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黒い心 [ホラー]

始まりは、5歳の夏だった。
母が入院している間、僕は伯母の家に預けられた。
伯母は母の姉で、農家に嫁いだが夫に先立たれ、広い家に一人で住んでいた。
慣れない畳の部屋でなかなか眠れずにいたら、天井に黒いシミが現れた。
「古い家だから壁も天井も汚くてごめんね」と伯母が言っていた。
だから気にしないようにして眠ろうとしたけれど、シミはどんどん大きくなり、やがて液体になって僕の額にポトリと落ちた。
「うわあ」と悲鳴を上げて、隣の部屋の伯母の布団に飛び込んだ。
「あらあら卓ちゃん、怖い夢でも見たの?」
伯母は優しく僕の背中をさすってくれて、ようやく僕は眠りについた。

数日後、父と母が赤ん坊を連れて迎えに来た。
「卓ちゃんの弟よ」
母の腕の中で、サルみたいな赤い顔をした赤ん坊が泣いていた。
それから母は、弟ばかりを可愛がった。僕は何でも我慢の日々だ。
「お兄ちゃんでしょう」と言われるたびに、弟が憎くなった。

ある時僕は、心の中で念じてみた。
「弟なんか消えてしまえ」
すると翌日、弟は高熱にうなされて、三日三晩生死の境をさまよった。
僕は怖くなり、命を取り留めた弟の頭を、何度も何度も優しく撫でた。

小学校に入ってから、僕は自分の力を確信した。
いじめっ子に「あんなやつ消えてしまえ」と念じたら、翌日交通事故で入院した。
嫌な先生に「消えてしまえ」と念じたら、翌日不祥事を起こして学校をやめた。
宿題が終わらなくて「学校なんか燃えてしまえ」と念じたら、ボヤ騒ぎが起きて3日間休校になった。
僕は自分の心が怖くなって、念じることを一切やめた。

12歳になった夏、母が原因不明の病気になって入院した。
もちろん僕は念じていない。母に消えてほしいなんて思うわけがない。
僕と弟は、再び伯母の家に預けられた。
弟を寝かしつけた後、伯母が驚くようなことを言った。
「ねえ、卓ちゃん、伯母さんの子供にならない。伯母さんね、この先ずっとひとりで生きていくのかと思ったら寂しくて。卓ちゃんは私に懐いてくれてるし、ねえ、この家で一緒に暮らしましょうよ」
僕は、すぐに首を横に振った。
「伯母さん、僕はこの家が怖いんだ。だから一緒には住めないよ」
僕は、あのシミを見た夜のことや、その後に起きた不思議な力の話を打ち明けた。
伯母は一瞬驚いた顔をして、ふふっと笑った。
「なんだ。卓ちゃんもそうなの。実は伯母さんにも、その力があるのよ」
伯母は、嫁いで間もないころ、僕と同じ経験をしたと話した。
「でも、卓ちゃんの念はちょっと弱いね。やっぱり優しい子だからね、本当に消すことは出来ないのね。伯母さんの念は強いのよ。意地悪な姑と小姑、ふがいないダンナ、みんな消しちゃった」
伯母は、世間話をするようにサラっと言った。
ごくりと唾をのむ音が、静かな部屋に響いた。

「伯母さん、まさかお母さんに何かした?」
「そうねえ、卓ちゃんが欲しいって言ったら断られちゃったからね、ちょっと嫌がらせ。ねえ卓ちゃん、私がもっと強く念じたら、あんたのお母さん、どうなるかしら」
「やめて」
「ねえ卓ちゃん、一緒に暮らそう。伯母さんの子になって」
伯母が手首をぎゅっと掴んだ。やめて、痛いよ、やめて。
僕がその手を振り払うと同時に、伯母が急に胸を押さえて倒れ、そのまま動かなくなった。
「えっ、伯母さん?」
僕は念じていない。僕じゃない。

後ろの襖がすうっと開いた。弟が立っていた。
「ぼく、この伯母ちゃんキライ」
弟の額には、黒いシミがべったりと付いていた。


***
怖い話ですみません。
夏になると書きたくなっちゃうホラーです。

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