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ビニールプールとスイカとビール [短編]

水しぶきを上げながら、3歳の香帆が全力で遊んでいる。
「子どもはいいなあ」と言いながら、隆一がホースで虹を作った。
芝生の上のビニールプール。
幼い笑い声が垣根を越えて空に響く。
これが幸せの縮図というものか。

「スイカ切ろうか?」
「おっ、いいねえ。夏だねえ」
いつも以上に隆一がはしゃいでいる。

「お迎え何時?」
スイカを食べながら、隆一が訊いた。
「遅くなると思う。たぶん香帆が寝てからじゃないかな」
「起こして連れて行くのか。可哀想だな」
「仕方ないわよ。あの子も色々あるのよ」

香帆は、妹の子どもだ。
妹の久美子はシングルマザーで、働きながら香帆を育てている。
たまに私たち夫婦に預けて遊びに行く。
子どもがいない私たちにとって、香帆は娘みたいな存在だ。

「久美ちゃん、遅くない?」
時計の針は、午後9時を回っている。
「電話しても出ないのよ。何かあったのかしら」
彼氏がいることは、何となく気づいていたから、多少のことは目をつむってきた。

久美子からようやく電話があったのは、11時だった。
「ごめん、お姉ちゃん。私今、新潟にいるの」
「新潟? どういうこと?」
「あのね、急に彼の両親に会うことになって……」
「えっ? あんた結婚するの?」
「前からプロポーズされてたんだけど、返事を先延ばしにしてて、彼が業を煮やして強硬手段に出た感じかな」
「何よそれ。香帆がいるのに勝手な男ね」
「じつは、子どもがいること、言ってないの。ついつい言いそびれて、そのままズルズル。彼ね、造り酒屋の御曹司で、すごくいい人なの。バツイチ子持ちの私が付き合えるような人じゃないのよ。ごめん、お姉ちゃん。私、ずるいよね」
久美子は、しばらく香帆を預かってほしいと言った。
辛そうな様子が、スマホ越しに伝わってきた。

隆一は「そうか」と言って、眠っている香帆の頬を優しく撫でた。
「久美ちゃんが結婚するなら、香帆をうちの養女にしてもいいかな」
「それ、私も考えた。香帆は今でも娘みたいなものだもんね」
私たちは、寝ることも忘れて幸せな妄想を語り合った。
幼稚園のお遊戯会、入学式、運動会、思春期、反抗期。
諦めていた子どもとの暮らしが、現実になろうとしている。

翌日、香帆は迎えが来なかったことを気にすることもなく牛乳を飲んでいた。
「ねえ香帆、おばちゃんの家、楽しい?」
「うん。お庭広いし、プールあるから大好き」
よかった。私は鼻歌を歌いながら、香帆のためにパンケーキを焼いた。

昼過ぎ、隆一が大きな荷物を抱えて帰ってきた。
「何それ?」
「ビニールプール。今のやつ、来年には小さくなっちゃうからさ、一回り大きいのを買ってきた」
「気が早いわ。あなたって親バカタイプだったのね」
「オヤバカ、オヤバカ」と香帆が笑う。なんて幸せな午後だろう。
だけど私たちの幸せな妄想は、その夜見事に崩れ去った。

久美子が香帆を迎えに来たのだ。造り酒屋の御曹司を連れて。
「思い切って話したら、彼が香帆を受け入れてくれたの。全然気にしないって言ってくれたの。すぐに迎えに行こうって言ってくれて。お姉ちゃん、2日間ありがとう」
満面の笑顔だ。香帆を捨てようとしたことなんてすっかり忘れている。
秋を待たずに新潟で、新しい暮らしを始めるという。
人見知りをしない香帆はすぐに御曹司に懐き、「バイバイ」と手を振って、あっさり帰った。

幸せそうな3人を見送って、私たちは肩を落として座り込んだ。
「どうするの? ビニールプール」
「スイカでも冷やすか。でっかい氷を入れてさ」
「それならビールも冷やそう」
「おっ、いいねえ」
残暑は続く。幸せな風景を、ふたりで作っていくのも悪くない。


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