SSブログ

2017年のビリージョエル

クリスマスイヴの夜、僕はリボンのついたLPレコードを抱えて走っていた。
彼女が好きなビリージョエル。喜ぶ顔が目に浮かぶ。
少し遅れて予約したレストランに着くと、彼女は来ていなかった。
店員が、「お連れ様からです」と、封筒を差し出した。
色気も何もない茶封筒に、ノートの切れ端に書いたような殴り書き。
『ごめんね。さようなら』
多少の予感はあった。だけどイヴの夜に、これはないだろう。
彼女はその後、金持ちの愛人になったとか、エイズで死んだとか、いろんな噂が飛び交った。だけど何のことはない。実家に帰って幼なじみと結婚したらしい。
要するに、二股をかけられていただけの苦い思い出だ。

ビリージョエルのレコードは、けっきょく一度も聞いていない。
そしてまもなく、レコードの時代が終わりを告げた。

数年後に結婚して、父親になった。
ひとり息子はこの春社会人になり、初めてのボーナスで妻と僕にプレゼントをくれた。
「少し早いけど、クリスマスプレゼント」
妻には、天然石のブレスレット。
僕には、レコードプレーヤーだった。
「おどろいたな。今でも売っているのか」
「レコードが、ちょっとしたブームになっているんだ。お父さん、大切にしているレコードがあるんでしょう。聴きたいんじゃないかって、お母さんが言うから」
「そうよ。お父さん、引っ越しのたびに捨てずに持ってくるレコードがあるじゃない」

ビリージョエルだ。
昔の恋人への未練などでは決してない。
一度も聞いていないレコードを、捨てるのが惜しかっただけだ。

「ねえ、聴いてみましょうよ」
「おれもレコードって興味ある。聴いたことないし」
「そうか」
僕は立ち上がり、CDラックの奥からレコードを取り出した。
レコードは、長い年月歪むこともなく、かけてもらえるのを待っていたように見えた。
針を落とすと、じりじりと懐かしい音がした。
息子が「おお~」と小さく声を上げた。
口笛で始まるストレンジャー、軽快なアップダウンガール。
じつは、有名な歌しか僕は知らない。彼女のために買ったレコードだから。

温かい部屋に、アナログの歌声が響く。
「いいわね。ビリージョエル」妻がうっとりと言う。
「すげえな。おれ、ハマりそう」息子が楽しそうに言う。
レコードをかけただけなのに、こんなに優しい時間が流れることに少し驚いた。
プレーヤーを囲む僕たち家族は、きっと最高に幸せだ。

このレコードはもはや、ビリージョエルが好きな彼女のために買ったものではない。
2017年の12月に、大切な家族と聴くために買ったものだ。
そう思うことにした。

「なあ、今年のイヴは、レストランで食事でもするか」
「ムリ、おれ、彼女とデート」
「ごめんね。私、パート仲間と忘年会」

ああ、ビリージョエルはやっぱりちょっと切ない。


にほんブログ村
nice!(10)  コメント(12)