?という言葉を言う前に、お嬢さんは部屋を出て行った。
2月17日、流れてきたのは、また白い椿だった。
「ごめんね。お友達からお芝居に誘われちゃったの」
「芝居…ですか」
「楽しかったわ。帰りにパーラーでケーキを食べたのよ。モンブランって知ってる?大きな栗が載ってるの。それで、次の駆け落ちは2月の…」
「いい加減にしてください」
俺は自分でも驚くほどの大声を出した。
「俺をからかってるんですか?お嬢さんの遊びに付き合うほど暇じゃないんです。くだらない遊びは他の人とやってくださいよ」
俺はイライラしていた。お嬢さんに甘い期待を抱いてしまった自分への苛立ちだった。
お嬢さんは泣きそうな顔でうつむいて、黙って部屋を出て行った。
椿の花がぽとりと落ちた。
それからお嬢さんは、部屋に来なくなった。道ですれ違っても顔をそむけた。
これでいいんだと、自分に言い聞かせた。
春の日差しが、道に落ちた椿を邪魔物のように照らした。
3月、お嬢さんは無事に女子高を卒業した。
ある晴れた日、お嬢さんはいつになくきれいな着物を着ていた。
今日がお見合いの日だと、俺は察した。
きれいな着物とは裏腹に、お嬢さんは暗い顔をしていた。
「やめたい」とつぶやくお嬢さんを、旦那さんが優しくたしなめていた。
気づいたら走り出していた。
俺はお嬢さんの腕をつかんで、その場から逃げた。
「おい、タケ、いったいどうしたんだ」と旦那さんが玄関先で叫んでいた。
空き地で足を止めると、お嬢さんが手を振り払って「痛いじゃないの」と睨んだ。
「すみません。でも俺、こんなこと言える立場じゃないけど、お見合いなんかしないでください」
「…しないけど」
「はっ?」
「今日はお琴の発表会よ。練習不足だから恥をかきにいくようなものだわ」
「お見合いじゃないんですか?」
お嬢さんは「バカね」と言いながら着物の裾を叩いた。
「ねえタケちゃん、ついでにこのまま駆け落ちしようか」
「何言ってるんですか」
「だって、帰ったらお父様にすごく怒られるわよ」
「怒られてもいいから帰りましょう」
「駆け落ちが嫌なら、私をタケちゃんのお嫁さんにしてよ」
「な、何言ってるんですか。俺は使用人ですよ」
「ナンセンス!時代遅れだわ。お父様にちゃんと言ってね」
そう言って笑いながら背を向けたお嬢さんの帯には、真っ赤な椿が描かれていた。
俺は頭をかきながら、その後ろを歩いた。
時代背景は、昭和30年代後半です。
もちろんその頃のことはよく知りません。椿三十郎も、織田裕二のしか見ていません。
だからちょっと違うところがあるかもしれませんが、お許しください^^;
映画で椿を流すところは、実はロマンチックではありません。
闘いの合図ですからね^^
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お嬢さんが、唐突に聞いた。
「さあ…椿さんという方は、存じませんが」
「バカね、映画よ。すごくかっこいい用心棒なの。それでね、川に椿を流す場面があるのよ。赤い椿と、白い椿。ね、素敵だと思わない?」
お嬢さんは、はしゃぎながら椿の花を花瓶にさした。
花を飾るような部屋ではない。ここは使用人の休憩部屋だ。
「それで私考えたんだけど、タケちゃん、私と駆け落ちしない?」
「駆け落ち?」
俺は思わずお茶を噴き出した。
「お父様は私にお見合い結婚させようとしてるのよ。高校を卒業したらすぐにお見合いさせる気でいるの。タケちゃん、どう思う?」
「そりゃあ…お嬢さんが幸せなら…」
「幸せじゃないわよ。何が悲しくて18やそこらで結婚するの?それにね、私はロマンチックな恋愛がしたいの。たとえば反対を押し切って愛を貫くとか、障害が多いほど燃えるでしょ」
「ふうん、それで駆け落ちですか。でも、なぜ俺なんですか?恋人でもないのに」
「タケちゃん、ひどい!私たち立派な恋人じゃないの。毎日こうして密会してるんだから」
「密会って…。お嬢さんが俺の休憩時間に押しかけてくるだけじゃないですか」
「とにかく、駆け落ちの日にちは2月10日。タケちゃんお休みでしょう。その日に決行が決まったら赤い椿を流すわ。もし延期だったら白い椿を流すわ。いい、午前9時に必ず川を見てよ」
お嬢さんはオレの返事も聞かずに、笑って部屋を出て行った。
なんだ。椿を川に流したいだけじゃないか、と俺は思った。
この老舗旅館で働き始めたのは、15の時だった。
戦争で両親を亡くした俺に、旦那さんは優しかった。
働きながら高校にも行かせてくれたし、成人式には背広を作ってくれた。
そんな旦那さんを裏切るようなこと、出来るはずがない。
布団をかぶったら、お嬢さんの顔が浮かんだ。
明るくて可愛くて、誰にでも分け隔てなく優しい陽だまりのような人だ。戦後生まれのお嬢さんは、キラキラしていて俺たちとは違う生き物のような気さえした。
2月10日がやってきた。
俺のアパートは、旅館のすぐ裏だ。下を細い川が流れている。
『赤い椿が流れたら、すぐに駅に行ってください。全ての手筈は整えておきます。貴方はその身ひとつで来てくれればいいのです』
昨日の帰り際にお嬢さんがよこした手紙だ。本気だったのか。俺はすっかり尻込みしていた。それでも手すりにもたれて、川を覗いた。
流れてきたのは、白い椿だった。
ホッとした。だけど心の奥で、ほんの少し残念がっている自分がいた。
「昨日はごめんね。歯医者の予約が入っていたの」
お嬢さんは、椿を持って部屋に入ってきた。
「は、歯医者?」
「駆け落ちの途中で歯が痛くなっても困るでしょう」
「まあ、そうですね…」
「次の駆け落ちは来週ね。2月17日よ」
またやるんですか?という言葉を言う前に、お嬢さんは部屋を出て行った。
2月17日、流れてきたのは、また白い椿だった。
「ごめんね。お友達からお芝居に誘われちゃったの」
「芝居…ですか」
「楽しかったわ。帰りにパーラーでケーキを食べたのよ。モンブランって知ってる?大きな栗が載ってるの。それで、次の駆け落ちは2月の…」
「いい加減にしてください」
俺は自分でも驚くほどの大声を出した。
「俺をからかってるんですか?お嬢さんの遊びに付き合うほど暇じゃないんです。くだらない遊びは他の人とやってくださいよ」
俺はイライラしていた。お嬢さんに甘い期待を抱いてしまった自分への苛立ちだった。
お嬢さんは泣きそうな顔でうつむいて、黙って部屋を出て行った。
椿の花がぽとりと落ちた。
それからお嬢さんは、部屋に来なくなった。道ですれ違っても顔をそむけた。
これでいいんだと、自分に言い聞かせた。
春の日差しが、道に落ちた椿を邪魔物のように照らした。
3月、お嬢さんは無事に女子高を卒業した。
ある晴れた日、お嬢さんはいつになくきれいな着物を着ていた。
今日がお見合いの日だと、俺は察した。
きれいな着物とは裏腹に、お嬢さんは暗い顔をしていた。
「やめたい」とつぶやくお嬢さんを、旦那さんが優しくたしなめていた。
気づいたら走り出していた。
俺はお嬢さんの腕をつかんで、その場から逃げた。
「おい、タケ、いったいどうしたんだ」と旦那さんが玄関先で叫んでいた。
空き地で足を止めると、お嬢さんが手を振り払って「痛いじゃないの」と睨んだ。
「すみません。でも俺、こんなこと言える立場じゃないけど、お見合いなんかしないでください」
「…しないけど」
「はっ?」
「今日はお琴の発表会よ。練習不足だから恥をかきにいくようなものだわ」
「お見合いじゃないんですか?」
お嬢さんは「バカね」と言いながら着物の裾を叩いた。
「ねえタケちゃん、ついでにこのまま駆け落ちしようか」
「何言ってるんですか」
「だって、帰ったらお父様にすごく怒られるわよ」
「怒られてもいいから帰りましょう」
「駆け落ちが嫌なら、私をタケちゃんのお嫁さんにしてよ」
「な、何言ってるんですか。俺は使用人ですよ」
「ナンセンス!時代遅れだわ。お父様にちゃんと言ってね」
そう言って笑いながら背を向けたお嬢さんの帯には、真っ赤な椿が描かれていた。
俺は頭をかきながら、その後ろを歩いた。
時代背景は、昭和30年代後半です。
もちろんその頃のことはよく知りません。椿三十郎も、織田裕二のしか見ていません。
だからちょっと違うところがあるかもしれませんが、お許しください^^;
映画で椿を流すところは、実はロマンチックではありません。
闘いの合図ですからね^^
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2011-02-08 23:15
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コメント(14)
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この作品は、黒沢映画の「椿三十郎」が公開された当時という時代設定なんでしょうね。
「椿三十郎」はどちらも見ていませんが、黒沢版は白黒フィルムだったとおもいます。
この作品を読み終わって、もう一度白黒映画として読み直してみるとまた違った印象でした。
白黒で想像して読んだ方が趣があってよかったですね。
赤い椿も白黒の映像で表現すると言うのがね。
それから白黒映画として読むと、登場人物のセリフのイントネーションも昔の映画っぽく思い描いてしまいました。
歯医者の予約のところでは大笑いしましたよ。
これが本当に昔の白黒映画なら、二人は結ばれないでしょうが、この二人なんかうまく行きそうな気がしました。
by 海野久実 (2011-02-09 00:38)
白い椿が流れるたびに
ほっとしながらも。。。タケちゃんの恋心が高まったいったんですね。
ロマンチック。。。クスクス(´艸`o)゚.+:
。。。素敵なお話でした。
でも、タケちゃん。。。
一生、このお嬢様に振り回されていくんでしょうね。
(・・*)。。oO(想像中)
それもまた、、、嬉しかったり?
男と女のことは。。。難しいです。(笑)
楽しませていただきました。ありがとっ♪
by 春待ち りこ (2011-02-09 00:41)
ラストがしゃれていますね。この帯はお嬢さんの意思でしたのでしょうか。
主人公へのサインでしょうか。
いろいろ、読み終わった後のふくらみがある終り方でした。
このお嬢さま、意地悪なようでかわいいです。
私は、黒澤+三船の「椿三十郎」を観ました。ものすごく面白い映画です。
ご家老とその奥方が面白いです。
こちらもお勧めです。少なくとも織田版より面白いと思いますよ。
by 雫石鉄也 (2011-02-09 09:04)
映画はみてないんですが、そのほうがいろいろ想像できてよかったかな?
とってもかわいいお嬢さんと真面目な使用人。
違う世界にいるようなふたりだからこそ お似合いな気がします。
りんさんの作品の登場人物って、いつも少しの人物像で 深く想像が
広がっていきます。
いつも とても 楽しいです。
ありがとう。
by もぐら (2011-02-09 17:12)
読んでいる途中で、ダスティ・フォフマンの卒業を思い出しました。
結婚式場から花嫁の手を引っ張って……。と、ダブりましたが…
えっ!お琴の発表会。(ズコッ!)
あー。頭の中に、まだサウンドオブサイレンスが流れてる。。。
りんさん。どうにかして下さい。(笑)
最高に楽しめました。ありがとうで~す。
by haru (2011-02-09 20:14)
お嬢様、策士だw いいですね、この力関係。
私も「椿三十郎」は織田さんのしか見ていませんが、
あの映画を見てから前よりも更に椿が好きになりました。
ちょこちょこ椿を作品の中に入れたくなっちゃいます。
確か捕らえられたときに、反対の合図を進言するんでしたよね。
帯に気づいていない使用人さんが、最後に気づくというのが
何だかまたとても可愛い感じがしました。
by 愛輝 (2011-02-10 18:59)
<海野久実さん>
そうです。黒澤映画は白黒でしたね。
>白黒映画として読むと…そういう読み方をしていただけると、すごく嬉しいです。
この時代の話を書くのは初めてだったので、何か楽しかったです。
この二人はきっと結ばれると、私も思います^^
by リンさん (2011-02-10 20:34)
<りこさん>
楽しんでいただけて良かったです^^
そうですね。お嬢さんに振り回される人生も、楽しいかもしれませんね。
いつもありがとう(^○^)
by リンさん (2011-02-10 20:36)
<雫石鉄也さん>
ありがとうございます。
織田裕二の椿三十郎は、黒澤映画と同じ撮り方をしたそうですが、やっぱり本場の方が面白いですよね。
今度見てみます。
おっとりした奥方との会話は笑えますよね。
by リンさん (2011-02-10 20:46)
<もぐらさん>
映画とても面白いですよ。
今度見てね^^
ショートの場合、人物像はセリフで表現することが多いので、いろいろ想像を広げてもらえると嬉しいです。
楽しんでくれてありがとう^^
by リンさん (2011-02-10 21:15)
<haruさん>
花嫁奪って逃げるアレですね^^
この二人は、この後どうなるんでしょうね。
反対されたら、「卒業」パターンもありえるかも^^
楽しんでくれてありがとう~
by リンさん (2011-02-10 21:17)
<愛輝さん>
映画で椿が流れるところ、すごく印象に残っています。
椿で話を書こうと思ったら、真っ先に浮かびました。
そうそう、反対の合図でしたね。
いつもありがとうございます^^
by リンさん (2011-02-10 21:27)
>ナンセンス!
これがウケましたあ(笑)
ちょっとインテリな人に、ボク、言われたことあるんですよ。
なかなか実際言わないワードですもん。
椿三十郎っていうチョイスもいいっすねえ!
スバッ!
ぶしゅーーー!!!
by ヴァッキーノ (2011-02-11 12:56)
<ヴァッキーノさん>
この時代に使われていた言葉かな~と思って入れてみました。
実際に使った人は見たことありません(笑)
椿三十郎、かっこいいですよね^^
ぶしゅーーーーー!!!!
by リンさん (2011-02-11 22:18)