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傘がない [男と女ストーリー]

電車を降りるとザーザー降りだ。
カバンに入れたはずの傘がなかった。
困ったな。タクシーは行列が出来ている。
コンビニまで走って傘を買うか。
だけどちょっと走っただけで、ずぶ濡れになりそうな雨だ。

女が隣に立って、傘を広げた。
「よかったら、コンビニまでご一緒しませんか?」
「えっ、いいんですか。肩が濡れてしまいますよ」
「構いませんよ。困ったときはお互い様。さあ、どうぞ」
女が開いた傘は、僕の傘にとても似ていた。
どこにでもあるチェック柄だけど、僕の傘には柄のところにJの文字が刻まれている。
僕の名前の頭文字だ。
「僕が持ちますよ」
そう言って傘を受け取って柄を見た。Jが刻まれている。

「あの、これはあなたの傘ですか?」
「違います。電車の中で拾ったんです」
「拾った? じゃあやっぱり、これは僕の傘だ」
「まあ、そうでしたか。届けようと思ったんですけどね、この雨でしょう。つい、持ってきちゃって」
「構いませんよ。返してもらえたら」
「では、コンビニまでご一緒したらお返しますね」
女はすまなそうに小さく笑った。
かわいい人だ。こんな出会いもいいかもしれない。

それにしても、カバンに入れていたはずなのに、どうして落ちたんだろう。
何かを取り出したときに落としたのかな。
寝ているあいだに落ちたかな。
ぜんぜん気づかなかったけど。

ふたりで並んで歩いた。
女の体が触れるたびにドキドキした。

コンビニに着いた。
「ありがとうございました。では私は、傘を買って帰りますね」
「こちらこそ、傘を拾ってくれてありがとう」
「雨が強くなってきましたよ。さあ、早く帰ってください」
「また会えるかな」
「同じ電車を利用しているんです。きっと会えますよ」
女は笑いながら手を振った。
そうだ。これが運命なら、きっとまた会える。

歩き出してから、家に何もないことを思い出した。
「弁当とビールでも買うか」
引き返してコンビニに行くと、女がレジで金を払っているところだった。
「あれ? その財布」
似ている。っていうか、僕の財布だ。

「その財布は、あなたのですか?」
女がにこやかに答えた。
「違います。さっき拾いました」


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