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壁の音 [公募]

上京して初めての一人暮らしは、セキュリティ万全のマンションとは程遠い、かなりレトロなアパートだった。
引っ越しが終わって両親が帰ると、寂しさと心細さと開放感が入り混じり、なかなか眠ることが出来なかった。

深夜0時を回るころ、トントンと壁を叩く音がした。
隣の部屋の住人が、壁を叩いているようだ。
こんな夜中に、なんて迷惑な人だろう。都会の人は常識がないのか。
これだから安アパートは。憤慨しながら布団を被っても、音は鳴りやまない。
聞いているうちに、ふと気づいた。隣の住人は、やみくもに壁を叩いているのではない。
リズムがある。モールス信号のように、意味を持っているのではないかと思えてきた。

トントントン(こんばんは)。トトトン(げんき?)。トトトトトン(あいしてる)。

えっ? いやだ。怖い。キモすぎる。
隣がどんな住人かもわからないのに、勝手な想像で盛り上がり、寝不足のまま朝を迎えた。
もう出掛けたのか、隣の部屋は静かだった。
数軒先の大家さんを訪ね、昨夜のことを話した。
「それは気のせいでしょう。あんたのお隣さんは、今どき珍しく礼儀正しい大学生なのよ。昼間働いて、夜学校に行っている立派な学生さんよ。しかもイケメン。壁を叩くなんて、そんなことしないわよ」
隣の大学生に絶大な信頼を寄せている大家さんに、これ以上言っても無駄だと知った。
やっぱりセキュリティ万全のマンションがよかった。
せめて彼がどれだけイケメンなのか確かめたかったが、早朝に出かけて夜半に帰る苦学生の顔を、拝むことは出来なかった。

その夜も、壁は叩かれた。
トントントン(こんばんは)。トトトン(さみしい)。トントトトン(いま、あいたい)。トトトト(すきだよ)。
いやだ、なんて情熱的。
もしかしたら隣の学生は、前にこの部屋に住んでいた人と恋人同士だったのではないか。
こうして毎晩、壁を叩き合って秘密の会話をしていたのかも。
そう思ったら、どことなく寂しい響きに聞こえる。
彼は今も、彼女を想い続けているのだろう。私もそっと壁を叩いた。
トトトト(すきだよ)の後に、トトトト(わたしも)と。

そんなことが数日続いた。
慣れない一人暮らしも、思ったよりも大変な大学生活も、壁越しの不思議な会話に救われた。
そして初めての日曜日、隣の部屋から生活音が聞こえてきた。
隣の大学生、今日は家にいるのか。
私は実家から送られてきた野菜を持って部屋を訪ねた。初めてのご対面だ。
「はい」と出てきた彼は、そこまでイケメンとは思えない、寝ぐせ頭の男だった。
「ご挨拶が遅れました。隣に引っ越して来ました。これ、実家から送ってきた野菜です」
男は「どうも」と無造作に野菜を受け取ると、私の顔をじっと見て言った。

「君さ、夜中に壁叩くのやめてくれない?」
「はあ? 叩いているのはそっちでしょ」
「なんで俺がそんな無駄なことするんだよ。一分だって長く寝たいのに」
「あなたが叩くから私も叩いたの。最初に叩いたの、そっちだからね」
話は平行線だった。「何だ、こいつ。どこが好青年だ」と思いながら、取りあえず引き下がった。しかしその夜、またしても壁を叩く音がした。
トトトトン(ごめんよ)。
謝っているの? それならば、トトト(いいよ)。
これで仲直り……と思ったら、隣から声がした。

「ほら、今叩いただろ」
「そっちが叩くから答えたのよ」
「叩いてねえし。いい加減にしろよ」
「それはこっちのセリフだわ」
その時、「ドーン」という地響きのような音が壁の中から聞こえた。「ドーン、ドーン」と不気味な音が何度も何度も鳴り響く。
「ねえ、これ、何?」
「わからない。何なんだ、これ」
「ねえ、怖いんだけど、ちょっとそっちに行ってもいい?」
「いいけど、一分待って。片付けるから」

私は一分後、震えながら彼の部屋に行った。
不気味な音は暫く鳴り続け、余韻も残さずピタリと止んだ。
私たちは、いつの間にか手を握り合っていた。彼が、少しイケメンに見えてきた。
吊り橋効果というやつか。その後私たちは急速に仲良くなり、つき合い始めた。

夏が来て、実家から送ってきたメロンを大家さんに届けに行った。
「あら美味しそう。ありがとう。そういえばあんた、隣の大学生とつき合ってるんだって。いいねえ、若い子は。でも不思議ねえ。昔から、あのアパートの住人同士でカップルになる人、ものすごく多いのよ。縁結びの神様でもいるのかしらね」

そういえば、彼とつき合い始めてから壁の音は一切しなくなった。そうか、そういうことなのか。部屋に帰って、壁に耳を当ててみた。彼と私、ふたり分の温もりが心地いい。

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公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「壁」でした。
偶然にも、時点の佳作作品と同じタイトルでした。なんとアイデアも同じでした。
意外と誰でも思いつくことだったんだな。
最優秀作品は、ジーンとくる話でした。5枚で感動させるって、すごいな。
今月の課題は「名前」です。
思いついたら出してみるけれど、またギリギリになりそうです。

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