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玄関先をお借りします [公募]

夏の午後、ちょうど簡単な昼食を済ませたところに、チャイムが鳴った。
いつものようにインターフォンで応答すると、画面に一人の老婆が映った。
「ちょっとの間、玄関先をお借りしたいのですが。ひどく疲れてしまってね、休みたいけど日陰が全然ないものだから」
背中に大きな荷物を背負って、肩で息をしている。
気の毒になって「どうぞ」と言った。
うちの玄関先は低いブロック塀で囲まれていて、いい具合に腰かけられるようになっている。
その周りにはたくさんの樹木があり、ちょうどいい日陰になる。
「よいしょ」と腰を下ろす老婆は、しきりに汗を拭っている。

私は冷蔵庫からペットボトルの水を出して、老婆のところに持って行った。
「あらまあ、これはどうもご親切に。玄関先を借りた上に、お水まで頂けるなんて」
老婆は喉を鳴らして水を飲んだ。よほど美味しかったのか、何度も礼を言った。
「どちらまで行かれるんですか?」と尋ねると「アンジョウ村まで」と答えた。
聞いたことのない地名だ。昔の呼び名だろうか。
この家に嫁いで八年になるが、初めて聞いた地名だ。気になったが深くは訊かなかった。
話が長くなると面倒だし、一刻も早くクーラーの効いた部屋に戻りたかった。
「ごゆっくり」と言い残して家の中に入った。
少し外に出ただけで暑いのに、あんな荷物を背負って歩くなんて、何かよほどの事情があるのだろうか。

午後三時、幼稚園に息子を迎えに行く時間になったので、車の鍵を持って外に出た。
まさかいないと思ったのに、老婆はまだ玄関先に座っていた。
かれこれ二時間は経っている。
「ごめんなさいね。長居してしまって」
「いえ、あの、私今から子供を迎えに行くんです。よかったらこの先まで乗せていきましょうか?」
親切心が三割、居座られたくないのが七割で、そんな提案をした。しかし老婆は首を横に振った。
「車は苦手でねえ。歩いてなんぼの商売だから。ありがとね」
幼稚園から帰ると、老婆はいなくなっていた。
ホッとしたが、よろよろ歩く姿を想像したら、少し胸が痛かった。

夜になって帰ってきた夫に、昼間の老婆の話をした。
「アンジョウ村は、合併前の名前だ。俺も生まれる前の話だけどね。そういえば、ばあちゃんは隣町のことを、死ぬまでアンジョウ村って呼んでたな」
「そうなの。大きな荷物を背負って、隣町まで歩くのね。私には無理だわ」
「この辺りは相当な田舎だったからね、昔は行商人が来たら、家に泊めていたらしいよ。この家、村はずれの一軒家だったから」
「知らない人を家に泊めるの?」
「うん。夜になったら真っ暗だし、宿屋もないしね。最初にそういう施しをしたから、その後もずっとやるようになったんだって。これもばあちゃんから聞いた話だ」
「ふうん」
行商人か。言われてみたらそんな感じだった。
大きな荷物を背負って、何かを売り歩く人みたいだった。
昔ならともかく、令和の時代に何を売り歩くというのだろう。

数日後の昼下がり、チャイムが鳴った。
「玄関先をお借りしたいのですが」
今度は、初老の男だ。浅黒い顔で、やはり背中に大きな荷物を背負っている。
「すまんけど、ちょっと休ませてくれんかね。ここに日陰があると聞いたもんでね」
人のよさそうな顔で汗を拭く男に、インターフォン越しに「どうぞ」と言った。
すると数分後、再びチャイムが鳴った。
「はい」
「あのなあ、ここでおいしい水がもらえると聞いたんだが、お願いできますかな」
はい? 水?
夫の言葉を思い出す。

「最初にそういう施しをしたから、その後もずっとやるようになったんだって」

ああ、そういうことか。

行商人たちは、数日置きにやってくる。
おじいさん、おばあさん、中年の男女など、さまざまな人がやってくる。
背負った荷物の中に何が入っているかはわからない。
どこから来て、どこへ行くのか、彼らの言うアンジョウ村が今でもどこかに存在しているのか、そんなことはわからない。
だけど私は、毎回玄関先を貸し、冷蔵庫から水を出して与える。
きっとこの家の玄関が、そういった役割を担っているのでしょう。

ほら、また誰かがチャイムを押した。
「玄関先をお借りします」

*****
公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「玄関」でした。
「TO-BE小説工房」次の公募で終了だそうです。
終わっちゃうのか。寂しいな。
有終の美を飾りたいな~。課題は「骨」です。難しい~
最後なので、気合い入れて頑張ります!

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コメント 6

ぼんぼちぼちぼち

何ヶ月か前に道を掃いていたら、ちょうど老婆が低いブロック塀に腰掛けて休憩されていかれたことがあるので
ドキッとしてしまいやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2021-07-14 20:31) 

雫石鉄也

上方落語に「天狗裁き」という噺があります。寝て起きた男、女房に「どんな夢見てたん」聞かれます。「夢みてない」「私にはいえない夢なのね」「見てへんて」夫婦喧嘩。隣家の男が仲裁。「俺にはどんな夢かいえるな」「見てへん」ケンカ。家主が止める。「どんな夢や」「見てません」家主、家出て行け。男、奉行所に訴える。「おぬしは無罪。家を出ないでいい。ところでどんな夢か、奉行にはいえるな」「夢見てません」「重き拷問を加えて聞き出すぞ」天狗が助ける、「天狗にはいえるな」
 演じるに難しい落語です。同じことの繰り返しで、下手に演じると退屈な噺です。桂米朝師匠が得意とされてた噺です。女房、隣家の男、家主、奉行、天狗を実にうまく演じ分けおられました。
で、この作品は、今少し米朝師匠の域にまでは達してませんでした。
まことに失礼ですが月亭八光ぐらいです。
by 雫石鉄也 (2021-07-15 14:38) 

SORI

リンさんさん おはようございます。
怖いような不思議な物語です。私が使っている京成電車はは早朝に1本だけ行商列車がありました。今は無くなりましたが懐かしいです。
最後尾の2両が行商人に専用になっていたことを思い出してしまいました。
by SORI (2021-07-21 07:02) 

リンさん

<ぼんぼちぼちぼちさん>
ありがとうございます。
私の父も、座れるところがあれば休憩していました。
日陰だとさらにありがたいですね。
by リンさん (2021-07-22 10:09) 

リンさん

<雫石鉄也さん>
ありがとうございます。
米朝師匠には、到底なれそうもないですが、この落語はぜひ聞いてみたいですね。
夫婦げんかにご奉行さまが出てくるなんて。しかもオチが天狗?
面白すぎます。
by リンさん (2021-07-22 10:16) 

リンさん

<SORIさん>
ありがとうございます。
私も子供の頃に電車で見かけました。
野菜をかごに入れた行商の人です。
専用車両があったとは驚きです。
by リンさん (2021-07-22 10:19) 

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