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おさがり

糊の利いた浴衣を丁寧に畳みながら、「もう来年は着られないね」とママが言った。
お気に入りの金魚の浴衣は、来年は楓が袖を通すのだろう。

私が着られなくなった服は、近所に住む従妹の物になる。
従妹の楓は2つ下の6歳で、楓のお母さんである幸子おばさんはママの妹だ。
近所だからしょっちゅう遊びに来る。

楓は男の子みたいに乱暴なところがあって、私が大切に着ていた服をすぐに汚す。
フリルがついたワンピースも、チェックのスカートも、全部全部泥だらけにする。
「楓ちゃん、私があげた服なんだから、もっと大事に着てよ」
「えー、もう唯ちゃんの服じゃないでしょ。今は楓の服だもん」
そう言ってあっかんべーをする楓は、本当に可愛くない。

私はママに、「もう楓ちゃんに服をあげないで」と言った。
「まあ唯ちゃん、どうしてそんなこと言うの?」
「だってさ、楓ちゃんすぐ汚すもん。それにさ、全然似合わないよ。あの子男の子みたいだもん」
「そんなことないわよ。よく似合ってるとママは思うわ」
「もっと大切に着てくれる人にあげようよ。あっ、それとも古着屋に売る? お金もらったほうがいいじゃん。ねえママ、そうしよう」
「唯ちゃん、そんな悲しいこと言わないで」
「じゃあ妹が欲しい。ママ、妹を産んで。私の服は妹のために取っておくから」
「いい加減にしなさい」
ママが、珍しく大きな声で怒った。
その夜、ひとりで泣いているママを見て、私はすごく反省した。

春みたいに暖かい12月、楓は叔父さんの転勤で、遠くの町に行くことになった。
「お姉さん、唯ちゃん、今までいろいろありがとう」
幸子おばさんが楓を連れて最後のあいさつに来た。
「楓ちゃんに会えなくなると、おばさん寂しいな」
ママが言うと、楓はママの胸に顔をうずめて泣き出した。
「あらあら、楓は甘えん坊ね」
幸子おばさんがママから楓を引き離すと、「じゃあ行くね」と背を向けた。
「唯が着られなくなった服、送るからね」
ママが声をかけると、幸子おばさんは立ち止まって振り向いた。
「お姉さん、おさがりはもういいわ。楓も来年は小学生だし、自分の好きな服を選ばせてあげたいの」
何だか冷たい言い方だった。ママは「そうよね」とうつむいた。
その日、ママはやっぱりひとりで泣いていた。

ママの涙の理由を知ったのは、法事で親戚が集まった、雨ばかり降る6月のことだ。
久しぶりに楓と会った。楓は1年生になっていた。
大人たちの会話に飽きた私たちは、別の部屋に移動して、買ってもらったばかりのゲームをしていた。
奥の部屋からボソボソと話し声が聞こえた。きっと話好きの本家の大おばさんたちだ。
「楓ちゃんはすっかり幸子の子供だね」
楓の名前が聞こえて、思わず襖に耳を近づけた。
「それにしてもねえ、いくら妹に子供が出来ないからって、自分の娘を養女に出す?」
「そうよねえ、犬や猫の子供じゃないんだから」
「でもまあ、幸子もかなり悩んでいたから、見るに見かねてってところかね」
「優しいからね、あの子は」
「だけどねえ、あたしは嫌だわ。いくら妹でも、お腹痛めた子供はあげたくないわよ」
「そうね。よく平気だよね」

衝撃的な内容に、私の心臓はバクバク動いて、気づいたら襖を開けていた。
「あ、あら、唯ちゃん、いたの?」
「しまった」という顔で動揺する大人たちに、私は言った。
「平気じゃないよ。ママ、泣いてたもん。楓ちゃんの引っ越しの日、泣いてたもん」
言いながら涙が溢れた。大人たちはバツが悪そうに早足で部屋を出て行った。

「養女って、なに?」
あどけない顔で楓が私を見た。
「知らない。楓ちゃんは知らなくていいことだよ」
私は、楓の手をぎゅっと握った。
梅雨が明けたら、金魚の浴衣を楓にあげよう。きっと似合う。
楓の小さな手を握りながら、私は何故か、そんなことを考えていた。

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