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庭石の記憶 [公募]

里子は、縁側に腰かけて石を見ている。庭の真ん中に置かれた大きな石だ。
青みがかった黒に近い灰色で、季節の草花を映し出して艶やかに光っている。
里子は美しい石を眺めながら、「三十年か」とつぶやいた。

山奥で育った里子は、高校を卒業して家業の酪農を手伝っていた。
遠い親戚からの縁談話が纏まり、ふもとの町へ嫁いだのは三十五年前のことだ。
姑小姑だけでなく、大姑までいる大所帯で、里子は息をつく間もなく働いた。
山しか知らない娘だったから、姑小姑からずいぶん厳しく躾けられた。
躾と言えば聞こえはいいが、里子からすればそれは立派な嫁いびりだった。

「あんたは何をやっても雑ね。山育ちってっていうのは、人種が違うのかしらね」
「お母さん、何を言っても無駄よ。この子、山ザルだもん」
義母は歩き方や笑い方にさえも文句をつけ、義姉は、ことあるごとに里子を田舎者扱いして馬鹿にした。おまけに大姑は、足が不自由だが口は達者で厳しかった。
「呼んだらさっさと来い。立派な足が二本もあるのに、おまえの足は飾り物か」
里子にだけでなく、義母に対しても厳しく、大姑に嫌味を言われると義母は里子に当たる。いつもよりずっと厳しく。

夫は優しくねぎらってくれたが、姑小姑に対しては何も言えない。
義父もまた同じだった。
子供がなかなか出来ないことも、嫁いびりを加速させる理由になった。
それが一番つらかった。

石屋が来たのは、里子が嫁いで五年目のことだった。
石屋とは、山で採掘した見栄えのいい石を磨いて町に売りに来る業者のことだ。
その日は、ようやく縁談が纏まった義姉の結婚式だった。
しかし里子は出席せずに留守番だった。
すっかりボケてしまった大姑の面倒を診るために残った。
もっとも上品ぶった親戚たちに会うよりもずっとマシだった。

石屋は、庭先で里子に声をかけた。
「奥さん、いい石がありますよ。せっかく広い庭なのに殺風景で勿体ないですよ。ね、奥さん、見るだけでも見てくださいよ」
石屋が勧めた石は、黒に近い灰色で、いくらか青い色がちりばめられていた。
美しい石だ。しかもどこか懐かしい。
「きれいでしょう。あまり有名じゃないけどね、あの山で採れた石なんですよ」
石屋が指さした山は、里子が生まれ育った山だった。
石の形も、どことなく山と似ている。「欲しい」と里子は思った。
だけどこれだけ大きかったらさぞかし高価だろう。
里子には、高額なものを買う権限などなかった。

「ちょっと待ってて」と石屋を引き止め、里子は大姑の部屋に向かった。
大姑はこの頃、里子を実の娘だと思い込んでいる。
それを利用して、石を買わせようと思いついた。
「おや、正子じゃないか。何か用?」
やはりこの日も里子を、とうに嫁に行った伯母の正子だと思い込んでいる。
「お母さん、今ね、石を売りに来たの。素敵な石よ。買ってもいいかしら」
「石って、エメラルド? ダイヤ?」
「もっと大きくてきれいな石よ。いいでしょう。私すっかり気に入ったの」
娘には甘い大姑は、「仕方ないね。お金はタンスの引き出しにあるから。お父さんには内緒だよ」と笑った。
タンスに大金があることを、里子はとっくに知っていた。

こうして里子は石を買い、庭の真ん中に置いてもらった。
台所からも居間からも寝室からも見えるように置いた。
五年も耐えたんだ。このくらいいいだろうと思った。

帰ってきた姑は、石を見て憤慨した。舅と夫も唖然としている。
「すみません、お義母さん、おばあさまがどうしても買うと仰って。私は止めたんですよ。でも、あの性格ですから……」
全てをボケた大姑のせいにした。
それでも全身を震わせて怒った姑を、夫がなだめた。
「まあまあ、なかなかいい石じゃないか。庭が明るくなったよ。ねえ父さん」

程なく里子が妊娠した。石のご利益だと夫が言い、姑も渋々それを認めた。
石を置いてから、穏やかな日が続いた。
大姑が亡くなり、姑は少しだけ優しくなった。すべては石のおかげだ。
この石は故郷だ。里子は、ずっとそう思って生きてきた。

「三十年間ありがとう」
「本当にいいのか? 大事な石をどかしても」
夫が縁側から声をかけた。もうすぐ結婚するひとり息子のために家を建て替える。
石をどかして二世帯住宅を建てるのだ。
「いいのよ。もう石は必要ないわ」
義父母を看取って自由になった里子は、息子夫婦との暮らしを楽しみにしている。
「あの嫁、気が利かなそうだから、しっかり躾けてあげないとね」
そう言って笑う里子の横顔を、石が映し出した。

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公募ガイドTO-BE小説工房の落選作です。
課題は「石」。いろんなエピソードがありそうで、選ぶ方も大変だったかもしれません。
書き終わったときは「すごい、面白い。イケる!」と思ったんだけど、読み返すとイマイチだったかな。


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