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朝寝坊さん [ファンタジー]

子どもの頃から、わたしの枕元には「朝寝坊さん」がいます。
目に見えないくらい小さな女の人で、とても心地よい優しい声で子守唄を歌うのです。
途中で眠ってしまうから分からないけれど、たぶん一晩中歌っていると思います。
だって目覚めたときも、優しいその歌は当たり前のように聞こえるのですから。

目覚まし時計をこっそり止めるのも「朝寝坊さん」の仕業です。
そう、だからわたしは、彼女を「朝寝坊さん」と呼んでいるのです。

「起きなさい、起きなさい、何度言ったら起きてくるの、まったくあなたは」
お母さんの声は、なんて耳障りなのでしょう。
わたしは目を閉じて、「朝寝坊さん」の歌声に酔いしれます。
5回くらい起こされて、渋々起き上がると、「朝寝坊さん」の歌はゆっくりフェイドアウトして、やがて風のように、どこか遠くへ行ってしまうのです。

おかげでわたしは、ほぼ毎日遅刻です。
「学生のうちはいいけど、社会人になったらどうするの? あなたを一生起こしてあげることなんか出来ないんだからね」
朝からガミガミうるさいです。
だけど「朝寝坊さん」のおかげで目覚めはとてもいいので、しっかり朝食を食べて出掛けます。
わたしが学校へ行っている間、「朝寝坊さん」はどこで何をしているのでしょう。
梅の花がもうすぐ咲きそうなことに、気がついているかしら。

「こら、おまえ、また遅刻か」
先生が怒ります。
だけど先生、寝不足のまま学校へ来ても、きっと効率が悪いわ。しっかり寝ることで、わたしの成績は中の上を保っているのよ。すべては「朝寝坊さん」のおかげなのよ。
そんなことを言ったら余計に叱られるので、「すみません」と微笑みます。
わたしの心は、いつだって穏やかなのです。

ある日のことです。
小鳥の声と「朝寝坊さん」の歌声が優しく混ざり合って、心地よい朝を迎えました。
しかし、いつまでたっても、お母さんが起こしに来ないのです。
耳障りなうるさい声でも、聞こえないと寂しいものです。
それに、このままではお昼になってしまいます。
わたしは「朝寝坊さん」に別れを告げ、起き上がりました。
「お母さん?」
リビングにもキッチンにもお母さんはいません。
部屋へ行ってみると、布団を被って寝ているのです。
「お母さん、どうしたの? 起こしてくれないから、もう陽が高くなっちゃったよ」
お母さんは、布団をもぞもぞさせながら、しゃがれた声で「起きたって仕方ないだろう」と言いました。
「だってあんた、朝起きられないせいで仕事もしてないし、一日ダラダラしているだけじゃないか。これ以上あたしの年金を当てにしないでちょうだいよ」
そう言って起き上がったお母さんの髪は真っ白で、顔はしわくちゃのおばあさんでした。
そして鏡を見たら、わたし自身も驚くほど年を取っていたのです。
「いやだ。お母さん、わたし、どうしちゃったの! ねえ、起きてよ、お母さん。起きてよ」
「ああ、うるさい。なんて耳障りな声だ。せっかく心地よい歌声を聞いていたのに」
お母さんのところにも、「朝寝坊さん」が来たようです。
仕方がないので、わたしも寝ました。
将来が不安で心細くて、なかなか眠れません。
「朝寝坊さん」は、もうわたしのために歌ってはくれません。

「起きなさい、起きなさい」
お母さんの声です。ガバっと起きると、わたしは元の女子高生に戻っていました。
「あら珍しい。一回で起きるなんて、雪でも降らなきゃいいけど」
お母さんも、ちゃんと太った黒髪のおばさんでした。
「朝寝坊さん」は、それっきり来なくなりました。
次はあなたの枕元に行くかもしれません。
うららかな春が、やがてやってきます。どうかご用心を。

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