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リモコンベビー [公募]

秋に里帰り出産をした妻が帰ってきたのは、街にジングルベルが流れる12月の初旬だった。
生後二か月の我が子は頬の赤い女の子で、なんとこの日が初対面だった。

妻の故郷はとても遠い。
電車を乗り継いでようやく港にたどり着き、そこから一日二本しか出ていない連絡船に乗り換えて五時間。
まるで日本の一番端っこのようなその島で、妻は子供を産んだのだ。
もちろん里帰り出産には反対だった。
仕事を休んでついていくことは出来ないし、生まれる時に立ち会うことも不可能だ。
僕の仕事はとても忙しい。
「生まれ育った家で子供を産みたいの。先祖代々そうして来たから」
妻はそう言い張って、八か月のお腹を抱えて一人で帰った。

そんな島にも電波は届いていたから、スマホで赤ん坊の顔が見られた。
ネットの電話で会話をして、動く小さな手や足を見て、ちょっと感動した。
名前はちゃんと顔を見て決めた。桜色の頬が可愛かったから「さくら」と名付けた。
待ちに待った初対面だけど、怖くて触れない。
「ゆっくりパパになればいいのよ」
妻は慣れた手つきでミルクを飲ませ、オムツを替えてお風呂に入れた。
僕は感心しながら見ているだけだった。

一緒に暮らしてみると、さくらはとてもいい子だった。
よく寝るし元気だし、いつも機嫌がよくて夜泣きもしない。
僕たちはゆっくり食事をして、妻は編み物を、僕は音楽を、心置きなく楽しむことが出来た。
「ねえ、子供がいる友達の話を聞くと、みんな大変らしいよ。夜泣きがひどくて眠れなかったり、一日中抱っこをして腰が痛いとか、奥さんが育児ノイローゼで大変だったとか。どうしてさくらはこんなにいい子なのかな」
妻はふふっと笑って、ベビーベッドの横から何やら黒い物を持ってきた。
「これのおかげよ」

それは、どう見てもリモコンだった。
オンとオフのマークと、プラスとマイナスのボタンがいくつかあるシンプルなリモコンだ。
タイミングよくさくらが泣き出して、妻がマイナスのボタンを押すと泣き声は小さくなり、やがてフェイドアウトした。
「どういうこと?」
「リモコンで操作してるの。オフにすればしばらく眠っているわ」
「何それ。さくらは人間だ。機械やロボットじゃないぞ。リモコンなんて変だろ」
「私たちの島には、昔から超人的な力を持つ祈祷師様がいるの。生まれた子供はそのお方から、無病息災や、疳の虫を抑える力をいただくの。小さな島で病院もないから、みんなその力をいただいて育つのよ」
「このリモコンは何?」
「私の場合、島を出て子育てをするから、祈祷師様の力が届かないでしょう。だからね、このリモコンに力を封じ込めてもらったの」

いったいどういう仕組みになっているのだろう。
電池も入っていない小さなリモコンに、そんな力があるとは到底思えない。
「そんなのに頼るなんて変だよ。ここは都会だし、病院だってあるじゃないか」
「じゃああなた、さくらが病気になったら仕事をやめて帰ってくるの? 無理でしょう。都会の人は冷たいわ。妊婦に席も譲ってくれない街よ。きっと誰も助けてくれない。だから私には、祈祷師様の力が必要なのよ」
それを言われたら言い返せない。
にわかに信じがたいけれど、僕にはやはり、見ていることしかできないのだ。

クリスマスイブの夜、珍しく早く帰れたので、食事に行くことになった。
さくらをベビーカーに乗せて、初めてのお出掛けだ。
ファミレスよりは少し高級な、気取らない店を選び、僕たちは食事を楽しんだ。
オフのボタンを押しているせいか、さくらはずっと眠っている。
「おとなしい赤ちゃんね」と声をかけていくご婦人に、妻は穏やかに微笑んだ。

最後のデザートを食べ始めたときだった。さくらが急に激しく泣き出した。
妻がリモコンを押してもまったく泣き止まない。
「やだ、どうしちゃったの。ミルクはあげたし、オムツも替えたのに」
そのとき妻のスマホが鳴った。電話に出た妻は、呆然としながら唇を震わせた。
「祈祷師様が、たった今亡くなられたわ」

力が切れた。リモコンはただの薄い板になった。
僕はさくらを抱き上げたけれど、あやす術など何も知らない。
周囲の視線が気になって、早々に会計を済ませて外に出た。
外に出た途端、さくらはピタリと泣き止んだ。
「もしかして、暑かったんじゃない?」
着膨れしたさくらが、薄ら汗をかいていた。
「ああ、そんなことも分からないなんて、私、母親失格だわ」
溜息を吐く妻の頬を、さくらが小さな手で撫でた。
ゆっくりでいいよと言っているみたいで、僕たちは顔を見合わせて笑った。

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公募ガイド「TO-BE小説工房」の落選作です。
課題は「リモコン」でした。
こんな素っ頓狂な話では、入選なんかするわけないね(笑)

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