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妄想王子様 [男と女ストーリー]

優馬センパイの指定席は、レースのカーテンが揺れる窓際の席。
いつも難しい本を読みながら、シナモンティーを飲む。
知的な横顔に、私はいつもウットリしてしまう。
ゆっくりとした優しい時間が流れる。
お水のお代わりを持っていくと「ありがとう」と微笑む。
それだけでいい。それ以上は望まない。
だって彼は、手の届かない王子様だから。

「おいアイ子、ラーメンと餃子、一番テーブルな。ぼうっとしてんじゃねーぞ」
ああ、もうお父ちゃんったら、素敵な妄想に入ってこないでよ。
「おい、ねえちゃん。醤油ラーメンとライス大盛」
「はいはい、おじさん確かネギ抜きだよね」
「おっ、わかってんじゃねーか。さすが跡継ぎだな」
「誰が継ぐか、こんなしょぼい店」

5分前まで優雅で上品な妄想をしていた私は、ラーメン屋の娘。
油ギトギトの窓と、漫画しかない本棚。
飲み物といえばビールかウーロン茶。
水のお代わりを持っていけば、一気に飲んで「もう一杯くれ」っていう客ばかり。
ああ、私の素敵な王子さまは、こんな店には来ないだろうな。
女子高で、夜と土日は店の手伝い。どこにも出逢いなんてありゃしない。

それは土曜の昼下がり。
客も落ち着いて、休憩に入ろうと思ったら、ネギ抜きおじさんがやってきた。
「いらっしゃい。おじさん、いまごろお昼?」
「いや、ちがうんだ。ちょっとねえちゃんに頼みがあってな」
「え? なに?」
「駅前に、白薔薇っている喫茶店があるだろ。そこで息子と待ち合わせしてるんだけどさ、代わりに行ってくれねーか」
「はあ? なにそれ。自分で行きなよ」
「いや、実はさ」
おじさんは、ぽりぽり頭をかいた。

おじさんは、10年前に家族を捨てた。
当時8歳だった一人息子が、何かのきっかけで父親の消息を知り、連絡してきたのだという。
「今更、どの面下げて会えばいいんだよ。おれ、まともな服の一枚も持ってないのにさ」
おじさんは、封筒を差し出した。
「たいした額じゃないけど、小遣いだ。あいつに渡してくれないか。ねえちゃんにも、後でお礼するからさ」
「わかったよ。で、その人の名前は?」
「優しい馬と書いて、優馬だ」
うそ!私の妄想王子と同じ名前だ。もっともこのおじさんの息子がイケメンである確率は限りなく低いけどね。

私はその足で、初めて喫茶白薔薇に行った。素敵なお店だ。
明るくて落ち着いた雰囲気は、私の妄想そのものだ。
窓際の席に、その人はいた。
難しそうな本を読んで、時おり時計を気にしてうつむく。
どうしよう。何となく、私の理想に近いんだけど。
「優馬…さん?」
「はい」
顔を上げた。やだ、カッコいい。しかも彼の飲み物は、シナモンティーだ。
私はドギマギしながら事情を話して封筒を渡した。
彼はふっと笑いながら、つぶやいた。
「相変わらず気が小さいやつだな」
「そうだね。ネギも食べられないしね。大人なのに」

彼は18歳。この春から、この街の大学に通っている。
母親が再婚して、今は幸せだということを、父親に伝えたかったらしい。
ネギ抜きおじさんに、その話をしたら泣き崩れた。
そして何度もお礼を言って、缶コーヒーを1本くれた。(缶コーヒーかよ!)
「もう会うことはないけど、元気ならよかったよ」
ネギ抜きおじさんはそう言ったけれど、また会う可能性は充分高い。
だって私、別れ際にラーメンのサービス券をあげたから。

あ、ちょっと待って。この小汚いラーメン屋に白薔薇王子が来る?
やばい!やばくない?
「ねえ、お父ちゃん、この店きれいに改装しない?」
「ばか、そんな金あるか。早くラーメン運べ」

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結婚記念日 [男と女ストーリー]

「結婚記念日?」
「うん。いや、俺も忘れてたんだけどね、カレンダーに○がついてて、しかも小さくハートマークも書かれていてさ、それでハッ思い出したんだ」
「ふうん、何年目?」
「10年目、ヤバいだろ。忘れたら大変な目に遭う。一生言われる」
「へえ、それで、何かするの?」
「うーん、食事か温泉。ママならどっちがいい?」
「そりゃあ温泉よ」
「温泉か。でもさ、結婚10年だし、大した会話もないし、飯食って風呂入ってゴロゴロして、家にいても変わらないんじゃないかな」
「わかってないわね。上げ膳据え膳って、女にとって最高の贅沢よ」
「そうか。じゃあ、温泉にするか」
「奥さん、可愛いじゃないの。カレンダーに○なんて」
「うん。あとさ、引き出しにプレゼントも隠してあった。あれはたぶんブランドの時計だな。おれも何か用意しなくちゃな。やっぱり指輪かな」
「はいはい、指輪でも竹輪でも何でもいいわ。それ飲んだら帰りなさい」

男は、行きつけの小料理屋を出て、9時過ぎに帰宅した。
ほぼ毎日、そこで食事をしてから帰る。
家に帰っても、何もないからだ。
「上げ膳据え膳っていうけど、うちのカミさん料理しないけどな」
互いに仕事を持ち、子どもはいない。束縛しないことが円満の秘訣だ。
夫婦というより、ルームシェアをしているパートナーみたいだが、男はその暮らしを割と気に入っていた。
「ただいま」
「おかえり。お風呂沸いてるよ」
「サンキュ。あのさ、来月温泉行こうよ」
「なに? 急にどうしたの?」
「いや、ほら、結婚記念日だからさ」
「え? マジ? そうだっけ?」
「とぼけんなよ。カレンダーに○つけてあるだろ」
「あ、そ、そうだった」
「ちょうど土曜日だし、一泊で行こうよ。俺、近場の宿探してみる」
「あのさ、悪いんだけど、別の日にしない。私、その日接待が入りそうなの。嫌だけど、もちろん温泉の方がいいけど、仕事だからね、仕方ないよ」
「そうか。翌週は俺がダメだし、有給でも取るかなあ」
「いいよ、無理しないで。何なら私、ファミレスのランチでいいよ。こういうのはさ、気持ちが大事だから、特別なことしなくてもいいんじゃない」
「そうか。君がいいなら」
男は風呂に入り、女は、ふうっとため息をついた。

「結婚記念日?」
「そうなのよ。すっかり忘れててさ、ダンナに温泉行こうって言われてビックリしたわ」
「いいじゃん、温泉。ますますきれいになっちゃうね」
「もう、やめてよ~。ボトル追加ね」
「ありがとうございま~す。でもさ、たまにはダンナにサービスしたほうがいいんじゃない?」
「わかってるわよ。でも、その日だけは絶対にダメ。だって、私の結婚記念日は、コージ君の誕生日なんだもん」
「憶えててくれたんだ。うれしいな」
「楽しみにしてて。プレゼントも買ってあるの」

女は、夜な夜な通い続けるホストクラブを後にして、深夜の月を見る。
「結婚記念日か。育毛剤でも買ってやるか」


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青春が終わった [男と女ストーリー]

大好きなバンドが解散した時、青春が終わったような気がした。
June party 通称JP。
デビューした時からの大ファンで、ライブにも行ったしCDも全部持っている。
ここ数年はあまり活動していなかったけれど、解散はさすがにショックだった。

「JP解散か。仲悪いって、ネットに書いてあったもんな」
夫が足の爪を切りながら言った。何も知らないくせに。
夫は、私がJPに夢中になっていた頃を知らない。
この虚しさを共有できるのは、元カレしかいない。
ライブにはいつも一緒に行ったし、ドライブのたびに聴きまくった。

スマホを取り出して、まだ消していない元カレのアドレスを開いてみる。
いやいや、今さらありえない。
閉じて開いてまた閉じて、スマホをポケットに入れた途端、着信があった。
元カレからだった。きっと彼も、私と同じ気持ちだったのだ。

「あ、カオリ? よかった~、番号変わってなくて」
「久しぶりね」
「俺さ、今実家に帰ってるんだよね。よかったら一度会えないかな」
少しは迷ったけど、お茶くらいならいいかと思って、出かけることにした。
何よりJPとの想い出を語れるのも、この喪失感を分け合えるのも彼しかいない。

待ち合わせは、懐かしいカフェ。
先に来ていた彼が窓側に席で手を振った。
「10年ぶりかな。カオリ、変わってないね」
「そんなことないよ。もうおばさんだよ」
「おれ、女盛りは35歳からだと思ってるから」
相変わらず口がうまい。だけど嬉しい。おしゃれしてきてよかった。
アイスコーヒーで喉を潤して、私は本題のJPの話を始めた。

「JP、解散しちゃったね」
「えっ、マジで?」
……。なに、この反応?
「へえ、知らなかったな~。でもまあ、仲悪いってネットに書いてあったからな」
……。夫と同じ反応。
喪失感を共有したくて、連絡をくれたとばかり思っていた。
行き場を失くした私の感情が、もやもやしたまま胸の中でしぼんでいく。

「ところでさ、俺、リストラされて今無職なんだ。カオリのダンナって、会社の社長だったよな。就職世話してくれないかな」
彼が目の前で両手を合わせた。「ごめん」と謝るときに、いつもしていた仕草。
浮気したとき、借金作ったとき、嘘をついたとき。思い出したら腹が立ってきた。

「俺、今は実家に世話になってるんだけど、親も年だし、それにさ、これがこれでさ」
小指を立てて、腹の前で円を描く。女房が妊娠中という意味か?
今どきこんなリアクションをする人いるかしら。バカみたい。
すっかり冷めた。おしゃれしてきて損した。

「夫の会社は、新卒しか雇わないから」
「冷たいこと言うなよ。マジで困ってるんだよ」
「生きてりゃ何とかなるわよ。JPの歌で、そんな歌詞があったでしょ」
「そうだっけ?」
そんなことも忘れちゃったんだね。

私はコーヒー代をテーブルに置いて立ちあがった。
バイバイ。アドレス、消しておくから。
私の青春が、またひとつ終わった。


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想い出の橋 [男と女ストーリー]

待ち合わせは、いつも橋の上。
芳人君の家は橋の向こう側で、私の家はこっち側。
だから橋で待ち合わせをして、どちらかの家に遊びに行った。
「しょうらい、けっこんしようね」なんて可愛い約束を、したような気もする。
大好きで、仲良しで、ずっと一緒だと思っていた…らしい。

その橋は、県境だった。
橋の向こうが埼玉県、こっちが群馬県。
だから当然、芳人君と私は、別々の小学校になる。
学区が違うどころじゃない。県が違う。
「いやだ、いやだ」とずいぶん泣いて、母を困らせたらしいけど、それもかなり昔の話。

30歳になった今、その思い出は、すっかり母の話のネタになっている。
「可愛かったのよ~。真美の初恋ね。いよいよもらい手がなかったら、芳人君を探して結婚してもらったらどう?」
「30歳の娘に、笑えない冗談言わないで」
とは言ったものの、芳人君は気になる存在だ。
もう顔も憶えていない。仲が良かった割に、写真はない。
うろ覚えの初恋の彼は、どんな男に成長しているのだろう。

日曜の昼下がり、散歩がてら、橋を渡ってみた。
車ではしょっちゅう通っているけれど、歩いて渡るのは久しぶりだ。
芳人君の家はどの辺りだろう。5・6才の子供が歩いてくるのだから遠くはないはず。
橋の近くに、古い家が数件並んでいる。きっとこの中に芳人君の家がある。
苗字はわからない。母もぜんぜん憶えていないという。
じろじろ覗くわけにもいかず、ぐるっと回って帰ってきた。

橋の真ん中でぼんやりしていたら、色々なことを思い出した。
「真美ちゃん、小学校と中学校は別々だけど、高校は一緒に行けるみたいだよ」
「そうなの?」
「母ちゃんが言ってた。高校は、県が違ってもいいんだって」
「じゃあさ、芳人君、同じ高校に行こうよ」
ああ、今ごろ思い出しても遅いって。私、女子高に行っちゃったよ。

女子高出た後、地元の短大に進んで、しょぼい建設会社に勤めて10年。
男はオッサンかチャラ男しかいないし、出会いもないまま30歳だ。
夕陽が目に染みる。ノスタルジーって、こういうときのためにある言葉だわ。

そのとき、男がひとり、私の方に向かって歩いてきた。
まさか、芳人君? ドラマやマンガじゃあるまいし、そんな奇跡があるわけない。
だけど、男はまっすぐ私に向かって歩いてくる。もしかして、本当に…?
男が、私に話しかけた。「あの、すみません」
ああ、これは夢? やっぱりあなたは芳人君なの?
「真美ちゃんでしょ。久しぶり」という言葉を期待したのに、妄想はあっさり崩れる。

「あの、おれ、写真撮ってるんですよ。橋の写真。ずっとあなたが真ん中に突っ立ているから撮れないんですよ。ちょっとどいてもらえます?」

……これが現実。なんだかムカつく言い方。
「はあ? ここはあなたの橋ですか? 違いますよね。なんで私がどかなければいけないんですか?」
「だから、夕陽の写真が撮りたいんだよ。今がベストなんだ。頼むよ。とっととどいてくれ」
「わかったわよ。せいぜい、いい写真を撮りなさいよ。このカメラ野郎」
ノスタルジーを邪魔したお返しに、「チッ」と舌打ちをしてやった。
せっかく想い出に浸っていたのに、台無しだ。サイアク!

それからしばらくして、朝刊を見ていたら、新聞の写真コンクールの大賞に、あの橋の写真が選ばれていた。
絶対にあのときの写真だ。切なくなるようなこの夕陽、憶えている。
悔しいけれど、すごくいい写真だ。
写真の下には、タイトルと投稿者の名前が……。

『想い出の橋 埼玉県〇市 ○○芳人(30)』

……マジか!!!


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凍った滝 [男と女ストーリー]

朝ご飯を食べていたら、タケオちゃんがやってきた。
「よう、みっちゃん、朝めし食ってるのかい?」
「見たらわかるでしょ」
「凍った滝を見に行こうよ。すっかり凍ってる。あんな滝はなかなか見られねえぞ」
「今年は寒いからね。そりゃ滝も凍るでしょ」
「なあ、早く行こうよ。昼になったら溶けちまうぞ」
タケオちゃんはしつこくて、あんまり急かすものだから仕方なく、みそ汁かけたご飯をかき込んで、タケオちゃんの軽トラに乗り込んだ。

タケオちゃんは幼なじみ。60年来の付き合いだ。
2年前に夫を亡くしてから、何かと理由をつけてやってくる。
心配してくれるのはありがたい。
子どもたちは都会にいるから頼れないし、男手が必要な時もある。
だけど幼なじみとはいえ男。ご近所の手前もあるし、あんまり甘えるのも悪い。
そう思いつつも、気楽なタケオちゃんといると楽しい。

朝の空気は寒いを通り越して、痛いほどの冷たさだ。
滝は見事に凍っている。
ドドドドと流れる音もなく、全ての時間が止まったように白く固まっていた。
「すごいだろ」
「そうね。だけどさ、滝はどんな気持ちだろうね」
「はあ? 滝の気持ち?」
「だってさ、ドドドと落ちるのが滝の醍醐味でしょ。それをあんな形で凍っちゃってさ、動きたくても動けないんだよ」
「ははは、みっちゃんは相変わらず面白いな」

私は凍った滝と自分を重ねていた。
夫がいたころはあんなに活動的だったのに、今じゃ料理を作るのも億劫になっている。
見事に凍った滝を見ても、以前ほどに心は動かない。

「なあ、みっちゃん、ずっと前、俺たちが若いころ、一緒に滝を見たの憶えてる?」
「ああ、そんなこともあったね」
「おれさ、あのとき、みっちゃんにプロポーズしたんだ。だけどさ、滝の音がうるさくて、俺の声が届かなくて、みっちゃんは何度も聞き返すし、何だか白けてやめちゃった」
「そうだったんだ。じゃああのとき滝が凍っていたら、人生変わっていたかもね」
「よく言うよ。都会から来た色男と、さっさと結婚したくせに」
「あはは、しょうがないよ。一目惚れだったんだもん」

本当は聞こえていた。タケオちゃんの声は滝より大きかったから。
だけど聞こえないふりをした。この人を、友達以上には思えなかったから。
タケオちゃんはそのあと、親が決めた人と見合い結婚をしたけれど、うまくいかなくて別れてしまった。

「なあ、みっちゃん、おれたち一緒にならないか? すぐにじゃなくていい。お互いひとりだし、年も取ったし、支え合って生きて行かないか?」
突然、タケオちゃんが大真面目な顔で言った。
困った。滝は凍って静かな朝だ。聞こえないふりができない。

「じゃあ……お友達から始めましょう」
「もう友達だべや。みっちゃん、相変わらず面白いなあ」
タケオちゃんが大笑いしてくれたから、ちょっと救われた。
私たち、一生涯の茶飲み友達でいましょうね。


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同居の条件 [男と女ストーリー]

空っぽになったシャンプーを、ブツブツ言いながら詰め替えた。
風呂から出て、ビールを飲みながらお笑い番組に大笑いしている彼に話しかける。
「ねえ、シャンプー切れてなかった?」
「ああ、切れてた。ポンプ外して逆さまにして何とか洗った」
「あのさ、詰め替えのシャンプー置いてあったでしょ。なんで入れないのよ」
「ああ、なんか面倒で。どうせマコちゃんがやると思ったから」
彼は視線をテレビに戻し、再び大笑いを始めた。

一緒に暮らし始めて3ケ月。そろそろ本性が出てくるころだ。
彼は面倒くさいと言って、何もしない。
家事は分担と言ったのに、掃除も洗濯も料理も私がしている。
そのくせ味にうるさくて「何か物足りない味だな」とか言う。
「じゃあ作ってみなさいよ」と言うと、私よりうまく作ったりする。
それはそれでムカつく。
「ねえ、洗濯物たたむの手伝ってよ」
「うん。じゃあ、俺の分置いといて。後でやるから」
出た! 彼の「後でやる」発言。いつやるの? 明日?明後日?

「ねえ、一緒に暮らし始めたころの約束、憶えてる?」
「もちろん憶えてるよ。1、浮気はしない、2、帰りが遅いときは連絡する。ちゃんと守ってるでしょ。マコちゃんは時々忘れるけどね」
「だ、だって私は接客業だもん。お客様の都合で連絡できないことだってあるわ」
「うん。だから俺、怒ってないでしょ」
「まあ、そうね」
「でもさ、元カレとラインしてるのはどうだろ。まあ、浮気とは言えないかもしれないけどね」
「どうして知ってるの!」
「スマホをテーブルに置きっぱなしにしてるから、見えちゃうんだよ」
「何でもないのよ。向こうにも彼女いるし、音楽通だから、ライブの情報とか教えてくれるだけよ」
「うん。知ってる。だから怒ってないでしょ」

やだ、何だか分が悪くなっちゃった。家事の分担の話をしようと思ったのに。
ちょっとご機嫌でも取っておこう。

「ねえ、ビールもう1本飲む?」
「いいの? 結婚資金をためるためにビールは1日1本って決めたのに」
「まあ、たまにはね」
「やった! じゃあ俺、後片付けと風呂掃除するよ」
彼は鼻歌まじりに冷蔵庫を開けてビールを持って来た。

ああ、こういうことか。
結婚までに彼の操縦法を、もっと研究しなければ。
密かにニヤッと笑いながら、彼の分の洗濯物をたたんだ。


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金木犀の午後 [男と女ストーリー]

ハックション!
夫が庭先で大きなくしゃみをした。
子供たちが巣立ち、夫婦ふたりの暮らしで会話が増えると思ったら逆だった。
話すことが何もない。
「犬でも飼おうかしら」
何気なく呟いたら夫が「ふん」と鼻を鳴らした。
「生き物を飼うと責任が生じる。暇つぶしで飼えるもんじゃないぞ」
「わかってるわよ」
正論だけど言い方がむかつく。会社でも煙たがれているんじゃないかしら。

ハックション!
2回めのくしゃみ。ほら、女子社員が悪口言ってるんじゃない?
「寒くなって来たし、おでんでも作ろうかしら」
頭の中で材料をあれこれ考える。大根、こんにゃく、玉子……
買い物に行かなくちゃ。

ハックション!
3回目のくしゃみ。くしゃみ3回の意味ってなんだっけ。
お隣の金木犀がいい香り。まさか金木犀アレルギー?
だとしたら可哀想。いい香りなのに。
「さて、買い物行こうかな」
立ち上がった私を夫が呼び止めた。
「大型犬がいいな」
「はい?」
「エサ代はかさむが、番犬になるし従順なイメージがある」
「ふうん」
どこかズレているのよね、この人。犬の話はもう終わったのに。

ハックション!
あらあら、4回目のくしゃみ。こりゃ風邪だな。
「寒いんじゃない? もう家の中に入ったら」
聞こえているのかいないのか、夫はゴルフの素振りなんかしている。
「今夜はおでんか。いいな」
だから、ズレてるってば。

ハックション!
あっ、今のは私のくしゃみ。
「風邪か?」
「うつったのよ。あなたのくしゃみが」
「くしゃみはうつらないだろう」
「ねえ、私は小型犬がいいわ。可愛いもん」
「ズレてるなあ、おまえ。犬の話はさっき終わっただろう」
あなたにだけは、言われたくないわ。

「一緒に行くか」
「は? どこに?」
「買い物」
「えー、すぐそこのスーパーだよ」
「あと、ついでにペットショップ」
「やだ、本気なの?」
少しだけ楽しくなりそうな秋の一日。
金木犀の甘い香りのおかげかな。

ハックション!
今度は、ふたり同時にくしゃみをした。


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月がきれいですね [男と女ストーリー]

きれいな満月の夜。あなたはいない。
すぐに逢いに来るって言ったのに、うそつきだな。
満月の夜、僕も同じ月を見るよって言ったのに、
あなたの街は雨じゃないの。
ホントにうそつきだな。

お祭りいっしょに行きたいねってメールしたのに返信もない。
忘れちゃったのかな。私のこと。
なんか泣きたくなってきた。
月がきれいすぎて。


やっべえ。電車で爆睡して終点まで行っちゃった。
疲れているのかな。最近仕事きつかったからな。
夕方までに帰って彼女を驚かせようと思ったのに。
すっかり夜だ。
お祭り、間に合うかな。やっぱりメールしておこう。
わあ、きれいな満月だな。
彼女も同じ月を見ているのかな。
そうだ。ちょっとロマンチックなメールにしよう。


あ、彼からメールだ。もう、どれだけ待たせるんだよ~。
『月がきれいですね』だって。
はあ???
月がきれいですね? あなたの街は雨でしょう?
毎日あなたの街の天気予報、チェックしてるんだから。
もう、ホントにうそつき!


彼女からの返信だ。
『うそつき』
えええ~?

遠距離恋愛の可愛いふたりが、並んで月を見るのは30分後のことでした。


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拾った恋 [男と女ストーリー]

高2の夏、生まれて初めて彼氏が出来た。
ずっと憧れていたイケメンの翔君に告白したら、拍子抜けするほど簡単にOKをもらった。
「いいよ。ちょうど彼女と別れたばっかなんだ」と。
日曜日に、早速映画に行くことになった。
旬のアイドルが出ている大ヒット映画だから、先にチケットを買ってから食事をすることにした。

「舞ちゃん、俺バイト代が入るまで、すげー貧乏なんだ。悪いけど割り勘でいい?」
「もちろんだよ」
あたしは自分の分を翔君に渡して、2枚いっしょにチケットを買ってもらった。
そして近くのファミレスで食事をした。友達がどうしたとか、先生がウザいとか、模試がヤバいとか、特に中身のない話だったけど楽しかった。
そしてやっぱりあたしの分を翔君に渡して、いっしょに会計をしてもらった。
翔君は店を出ると財布の中のレシートを丸めてゴミ箱に捨てた。
「俺、財布が厚いと嫌なんだ」
へえ、男の子ってそうなんだ。ひとつ勉強になった。

映画館の前で、翔君が手を出した。
「舞ちゃん、チケットは?」
「えっ、翔君が持っているんでしょう」
「は? 俺持ってないよ。舞ちゃんに渡したよね」
渡された記憶は全くなかったけど、一応鞄とポケットを探る。
「あたし持ってないよ」
「持ってないよじゃないだろ。どこかで落としたのかよ。しょうがねえな。まだ時間あるから探しに行くぞ」

翔君が苛立った様子で歩き出した。あたしは腑に落ちないと思いつつ、後に続いた。
人が多いうえに風も強くて、道端で見つけるのは模試でA判定をもらうより難しい。
結局食事をしたファミレスまで戻った。
店員にチケットの落し物はないか尋ねたけれど、届いていないとの返答だった。
あたしたちが座っていたテーブルには、難しい顔で商談をしているサラリーマンがふたり座っている。
「舞ちゃん、あそこの椅子にチケット落ちてないか聞いてきて」
「えっ、あたしが?」
「うん。だって舞ちゃんが落としたんでしょ」
あたしはまっ赤になりながら、サラリーマンにチケットが落ちていないか尋ねた。
彼らは迷惑そうにお尻の下を見て「ないない」と短く言った。
そしてひたすら地面を見ながら映画館に戻ったけれど、チケットは見つからなかった。

「あーあ、どうする舞ちゃん」
完全にあたしのせいになっている。腑に落ちない。
あたしはチケットを買った時の様子を思い出した。
「翔君、財布にチケット入れなかった?」
「え?」と翔君は財布を開けて「入ってないけど」と、少し怒ったような口調で言った。
「捨てたんじゃない。ほら、レシートと一緒に。あそこのゴミ箱にあるかも」
「テキトーなこと言わないでよ。俺にゴミ漁れって言うの? なかったら責任とってくれんの?」
超イケメンだと思っていた翔君の顔が、歪んで醜く見えた。
翔君が彼女と長続きしない原因がわかった気がした。

もう帰ろうかと思ったとき、「あの」と大学生風の男が声をかけてきた。
「君たち、映画のチケット失くしちゃったの? よかったらこれあげるよ。彼女と見るつもりで2枚買ったけど、どうやら振られたみたいだ」
いつも笑っているような目をした、癒し系の人だ。
差し出したチケットに躊躇していると、翔君が「ラッキー」と言いながら受け取った。
「舞ちゃん行こう。始まっちゃうよ」と、まるで最初から自分の物のようにチケットをかざす翔君に、あたしの怒りはマックスに達した。
あたしは翔君を突き飛ばし、チケットを奪い取ると癒し系大学生に1枚を渡した。
「一緒に見ませんか。あたしとふたりで」
翔君が慌ててあたしの腕を掴む。
「ちょっと舞ちゃん。君の彼氏は俺だろ」
あたしは再び翔君を突き飛ばした。
「映画が見たかったらゴミ箱漁ってチケット探してこい、このクズ野郎。永久にサヨナラ」

翔君は、まっ赤になって映画館から出て行った。
あっけにとられた癒し系大学生が、「すげえ」とつぶやき、こらえきれずに吹き出した。
あたしはこの癒し系大学生と、このあと付き合うことになり、5年後めでたくゴールイン。
翔君があのときゴミ箱を漁ったかどうかはわからない。
結局誰がチケットを持っていて、誰が落としたなんてわからないけれど、あたしはあの日、最低なデートのおかげで素敵な恋を拾った。


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離婚届・婚姻届 [男と女ストーリー]

バツイチ同士の再婚で、彼も私も子供がいないし、双方の親も他界している。
障害は何もない。彼はちょっと頼りないけど優しい人だ。
とりあえず一緒に暮らし始めて、あとは籍を入れるだけだった。

ところがここで問題が起きた。
彼の離婚届が、出されていなかったのだ。
つまり彼はまだ、離婚をしていない。

彼は元妻に電話をした。
「え? 出し忘れたって、どういうことだよ。もう5年も経っているんだぞ。いや、確認しなかった俺も悪いかもしれないけど、出し忘れって、なんだよ、それ」
不機嫌そうに電話を切った彼は、ため息混じりに「ごめん」と言った。
「だらしない奴なんだよ。私が出すって言いながら、忘れたんだって。しかもどこかへ失くしたらしい。本当にダメな奴なんだ。だから別れたんだけどね」
「それで、どうするの?」
「明日、うちに来るって。離婚届をその場で書いてもらうよ」
「そう」
「会うのが嫌だったら、君は出かけてもいいよ」
彼はそう言ったけれど、私が留守の間に元妻が来て、あちこち見られるのも嫌だ。
私は、二人の離婚届の署名に立ち会うことにした。

翌日、午後6時に来るはずの元妻は、30分を過ぎても来ない。
「ルーズな奴なんだよ。だから別れたんだ。仕事が忙しいとか言って朝飯も作らないし、掃除もいい加減だし」
彼の元妻に対する悪口は、どんどんエスカレートする。
いつだって仕事優先で、妻としての役割を果たさなかったとか、車の運転が荒いとか、自分よりも高収入なのを鼻にかけていたとか。
なんだか、聞けば聞くほど、彼が小さい男に見えてくる。

元妻は、6時40分を過ぎたころにやっと来た。
「ごめんなさい。遅れちゃって」
彼が言うほどだらしない印象はない。
上品なスーツを着て、薄化粧だけど美人だった。
彼女は私に気づくと、丁寧にお辞儀をした。
「忙しい時間にごめんなさいね。離婚届を書いたらすぐに帰りますから」
感じのいい人だった。

彼女の後ろから、小さな男の子がひょっこり顔を出した。
彼女は子供の頭を撫でながら言った。
「この子を保育園に迎えに行ってたから遅くなってしまったの」
「君の子供? 結婚したのか?」
彼が驚いて聞いた。
「結婚するわけないでしょう。離婚していないんだから。さあ、ごあいさつして」
母親に促され、子供が可愛い声で挨拶をした。
「はるきです。5歳です」
「5歳?」
彼が青ざめた。確かめるまでもなく、はるき君は彼にそっくりだ。

「別れた後で妊娠がわかったの。でもね、捨てないでくれってすがりつくあなたを追い出しておいて、妊娠したから帰ってきてなんて言えないじゃないの」
すがりついた? 彼が?
「出産準備やら仕事の調整やらで忙しくてね、離婚届出し忘れちゃったのよ」
彼女はそう言うと、素早く離婚届に名前を書いて印を押して帰った。
「じゃあ、あとはヨロシク」

離婚届を見つめながら、彼は明らかに動揺している。
「わざとじゃない?」と私は言った。
「彼女、わざと離婚届を出さなかったのよ。あなたが帰ってくると思って」
「そうかな…」
「追いかけたら」
私は、離婚届を丸めて捨てた。今度は私があなたを追い出す。

彼が元妻、いえ、妻の悪口を言い始めたときから、わずかな嫌悪感を拭いきれない。
それは放っておいたコーヒーのシミみたいに、消えることはないような気がする。
抽斗にしまった婚姻届けを出す日は、もう永遠に来ない。
溜息をつきながら捨てた。ゴミ箱の中で、離婚届と婚姻届がぶつかり合って弾けた。


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