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人魚の娘 [ファンタジー]

八十吉さんは、人魚を助けたことがあるそうだ。
岩場にきれいな虹色のうろこが見えて、近づいたら人魚だったそうだ。
「まだ子どもの人魚でなあ。海に帰そうと思ったら腕に怪我をしてたんだ。それで手当てをして、しばらく家の生け簀で泳がせてたんだよ」
八十吉さんは80過ぎのおじいさんだ。この病院に入院して、2か月ほどになる。
ボケてるわけではないけれど、時々おかしなことを言ったりする。
「相手にしちゃダメよ」と婦長は言うけれど、私は八十吉さんの人魚の話が好きだった。だからこうして、婦長の目を盗んで八十吉さんの病室に来ている。

「八十吉さん、続き聞かせて」
「またあんたか。怖い婦長に叱られるぞ」
「いいの。休憩時間だもん。ねえ、怪我が治った人魚を海に帰した後、何があったの?」
「ああ、あの後な、そうだな、10年くらい経ったころだな。海で釣りをしていたら、あのときの人魚が海からぽっかり顔を出したのさ」
「人魚の恩返し?」
「いいや、ちがう。そんな話じゃねえ」


「おじさん、あたしのこと憶えてる?」
人魚は言った。すっかり大人になっていたけど、もちろんすぐにわかった。
「おじさんに、頼みがあるの」
「ほう、何だい?」
「あたし、子どもを産んだのよ」
「そうかい。そりゃあよかったな」
「よくないわ。見てよ、あたしの子ども」
人魚はそう言って、抱えていた子どもを岩場に寝かせた。
「かわいい女の子じゃないか」
そう言いながら「おや?」と思った。
赤ん坊には足がある。虹色のうろこはどこにもない。

「わかったでしょう。あたし、人間の子どもを産んじゃったの。これは罰なのよ」
「何の罰だ?」
「人間の世界に行ってはいけない掟を破った罰よ。あの日、おじさんに助けられたあたしは、怪我をして人間界で数日過ごした。それは許されないことなのよ」
「仕方ねえよ。怪我してたんだから」
「あたしもそう思ってた。実際10年間平穏無事だったし。だけどね、今頃になって重い罰を受けることになったの。それがこの子よ。人間は海の中では生きられない。だからあたしは、愛しいわが子と一緒に暮らすことは出来ないの。それが罰よ。とてもつらい罰だわ」
人魚は、真珠みたいきれいな涙をこぼした。
「だからね、おじさんがこの子を育てて。だってこれは、おじさんのせいでもあるんだから」
「いや、待ってくれ。俺は男やもめで子どもなんか育てた事ねえよ」
赤ん坊が激しく泣き出した。「おお、よしよし」と抱いてあやしているうちに、人魚は海に帰ってしまった。

途方に暮れた俺は、とりあえず赤ん坊を毛布にくるんで、近所に住む妹夫婦を訪ねた。
「ええ? 赤ん坊を育てて欲しい? どういうことよ。どこの女に産ませたのよ。お義姉さんが亡くなってずいぶん経つから、女の一人や二人いてもいいけどさ、赤ん坊を押し付けていなくなるなんて、どこの性悪女よ。本当に兄さんの子なの?」
妹はすっかり誤解していたけれど、人魚から預かったと話したところで信じるはずもないから黙っていた。
妹夫婦には子どもがいなかったから「仕方ないね」と言いながら、養女にして立派に育ててくれた。
かれこれ40年も前の話だ。


「へえ、意外な展開。じゃあ、その人魚の子どもは、今も元気なんですか」
「もうすっかり普通のおばさんだよ。人魚の娘だと言っても誰も信じないさ」
「会ってみたいなあ」
「そうか?」
そのとき病室のドアが開いて、婦長が入ってきた。
「あなた何やってるの。用もないのに患者の部屋に来るんじゃありません」
「すみません」
「伯父さんもいい加減にしてよ。血圧上がるわよ」
婦長は八十吉さんを軽く睨んで、カーテンを開けた。
えっ、伯父さん? もしかして婦長って……
「あの、婦長って……」
「なによ」
振り向いた婦長の足に、一瞬だけ虹色の模様が浮かび上がった。
八十吉さんが、小さく目配せをした。「ほらね」

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