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不夜城 [ミステリー?]

「お客さん、終点ですよ」と肩を叩かれて飛び起きた。
終点だって? 
仕事を終えて最終電車に乗り込んで、珍しく座れたから眠ってしまった。
よほど疲れていたんだろう。何しろこのところ、毎日残業だ。

ホームに降りたのは私だけだ。
乗客もいなければ駅員もいない。無人駅か?
自動改札もなく、切符を入れる木箱が置いてある。今どき切符など持っていない。
仕方なく改札を抜けて外に出た。生暖かい風が不快だ。

何もない。店もなければタクシーもない。
始発まで駅のベンチで待つしかないと思ったとき、若い女が現れた。
「おじさん、乗り過ごしちゃったの?」
「ああ、そうなんだ。すっかり寝てしまって。この辺りに、泊まれるところはあるかな。ビジネスホテルかネットカフェ。朝までやってるバーでもいいけど」
女は、値踏みするように私を見た後「あるよ」と言って歩き出した。
スナックの女か? 現金は8千円ほどしかないが足りるだろうか。

女が立ち止まり、足元のマンホールの蓋を開けた。
「ここが入り口。おじさん痩せてるから入れるでしょ」
女はするすると降りていく。
「おじさん、早くおいでよ。蓋はちゃんと閉めてね」
どういうことだ。疑問符を脳みそ一杯に残したまま梯子を降りた。
どこからか、賑やかな声が聞こえてくる。こんな地下に店があるのか?
「おじさん、早く」と下で女が手招きをする。赤や黄色のネオンが女の顔を照らす。

たどり着いた私は思わず目を見張った。
何てことだ。マンホールの下に、繁華街が広がっている。
「好きなだけ遊んでいきなよ。ここは何でもあるよ。酒も女も麻薬も」
「いや、そんな金はないよ」
「平気だよ。闇金あるし、カジノもあるよ」
「勘弁してくれ。そういうものとは関わりたくない」
「つまんないの。じゃあね、おじさん。せいぜい真面目に遊んでいきなよ」
女は跳ねるように歩きながら、ネオン街に消えた。

歩いてみると、実に様々な店がある。
ファッションヘルスにキャバクラ、ソープランド。
しかもすべて現金払い。いつの時代だ?
私はこういう類の店には入ったことがない。仕事ばかりしていた。
地道に生きてきたのだ。今さら羽目を外したいとも思わない。

私は、一番落ち着けそうな居酒屋に入った。
「いらっしゃい。おや、新顔だね。乗り過ごしたクチかい?」
「ええ、まあ」
店主がメニューを広げてみせた。
「どの子にする?」
メニューには、若い女の写真が並んでいる。
「待ってくれ。俺は朝まで時間を潰せればそれでいい。そもそも金がない。現金は持ち歩かない主義なんだ」
「金なら貸すよ。取りあえず10万。トイチでどう?」
私は店を飛び出した。まともじゃない。この街は変だ。
酔っ払い同士のケンカ、クスリ漬けの女、我が物顔で歩くホストとキャバ嬢。
早く出よう。長居する場所ではない。
出口を探したが、見当たらない。同じところをぐるぐる回っているみたいだ。

私をここに連れて来た女を見つけた。
「おい、ここから出してくれ。そろそろ始発が出る頃だ」
女は振り返って言った。
「おじさん、朝は来ないよ。来る必要がないんだよ。だってここは不夜城だよ。夜でもこんなに明るいんだもん」
「出口はどこだ。帰らないと。あしたは大事な会議があるんだ」
「大丈夫よ。おじさん一人いなくなっても会社は困らないよ。そんなものよ」
女はにやりと笑って再びネオンに消えた。
こんなところで一生を過ごす? 仕事しかしてこなかった俺が?
「ねえ、遊ばない」と近づいてきた女に、力なく頷いた。
そして私は、深い闇に落ちていった。

***
「ああ、今日も終電だ」
疲れ果てた男が最終電車に乗り込んだ。運良く席が空いている。
「座れるなんてラッキーだ。明日の資料を確認しよう。その前に、少しだけ眠ろう。本当に少しだけ。少しだけ……」

「お客さん、終点ですよ」

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