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サトコの湖 [ミステリー?]

子供の頃の話をします。
私には、2歳下の妹がいました。サトコという名前です。
サトコは5歳の夏、家族で出かけた湖に落ちて溺れてしまいました。
父が飛び込んでサトコを岸にあげましたが、もう心臓が止まっていました。
「サトコ、死なないで」
私たちは必死で蘇生を試みましたが、息を吹き返すことはありません。
携帯電話などない時代でしたから、救急車を呼ぶこともできず、とりあえず車に戻って病院に連れて行こうと思ったときです。
どこからか、ひとりの僧侶が現れました。
「その子を助けてあげましょう」
僧侶はお経のような、呪文のような言葉をつぶやき、サトコの胸を強く押しました。
サトコは「ブハッ」と水を吐き出して、目を覚ましたのです。
「ああ…お坊様、なんてお礼を言ったらいいか」
両親が振り向くと、そこにはもう誰もいませんでした。
不思議な話です。

サトコは、そのときのことを憶えていません。
私たち家族は、湖に行くのをやめたこと以外は、何も変わらずに暮らしました。
いっしょに学校へ行き、眠りにつくまでおしゃべりをして、私たちは、とても仲のよい姉妹でした。
10年が過ぎました。サトコは15歳になりました。
ある夜のことです。
サトコが夜中に突然起き上がりました。
同じ部屋で寝ていた私は驚いて、「どうしたの?」と聞きました。
サトコは扉を開けながら、「湖に行く」と言いました。
何も覚えていないはずのサトコが、「私が死んだ湖に行かなきゃ」と言うのです。
「何言ってるの? だいたい、歩いていける距離じゃないよ」
私はサトコの腕をつかみましたが、するりとかわして部屋を出ました。
両親を起こしに行きましたが、ふたりとも催眠術にかかったように起きません。
サトコを追って外に出ると、10年前にサトコを救ってくれた僧侶が立っていました。
サトコは何の躊躇もなく、僧侶に寄り添いました。

「お坊様、サトコをどこに連れて行くのです?」
「運命に従っていただくのみです」
「運命? だって、お坊様がサトコを救ってくださったのでしょう」
「はい。わたしはあの日、運命に逆らいました。あなた方があまりにお気の毒に見えたからです。おかげで、わたしは罰を受けました。10年間、闇の中で辛い修行をしました」
サトコは、いつのまにか小さな子供に戻っていました。
「さあ、行きましょう。あの湖へ」
「ダメだよ」私はサトコの腕をつかみました。
サトコは、あどけない笑顔を見せて私の手をほどきました。
そして、闇に消えてしまいました。

私の泣き声を聞きつけた両親が、慌てて出てきました。
さっきまであんなにぐっすり眠っていたのが嘘のようです。
「どうしたの?」
「サトコが、サトコが行っちゃった」
「サトコの夢を見たのか。もう10年も経っているのに」
「何年たっても、忘れることなんかできないわよ」
これは夢だと思いました。朝が来たらいつものようにサトコがいると思いました。
だけど翌朝私が見たのは、仏壇の中で笑うサトコの写真でした。
それは10年前の、5歳のサトコでした。

私は今、湖にいます。
あれからどれだけの年月が流れたでしょう。
孫がサトコの年を追い越すほどに年を取りました。
湖は、サトコの事故がきっかけで柵が作られ、すっかり整備されています。
私は思うのです。サトコはどこかで生きているのではないかと。
あの僧侶とふたりで、この湖の周りで遊んでいるのではないかと。
「おばあちゃん、はい、これ」
孫が、リンドウの花を摘んできてくれました。
「まあ、きれい。ありがとう」
「あのね、サトコちゃんっていう子にもらったの」
孫がにっこり笑いました。幼い日のサトコに、よく似た笑顔です。

ほらね、サトコはやっぱりここにいます。


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