SSブログ

赤い毛糸 [ミステリー?]

雪がちらついていた。
景色に見とれて、小さな駅でうっかり途中下車してしまった。
次の電車はもうなかった。閑静な田舎町で、宿などない。
「失敗したなあ」と途方に暮れて歩いていると、道端にお地蔵さまがいた。
赤いニット帽を頭にかぶっている。
「まあ、可愛らしい」
雪を払ってお参りすると、お地蔵さんが少し笑ったように見えた。

「お嬢さん、見かけない顔だね。どうかしたのかい?」
通りかかったおばあさんに事情を話すと、快く「うちに泊まりなさい」と言ってくれた。
おばあさんの家は、お地蔵様のすぐ近くで、ひとり暮らしのようだ。
「さあ、さあ、温まって。古い家で驚いたかい」
ストーブの炎が優しくて、心まで溶けていくのを感じる。

恋人と別れて、ひとりの傷心旅行だった。
特に急ぐわけでもなく、宛てもなかった。
「さあさあ、たくさんお食べ」
おばあさんが、ご馳走を用意してくれた。野菜中心の優しい御飯だ。
食べ終わるとおばあさんは、籐のカゴから赤い毛糸をとりだして、帽子を編み始めた。
「お地蔵さん帽子ですか? おばあさんが編んでいたのね」
「その昔、村の女の子がね、寒そうなお地蔵さまに赤い毛糸の帽子をかぶせたのさ。そうしたら、その年は災害もなく大豊作だったそうだ。それからね、お地蔵さまに赤い帽子を被せることが習わしになったんだ」
「そうなんですか。今はおばあさんが編んでいるんですね」
「でもね、年のせいかすっかり編み目が見えなくなってねえ」
おばあさんは、目をシバシバさせた。
「お手伝いしましょうか」
私が言うと、おばあさんはニッコリ笑って編みかけの帽子を差し出した。
「おや、あんた上手だねえ」
「編み物、得意なんです」
恋人にも何枚もセーターを編んだ。きっと新しい恋人に全部捨てられてしまっただろう。
無駄な時間だった。こうしてお地蔵さまの帽子を編む方が、どれだけ有意義だろう。
静寂の中で一目一目丁寧に編んでいく。こんな時間もいいなと、しみじみ思った。

目覚めると、雪はすっかりやんでいた。
硝子のような陽ざしが、雪に反射している。
ふと見ると、小指に赤い毛糸が巻き付いている。
「なにかしら」
結び目は決してきつくないのに、どうしても外れない。
私はおばあさんのところへ行き、指に巻き付いた毛糸を見せた。
「おやまあ」と、おばあさんの顔がぱあっと輝いた。
「あんた、選ばれたんだね。お地蔵さまに選ばれたんだね」
おばあさんに促されて、外に出て糸を手繰ると、お地蔵様の指に繋がっていた。
糸がほつれて、お地蔵さまの帽子がなくなっている。
「ほらね、これからはあんたが帽子を編むんだよ。ほらほら、早く被せてあげないと、お地蔵さまが風邪をひくよ」
「無理です。私帰らないと。今すぐハサミで切ってください」
「ハサミなんかじゃ切れないよ。運命の赤い糸だもの。大丈夫。糸は長いから、自由に動けるよ。この村からは出られないけどね」
「困ります」
「仕方ないよ。選ばれちゃったんだから」
おばあさんは嬉しそうに言って、大きく伸びをした。
心なしか、いくらか若返ったようにみえる。
「ああ、縛られていた50年を、今から取り戻そうかね」
「50年?」
おばあさんは、すっかり若返り、羽が生えたように軽やかに雪道を走っていった。

ああ、帽子を編まなければ。早く帽子を。
赤い糸に操られるように、編み棒を手に取る。
ひと目編むごとに、何かを忘れていくような気がした。
雪が、また降り出した。心地よい静寂だ。

nice!(10)  コメント(8)