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夕立の、前と後 [公募]

雨が降ると、石田君は決まって校庭に飛び出していった。
両手を広げて、まるで何かの儀式みたいに雨に打たれる。
髪も制服もびしょ濡れなのに、修行僧みたいに動かない。
クラスメートは二階の窓からヤジを飛ばし、呆れたように「またやってる」「アホだぜ、あいつ」と笑った。
やがて先生に連れ戻されて叱られて、その後の授業をジャージで受ける石田君は、本来は極めて普通の中学生だった。
あれだけ雨に濡れても風邪をひかない健康な身体を持ち、成績だって悪くない。
雨さえ降らなかったら、さほど目立たない、どちらかと言えば地味なクラスメートのひとりだ。

よく晴れた七月の空を、石田君はぼんやり見つめていた。
二つ後ろの席で、私は石田君の背中を見ている。
石田君とは、小学校の時からずっとクラスが一緒で、気が付くと彼の背中を目で追っていた。
今日の背中は、少し寂しそうだ。
「ねえ、石田ってバカなの? 前からあんなだった?」
クラスの女子からの問いかけに「さあ?」と曖昧に笑い返した。
本当の石田君を、みんなは知らない。

放課後、昇降口で石田君と一緒になった。
「あれ、文芸部、部活ないの?」
スニーカーを落とすように床に並べて、石田君が私を見た。
「先輩が来なくて、みんなだらけてるから終わりにしたの」
「はは、ゆるくていいな」
「石田君は? バスケ部でしょ」
「退部したんだ。家庭の事情ってやつでさ」
「そうなんだ」

グラウンドの端っこを遠慮がちにすり抜けて、野球部の掛け声と陸上部の足音に押されるように校門を出た。
帰る方向が一緒だから、自然と並んで歩き出した。
梅雨明けの鮮やかな緑が、石田君の顔にまだらな影を作った。
「暑いな」
「雨が降ったら涼しくなるかな」
雨というワードを口にしたら、石田君の表情が少し揺れた。

「ねえ、石田君、どうして雨の日に外に出るの? 何かのおまじない?」
ずっと聞きたかったことを、思い切って聞いた。
クラスメートには「昨日風呂入ってないから、シャワーの代わり」などとふざけているけれど、彼が祈るような顔で雨に打たれていることを、私は知っている。

「お母さんが、迎えに来るから」
下を向いて、蚊の鳴くような声で言った。
「お母さん、雨が降ったらいつも迎えに来たんだ。俺、決まって傘を忘れる子だったからさ。公園や、河川敷や通学路。どういうわけか、お母さんには俺の居場所がわかるんだよ」
石田君は、へへっと子供みたいに笑った。

石田君のお母さんは、私たちが五年生の時に、若い男と一緒に町を出た。
当時ママたちは、集まればその話で持ち切りだった。
当然私たちも知っていた。
そして一年後、石田君のお母さんは抜け殻みたいになって帰ってきて、精神を病んで引きこもっていると、ママが誰かから聞いてきた。

「ふうん」と応えたとき、頬に冷たいものが当たった。見上げると、重い灰色の雲がさっきまでの青空を押しのけて広がっていた。
見る見るうちにアスファルトを黒く塗りつぶし、叩きつけるような大雨が降ってきた。
「石田君、雨だよ」
声をかけたとき、石田君はすでに両手を広げていた。
大粒の雨に顔を叩かれても決して下を向かず、祈るように打たれていた。
私も同じように雨に打たれた。
石田君の隣で「どうか、石田君のお母さんが迎えに来ますように」と心の中で何度も唱えた。

時間にすれば五分くらいの、まさに通り雨だった。
音がやみ、瞼に薄い光を感じて目を開けると、雨がすっかり止んでいた。
目の前には、大きな虹が出ていた。
「石田君、見て。大きい虹だよ」
石田君は、虹を見ていなかった。彼は、虹の前に立つ女性を見ていた
。傘で顔が半分隠れているけれど、どこか見覚えがある人。
左手に、男物の青い傘を持っている。

「お母さん」と、走り出した石田君は、もう私の存在を忘れている。
やっと来た。願いが叶ったね。
並んで歩く二人を見送って、ぐっしょり濡れたスカートの裾を雑巾みたいに絞った。
貼りついた髪の毛の不快感と脱力感。重い頭で家に帰った私は、その夜熱を出して、二日間学校を休んだ。
熱が下がって登校すると、石田君は元の目立たない地味なクラスメートに戻っていた。
彼の背中は穏やかだった。
「長く降り続いた雨が、やっと止んだんだね」と、誰にも届かない声で呟いてみた。

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公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「夕立」でした。
そろそろ欲しいなあ、最優秀。


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