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コロナ禍の恋 [男と女ストーリー]

あの人は、病室の窓からいつも手を振ってくれた。

彼が交通事故で入院したと聞いてから、私は生きた心地がしなかった。
すぐにでもお見舞いに行きたかったけれど、コロナのせいで面会禁止。
事故でスマホも壊れたらしく、電話もメールも通じない。
心配で眠れない夜を過ごし、病院の裏庭で彼の病棟を眺めた。
命に別状はないと言っていたし、一目でも顔が見たいと思った。

そして5階の端の窓からあの人の姿が見えたとき、私の胸は大きく高鳴った。
ドキドキし過ぎて倒れそうなくらいだった。
「気づいて、気づいて」と念を送ったけれど、あの人は看護師との話に夢中で、私にまるで気づかない。
だけど逢えたことが嬉しくて、私は翌日も同じ時間に同じ窓を見た。
あの人が見えた。今日は、看護師はいない。
思い切って手を振ってみた。
「気づいて。私はここよ」
念が通じて、あの人が私を見て、少し戸惑いながら遠慮がちに手を振り返してくれた。
奥に昨日の看護師がいるのかもしれない。
はにかんだ笑顔が素敵。

それから毎日、同じ時間に彼の病棟を眺めた。
雨にも負けず、風にも負けず、花粉にも負けず、欠かさず出かけた。
そして私たちは、ほんの短い時間、見つめ合って手を振り合う。
触れ合えなくても、言葉を交わせなくても、気持ちは通じ合っている。


そしてついに、その日が来た。
彼が入院して1か月半、コロナが5類に移行して、面会が可能になった。
私はすぐに病院に行って、彼と面会をした。
5階の談話室に、松葉杖の彼が来た。
「リハビリきつくてさー。でももうすぐ退院できそうだよ」
「あらそう」
そんなことはどうでもよかった。
「トイレに行く」と嘘をついて、私は部屋を出た。
5階のいちばん端の部屋に行きたくて。
そう、私が会いたいのは彼じゃない。
毎日5階の端の窓から手を振り合った「あの人」。
たぶん、この病院のお医者さん。
一目惚れなの。あの人に会った途端、彼のことなんか頭の中からすっかり消えた。

いちばん端の部屋は「プライベートルーム」の札が掛かっていた。
患者さんは入れない。やはりあの人はお医者さんだ。
「どうしたの?」
いつのまにか彼が後ろに立っていた。
「そこ、医者の喫煙室だよ。もちろん患者は入れないし、喫煙室ってことも、一応秘密になってるらしい。今は色々うるさいだろ。それにさ、さぼりに来てる医者もいるらしいよ。ほら、ちょうど出てきた」

喫煙室から出て来たのは、あの人だった。
続いて、髪が少し乱れた看護師が赤い顔で出て来た。
あのときの看護師だ。何をしていたかは想像できる。
あの人は私をちらりと見て、すぐに視線を戻した。
「あの医者、常習犯」
彼が耳元で言った。

なあんだ。近くで見たら、全然大したことないじゃない。
ガッカリだ。一時の気の迷いってやつだ。そもそも私、彼氏いるし。

「ねえ、退院したら、美味しいもの食べに行こうね。リハビリ頑張って」
私は彼の手を優しく握った。





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